昨日8月15日は 終戦の日でした。


私の父は 13年前に 75歳で亡くなりましたが、 終戦の日になると


いつも 父のことを思います。


父は 若いころ 特攻隊に志願しました。


美保航空隊で訓練を受けていたそうですが、 飛び立つ前に 終戦を迎え、


その後 母と出会い、 私が生まれたわけです。


今でも 父の話をする時、 母はいつも  「お父さんはどこか現実とかけ離れていた。


やっぱり 一度命を捨てたからかしら・・・」 と言います。


現実の仕事では いろいろな苦労があったようで、 我が家は決して裕福では


ありませんでしたが、 父はいつも どこか夢見る少年のようなところが あった


ような気がします。


父は銀行員で いつも帰りが遅かったですが、 楽しいことが大好きで、 休みには


いろいろなところにつれて行ってくれました。


我が家はお金は無かったけど 私は そういうことを あまり感じたことはなく


(母は大変だったようですが・・・)


父は 楽しい思い出をたくさん 残してくれたなあと、 今になって 感謝の気持ちが


溢れてきます。


父は 目の前の現実の こまごましたことを あまり相手にしていなかったように


思います。 「極楽とんぼ」だったのかもしれません。


母は よく 「お父さんには苦労させられたけど、 お国のために一度命を捨てた その


心意気と情熱を思うと ほかのすべての欠点が帳消しになるの・・・」と 言います。


父の葬儀の時 予科練時代の友人からの弔電に


「散る桜、残る桜も 散る桜」


という 良寛さんの句を引用したものがありました。


父は 晩年は少しボケてしまい、 そいいう自分を情けないと感じていました。


最期は 夜中の国道で 車にひかれて亡くなりましたが、 特攻隊らしく


潔く逝ってしまったと、 私は感じました。 もちろん 母も そうだと思います。


父は 今は 自由に 空を 宇宙を 飛んでいると信じています。


終戦の日、 父のことを 懐かしく思い出すと同時に、 若い命を散らしていった


多くの特攻隊員のことを思います。



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