通夜が終わり、親族も帰り、
三女と私たちは斎場の控室へ
もう、こうやって三女と見える形で一緒に過ごせるのは最後。
一緒に眠れるのも最後。
最後の時も、後悔はしたくない、やりたいことはやっておきたいから…
最後の夜、斎場の控室で家族5人一緒に寝ることにしました。
眠る三女を残し、4人でさっと自宅に帰ってお風呂に入り、支度をして、また斎場へ
やっぱりぐっすり眠れない…
なんとなく、やっぱり三女がいるような感じで…
背中にしがみついているようなしびれ
怖いけど怖くないみたいな不思議な感じで…
なんとなく三女の方を振り向けず、体の向きを変えれず
ほとんど眠れなくて寝不足でした
あっとゆう間に朝
姿のある三女に会えるのも、あと少し。
三女に
おはよう
と、声をかける。
本当に可愛い。
亡くなってる顔なのに、本当に本当に可愛くて。
この可愛い我が子を火葬しなければならない。
バタバタと支度。
あれをして、これをしてって…
気持ちがソワソワと落ち着かない。
親族が徐々に集まってくる
神道なので。棺桶の周りに神社にあるような縄を私の兄弟と一緒につけた。
そして、最後のお化粧。
納棺師の方が亡くなってすぐから、自宅待機の時間も、家を出発するときも、そしてお葬式の前も、ちょこちょこ確認にきてくれて、本当に大切に大切に、化粧をしてくれた。
私の希望を聞いてくれて、可愛くしてくれて、なによりやっぱり大切に扱ってくれたことが嬉しかった。
最後は納棺師の方に勧められて、私も少し化粧させてもらった。
口紅とチーク
思わず、
可愛いねぇって
言ってしまう。
可愛い、愛おしい
だけど、もう会えなくなる
いろんな感情が渦巻いて、込み上げてくる思いから泣いてしまいそうになるのをぐっとこらえた。
3人姉妹で唯一私に似てるねって言われる三女。
こういっちゃなんだけど、お姉ちゃんたちの鼻は横に広がってるのに比べて、三女の鼻は形が良くてスッと高い。
目は二重。
可愛くて見惚れちゃう
スヤスヤと眠っているようにしか見えない。
お化粧した三女と、家族5人で写真を撮った。
そして、ついに葬儀が始まる。
昨日来た宮司さんが式を進めてくれる。
式の前に、担当の方が、三女を抱っこして一緒に写真を撮りませんか?と提案してくれた。
それが、すごく嬉しかった。
中々、葬儀で記念撮影なんてないと思う。
しかも、亡くなった人と一緒にって
何十年も一緒にいて、高齢になってお空に帰った人とはまた違う、私たち家族の想いに寄り添って、こう提案してくれた担当の方には感謝しかない。
この方は、私たちのいろんな思いを叶えてくれた。
その一つ、赤ちゃんの骨はほとんど残らないこともあるって聞いてたから、なるべく残したいって伝えてた。
火葬場に、直接電話してくれて、時間を短くして欲しいとお願いしてくれた。
火葬場に行く前にも念押しでもう一度連絡してくれていた。
棺桶に燃えやすい物(綿入りのぬいぐるみなど)は入れない方がいい、できれば少ない方がいいって言われて、
一緒に見ながら厳選した。
その時も私の思いを汲んでくれて、これは燃えやすいけど足元におこうとか、いろいろ考えてくれた。
この方、赤ちゃんがいらっしゃる方で。
高齢でやっと授かった子みたい。
だから、余計に私たちの気持ちがよく分かったのかもしれない。
そして、この人を選んだのも、きっと三女なんじゃないかって。
素敵な人に恵まれた。
この斎場にして正解だったし、この人が担当で本当によかった。
三女を抱っこ
もう、これが最後の最後
呼吸器がついてて、抱っこの回数は普通の赤ちゃんに比べて少なかったけど、
でも、生まれてすぐの時、抱っこしたら愛情が爆発した。
もう、抱っこできないんだね。
この重さ、この感触。
やっぱり可愛い。
参列者全員で、私が三女を抱っこして写真。
私はちょっと泣きそうな顔。他の参列者も変わらない表情をしている中、お姉ちゃんたちと旦那は笑顔で。
その後は、参列者がみている中、私たち家族5人で撮影。
普通の家族写真みたい。
こうやって、普通に家族5人で。
そんな日々が続くと思っていた。
これが、最後の家族写真。
抱っこ、ギュッとする。
もう、さよならだね。
棺桶にそっと戻す。
棺桶の中には、お花の他に、私たちの思いが詰まった物、持っていって欲しい物、たくさん詰め込んだ。
身につけてるものは、
大好きな看護師さんの誕生日プレゼントのピンクの花柄の服。
頭には、長女妊娠中の時に作って、三姉妹使ったピンクと白のヘアバンド。
首にはお姉ちゃんがつくった三女の顔が書いてあるペンダント。
頭側から、家族からの思いが詰まった色紙や私の手紙、お守りお着替え用によく使ってたお姉ちゃんたちお下がりのこちらもピンクの花柄の服、家族みんなの手形、鼻水をたくさんふいたタオル、お姉ちゃんたちが折った折り紙、今まで生まれた1日に月ごとお祝いしたお姉ちゃんたちが、作ったメッセージ、一才のプレゼントのサングラス、大好きな看護師さんがくれたバッグ、通夜の時にいただいたお菓子やジュース、飲んでいたミルク、使ってたミトン、家族写真、おもちゃ、好きだったプーさんのメリーの写真
三女に大好きな思いが伝わるように、寂しい思いをしないように、ずっと私たち家族の一員であることを忘れないように、楽しかった思い出を持っていってもらうために。
いっぱい詰め込んだ。
そして、もう2度と開かない棺桶の蓋が閉じられた。
旦那や私の兄弟、おじいちゃん、男の人が、小さい棺桶を持ち、霊柩車へと乗せる。
棺桶に向かって頭を下げる。
もう、私の手から離れてしまった。
もう…
お腹の中から一緒だった。
お家に帰ってきてからは、三女のケアをしながらお家で2人でゆっくり過ごす時間が好きだった。
1番触れてきた。
一緒に過ごした。
夜中も朝も一日中。
離れることなく、目を離すことなく。
それだけ、なにより大事だったから。
いなくなることを恐れていたから。
離れたくないから。
でも、もう離れないといけない…
霊柩車には旦那がのり、私たちはバスで火葬場は向かう。
お姉ちゃんたちと一緒だから、なんだか平常心で。
ふわふわしてて。
これから会えないのがわかってるのに、現実味がなくて。
斎場から火葬場はそれほど遠くないから、あっとゆうまに着いた。
子供たちと、親族と、火葬場の入り口へ向かう。
先に棺桶はついてた。
棺桶の上には斎場で用意してくれた花束と、大好きな看護師さんからのひまわりの花束。
火葬場の方から、もう最後になりますって
(その火葬場の方が2ヶ月前に叔母が亡くなった時に別の火葬場にいて、お骨を拾う時に担当してくれた人だった)
お顔の窓だけ開けて、最後の三女の顔を家族で何回ものぞいた。
お姉ちゃんたちにも、もう最後だよ、さよならだよって。
ありがとう。
最後の姿を目に焼き付けて、お顔の窓を閉じた。
エレベーターのドアのような扉。
もう、あの中に入ると、三女の体は無くなる。
手を合わせた。
火葬場の方がそっと優しく、そのエレベーターのような扉の中に入れてくれた。
さよなら。
覚悟していた火葬直前。
相当辛いだろう。
でも、もう見えなくなるのは分かっていたけど、
思っていたよりも自然と送り出せた。
いってらっしゃい。
涙はでなかった。
空は、晴。
小さい丸まった綿菓子のような雲がたくさん。
その上を、三女がぴょんぴょんと跳ねながら、お空へ高く高く上っていくような感じがした。
控室では、昨日はあんまり食べれなかったのに、普通に食べれて、お姉ちゃんたちは変わらず元気で、他の親族も話をしながら。
しんみりは、ほぼない感じでした。
三女の気持ちはたぶん晴れやかだった。
やり切って、この世で楽しんで。
そんな気持ちが伝わってきた感じがしたから
悲しいよりも
ありがとう
楽しかったよ
いってらっしゃい
また、いつか会おうね
我が子をお空へ送り出した。
私は、こっちでまだ頑張るよ。
待っている間、時間が長く感じて、お骨が残らないんじゃないかとひたすら心配だった。
そして、やっと放送がかかって行くと
骨になった三女。
よかった。
思ったより、ちゃんと骨が残ってる。
よかった!
三女が生きた証が、ちゃんと残ってて、それが本当によかった。
何度も伝えてくれた斎場の方に感謝した。
それでもやっぱり少なくて小さな骨を、親族みんな、お姉ちゃんたちも拾って。
火葬場の方が少しも残らないように骨壷に入れてくれた。
骨は骨であって、生きた証であって、三女ではない。
もうここにはいない。
それがもう、自分ではちゃんと分かってた。
バスに乗り斎場に戻り、引き出物を親族に渡し、
飾ってあった風船ほとんどをお姉ちゃんたちが持ち帰りたいといい、
斎場の人に風船含めて多くのものを一緒に自宅まで車で運んでくれた。
2階の子供部屋は、ピンク、白、オレンジ、黄色の浮いた風船がたくさん!
三女が息を吸って吐いて一生懸命生きた、ベッドのその場所に遺影やお骨を置いた。
息をスーハーする音、アラーム音も全くしない
三女のお世話やケアが一日の大半を閉めていたけど、今はお米やお塩、お酒、榊の水を変えるだけ。
ずいぶん手がかからなくなってしまった。
私の人生のほんの一部の時間だったけど、
これほど大切な時間はなかった。
その分の、喪失感は半端なかった。
どれだけ自分が大変でも、守りたかった。
でも、きっとこのタイミングを選んだのは、すべて三女。
最後の最後まで不思議なこともたくさんあって、強いパワーをもった三女でした。
三女について、いろんな選択をしてきました。
命に関わること、三女の人生に関わること。
亡くなった時、私にはほとんど後悔というものがありませんでした。
それは、とてもありがたくて、すべて三女の計らいだったと思います。
三女を何があっても生むことを望んだことも、家に帰るという選択も、心臓の手術や気管切開した選択も、イベントの時はいろいろ持ち込んで記念撮影したことも、新しい家ができて三女のケアが集中めきる時期に退院したことも、思い出が欲しくて散歩してみたことも、写真館に行って家族写真が撮れたことも、少しおかしいかもと思って病院に電話した選択も、最後は心臓マッサージなどの延命措置を希望しなかったことも
すべて、これでよかったと。
一緒に過ごせてこれだけ多くの人と知り合えて、これだけの経験をさせてくれた。
私にとって、これ以上の人生で貴重な経験は、きっとこれからもないと思う。
疲れて眠くてしんどい日が、続いたこともあった。私も精一杯頑張った。
そして、やっぱり亡くなったちょうどその時に、命をすべて生き切ったという表情と、自宅に連れて帰ってからの、満足そうに微笑んでいたその顔で、この子は幸せだったんだと。満足したんだなと。
そう思って。
よかったって。
私も満足した。
三女の生きる姿は、私の目標となりました。
三女は私の人生の先生です。
毎日を大切に、精一杯生きること。
時間は有限であること。
今あるすべてのものに感謝すべきこと。
最後に三女のように命の限り生き切ったと、満足した笑顔でこの世を後にしたいです。
三女とは、お空で会う約束をしています。
三女に会えると思うと、死ぬのも怖くない。
でも、まだやりたいこと、やるべきことがたくさんある。
だから、私は、三女に自信を持って会えるように
ママすごかったね‼︎
って褒めて
もらえるように、
今を精一杯、後悔ない日々を過ごしたいと思ってます。
小さな小さな体で頑張る姿から得た物は、私の人生観を変えるほど大きなものでした。
三女と共に生きた世界が、ずっと好き。
素敵な日々をありがとう。
私たち家族の宝を、ありがとう。
私に唯一似てる、我が子、三女。
ずっと私の子ども。
大好きだよ。