だんだん歳を重ねると 身体のケアに

時間とお金がかかります。

これは仕方のないこと。

歳に関係なく 自分の身体のメンテナンスは

大切。

時々 バランスを崩して 身体に不調があると

心も波動が落ち込みます。

とくに どこかに痛みがあったり、眠れないと

そればかり気になって 気分が上がりません。


身体は 自分の本質である魂の入れ物です。

天からお借りしている この世を生きるための

魂の住まい、言わば 神殿です。

肉体を自分の所有物と勘違いして

好きなように 使ってしまいがちですが、

神様から期間限定で与えられた

大切な神殿だとしたら

できるだけ 綺麗に整えて 大事に扱い、

寿命が尽きる時は 感謝して お返ししたいと

思います。

でも つい そんなことも忘れて、

自分の身体を 欲に任せて 痛めてしまったり

酷使したり。



 

私はあまり病院には行かず、

身体に不調がある時は

ホメオパシー、アロマ、ケーシー療法、

波動療法で 対処したいと思いますが、

なかなか改善されない時には

ホリスティックな治療を施してくれる

信頼できる診療所のお世話になります。

先日 久しぶりに お世話になっている

診療所を訪れました。

まだ寒かったので、待合室には 薪ストーブの

薪がパチパチと 音をたてて 燃えていました。

薪の炎を眺めながら

パチパチと燃える音を聞いている時間は

時が止まったようで

ゆったりとした とても心地よい時間です。

木によって 香りも違います。

そんな 燃える木を眺めながら

あー、木って ありがたいなー、偉いなー

と思いました。

焚き火の火を 眺めるのも好きです。



木は 何十年、何百年、時には 数千年も

与えられた場所で 黙って生き続け、

森を守り、鳥や虫や動物たちと共存し、

そこにいるだけで 人間たちの役にも立って

います。

空気を浄化し、心地よい緑と香りで 人を

癒してくれます。

人間たちは 自分たちの都合で 木を伐採

したり、傷つけたり。

でも 木々は文句一つ言わずに、寿命を

全うした身体をも 薪となって 灰になる

まで、役に立ってくれています。

木って偉いなー、ありがたいなー

と 燃える薪を見つめながら つくづく思い

ました。


木にはかなわないけど、

神殿である自分の身体を

大切に扱いながら、 この世で 悔いなく

生きるために使わせてもらい、

肉体を脱ぎ捨てる その時は

ありがとう! 

おかげで 今生を楽しめました!

と 心から感謝できるように 生きたいと

思うのです。

薪ストーブをみつめながら そんなことを

感じました。





もうしばらく寒い日もありそうですが、

確実に春は近づいていますね💕

ついこの間 年が明けたばかりなのに。

今年はさらにスピードを増して 走り出して

います。大きな変化を伴って。


昨年から今年にかけて 私は 重い荷物や

古いものを整理して手放すようなことが

起きていて、なんだか 明るい太陽の光が

とりわけ心地よく 軽やかな気分を味わって

います。



ちょっと前の私は もともと好奇心が旺盛なのも

あって、気持ちは比較的外に向かっていて

興味あるイベントや 人からのお誘いなどは

積極的に受け入れ、出かける事も多かったの

ですが、最近は わりに家にいることが

増えました。

年齢的なことや 体力の衰えもあるのでしょう

けど、気が進まないことはしないように

なってきました。

本当に 心から 自分が望んでいる?必要?

って 自分に問うようになりました。

自分が本当に行きたい!場所へ   

自分が本当に会いたい!人と

心地よい時間を過ごしたい!


そして、外に出かけるより 家の中でのんびり

したり、家事をゆっくりこなしたり、猫と

遊んだり、近所を散歩したり、地元の人たちと

関わったり。

好きな音楽を楽しんだり 

読書を楽しんだり

ボーっと 空を眺めたり。

そんなゆったりとした時間が増えました。

自分と向き合う 素敵な時間です。


自然に 何となく 人間関係も整理されて 

楽になったような気がします。

そして 本当に自分がやりたいことのために

時間を使いたいと思うのです。






物質的にも 長年気になっていた 重くて

古いミシンを ようやく手放して

スッキリしました。

何年も 開かれることなく 物置部屋で鎮座する

ミシンを見るたびに 胸が痛んでいました。

感謝して 手放して、自分を許して

心が軽くなりました。


人はきっと 生きている間に たくさんの

物や思いを纏い、だんだん重くなって

苦しくなっていくんだと思います。

もちろん そういう 物や思いは 必要だった

のでしょう。

でも 時期がきて もう必要じゃなくなったら

感謝して 思い切って手放すと

とても軽く 心地よくなるということを

最近 あらためて 感じています。








先日 久しぶりに 生ショーゲン君の話を

聴いてきました。

七、八年前から 何度かショーゲン君のイベントに

行く機会があり、コロナ禍では YouTubeの

発信に力を頂いていました。

友人のサトケンとショーゲン君との繋がりもあり

ご縁を感じています。

映画制作も応援していましたが、事情があり

中止になってしまいました。でも それも

宇宙のシナリオで、今のショーゲン君の活動を

見ていると それでよかったと 思えます。

(私が勝手に感じることですが😅)







ショーゲン君は 今 日本各地を飛び回って
多くの小学校で 子供たちと触れ合い 一緒に
絵を描いています。
今 日本では 満足にご飯が食べられない
子供たち、親から愛されていない子供たち、
自分の居場所を見失っている子供たち、
自分自身を大切にできない子供たちが、
たくさんいます。
ショーゲン君は 現場を訪れながら 
子供たちに寄り添い 声を聴き、 
アートを通じて 子供たちが自分自身と
向き合っていける サポートをしています。



今の世界は 心に余裕のない大人で溢れて

います。

生きていくために 時間やお金のことで 頭は

いっぱいで、美しい空を眺めることも

優しい風を感じることも忘れて、

虫の声を聴くことも 川のせせらぎや 海の

匂いに癒されていることも 忘れて、

自然の豊かさに感謝する余裕などなく

忙しなく 日常を送っています。

そんな悲しい世界で 苦しんでいる子供たちが

たくさんいること、そして 大人たちも 

苦しんでいることを あらためて 思いました。


ショーゲン君は ティンガティンガという

ペンキアートを学ぶために滞在した

アフリカのブンシュ村で 村長や村人たちや

子供たちに 私たち日本人がかつては

当たり前に大切にしていたことを 教えて

もらいます。


人間は自然そのもの。

かつて 日本人は 日常の一瞬一瞬に喜びを

感じ、心に余裕がありました。

日本人が 虫の音が聞こえなくなったら

地球は破滅するそう。


ショーゲン君の 「今日、誰のために生きる?」

には 日本人に思い出してほしい 取り戻して

ほしい 様々な宝物が散りばめられています。



自然そのものである私たちは

自然の周波数を取り戻し

鈍った五感を磨き

小さな幸せが一番大切だと気づき

まず自分を大切に抱きしめ

自分の心が喜ぶことをする

自分のために生きること

それがとても大事だと あらためて思いました。