天使になった三女12 | 三女は18トリソミー 3姉妹育児(8歳&4歳&1歳天使)

三女は18トリソミー 3姉妹育児(8歳&4歳&1歳天使)

私(39歳) 天使ママ。三女は18トリソミー。2022.8出産、2023.9お空へ。長女8歳と体外受精で産まれた次女4歳。

親族のみで、宮司さんより通夜

そして、その後、通夜参列

最初に来てくれたのは、なんと長女の小学校の校長先生と担任の先生でした!


来てくれたのが早くて、まだ中に入らなかったから、受付近くに飾ってあった写真やアルバムをじっくりみてくれてたみたいで…

担任の先生は、さっぱりしてるけど、言うことはきちんと言ってくれて子供思いのとってもいい先生‼︎

長女が学校を休まないといけないから、三女が亡くなったことを電話で伝えた。

聞かれたから通夜の日時も…


校長先生も、女の親しみやすい先生で、人見知りの長女が甘えるほど!


その先生方が、三女のことをアルバムを通して知ってくれて、涙を流しながら三女に会って手を合わせてくれた。

アルバムから、すごく頑張って生きていたことが分かった

そんな風に言ってくれた!


私も、とにかく三女の頑張りが伝わったことが嬉しくて、

毎日頑張って生ききったこと、そして満足そうにお空へ帰って行ったこと

を伝えた


長女や次女は、受付にいる大好きなおじやおばと遊んだりしてて、

本当にいつも通り。

葬儀の会場自体が結婚式みたいに明るいし、

葬儀場で妹が亡くなったとは思えないくらい、長女次女はキャッキャ笑ってる。


これでいい。


私は、三女が亡くなった時ことをお姉ちゃんたちに暗いもの、悲しいもの、辛い思い出にしたくなかった。

だから、私もお姉ちゃんたちの前では涙を我慢した。

通夜、葬儀、火葬まで私は一度も涙を子供たちの前では見せませんでした。


妹は、毎日頑張っていた、精一杯生きていた、短い人生ではあるけど、その人生を生き切った。

命のある限り。

そして、やり切ったと満足そうに微笑んで旅立った。


悲しむものではない、辛くて思い出したくなくなるようなものではない。


もう、会えないけど、妹と過ごした日々は楽しかった、妹は可愛かった

そして、それはこれからも

お姉ちゃんたちの心の中に残っていて欲しかったから。

明るくていい。いつも通りでいい。


死というものが、怖いものとしてインプットして欲しくなかったから。


お姉ちゃんたちの思いは分からない。

でも、今でも妹がいたことは忘れてないし、何気ない会話にも三女の名前はよく出てくる。

三女の亡くなった時の体重で使ったくまのぬいぐるみと毎日一緒に寝てる。


今でも、大事な存在で可愛い。


私としては、これで正解だったと思ってる。

お姉ちゃんたちの前では、胸が張り裂けそうに苦しく、深い悲しみを出さずに、いつも通り振る舞えたこと。

自分の振る舞いは正解だったと。


それは、旦那も同じ。

私よりも、普段から明るい。

自分たちもやり切ったと、頑張ったと。

三女から学ばせてもらったと。

後ろ向きなことは言わない。

旦那からも今まで見たことのない悲しみがあるのは感じだけど、

前向き。

先生たちにもそのように伝えていて。


私たち夫婦は、子を亡くした親とは思えないくらい、明るく前向きでした。


きてくれた人たちの方の方がよっぽど、涙してたり悲しんでたりした。


子は親を見てるから、私たちが三女のことについて、前向きな姿勢でいると、子供たちにも伝わる。


頑張った自分に拍手です。



先生のあとは、続々と私や旦那の友人知人、職場の人、近所の方、転園前の保育園の園長先生などがきてくれました。

中には、亡くなってから自宅に2回、通夜も参列してくれた友達も。


私も旦那も、三女のことは割とオープンにしていた方だと思います。

私の気持ちとしては、中途半端に周りに医療ケアが必要な子がいるという情報だけが言って、噂のように間違った認識で広がるのが嫌だったから。


大変、可哀想、そのイメージだけを持たれるのが嫌だったから。


毎日一生懸命に生きる誇らしい我が子。

小さい体で生まれたばかりなのに、私たちが経験したことのない大変さをあじわい、乗り越えて頑張る。

この子から学んだことは偉大。

本当に素晴らしい、自慢したい子。

それに、会えば可愛くてたまらない我が子で、癒されて、とっても大切な子。

家族は大変だけじゃない、それ以上に幸せなこと。


そのことを知って欲しかったから、私はいろんな人に伝えた。


これは、自分のためでもある。

私の気持ちに寄り添ってもらえる人、わかってもらえる人、味方でいてもらう人が、多くいてほしかった。

もちろん苦しい日もあったから。


これも、私は正解だった。


1歳の人脈とは思えないほど、多くの人たちが通夜に参列


他県からきてくれた友達や、ちょうど我が家の外構工事をしてくれていた職人さんまできてくれた。


三女が食べれるような、お菓子を持ってきてくれた人も多くて、私には栄養ドリンクをくれた人も。


職場のトップの方が、泣いて悲しんでくれたことが嬉しかった。

三女の頑張りを、生き抜いたことを、来てくれた多くのひとに、最後の最後まで伝え続けました。


素晴らしい子、私は三女のことが誇らしかったから。自慢の娘だから。


私の親友が長い間、会場にいてくれた。

妊娠中に異常が分かってから、気にかけてくれた親友。

不安定な時もどんな時のLINEも受け止めて返事してくれた。

三女にたくさんの愛情をくれて、私のことは本当に心配してくれた。

もうダメかもってなった亡くなった日、涙ながらに電話をくれた。

とっても優しくて。感情豊かで温かくて素晴らしい人だから、

精一杯私たち家族のことを応援してくれていた。

助けてくれた。

通夜で私のことを心配そうにずっと見守ってくれてて。

はじめの方にきて、最後の方までいてくれた。

ありがとう。

言葉で言い表せないほど、感謝でいっぱいです。



最後の最後にきてくれたのは、9ヶ月間NICUで第二の母として見てくれた看護師さん。

たぶんゆっくり会いたくてこの時間にきてくれたんだと思う。

三女が、母の私より、分かりやすく大好きを伝えていた看護師さん。

この看護師さんだと反応が全く違って嬉しそうだった。大好きだったのは確か。


親族席にいてもらっても十分なほどの関係です。


夏生まれの三女にぴったりのひまわりが入った花束をくれて、

そして、名前入りの手作りのバッグ。

三女が好きそうなピンクのフリフリのバッグ。

中にはハンカチにティッシュに飴などのお菓子。

お空に行く途中に困らないようにって、お出かけバッグを作ってくれた。


それが、とーーーーーっても嬉しかった。

親以上の愛情がたっぷり。

お空にきていく服は、この看護師さんが1歳の誕生日の日にプレゼントしてくれたもの。

三女が絶対好きなピンクの花柄の服。


いっぱい泣いてくれたね。

三女には絶対届いてるその気持ち。

大好きなんだもんね、三女ちゃん。

幸せだね。嬉しいね。


50人以上の方が参列してくれました。


短い一生で、これだけの人に愛されて。

なんなんだろう、このパワーって。

側からみたら、医療ケアが必要で未熟な体の大変そうな子。

だけど、そんなこと吹き飛ばすくらいの頑張りをしてきて、周りに深い影響を与える、表せない程のパワーを待ってる。


すごいね。

こんな素晴らしい子が我が子なんて、母の私は誇らしいよ。