一昨日の6月23日は

「沖縄慰霊の日」

 

 

 

今から79年前

昭和20年6月23日

太平洋戦争・沖縄戦が

終結したとされる節目として

 

 

 

毎年

戦没者を追悼し平和を願い

祈りを捧げる

とても大切な日で

県の定めた公休日となり

各地で慰霊祭や式典が行われる

 

 

 

沖縄は日本国内で唯一の

地上戦が繰り広げられた場所であり

 

 

 

20万人以上の戦死者のうち

半数近くが一般県民や子供

県民の4人に1人が尊い命を落とした

 

 

 

 

 

私たちは物心ついた時から

家族や友人と

正午のサイレンと同時に南に向かい

1分間の黙祷を行ってきた

 

 

 

戦後まだ少女だった私の母は

おぼろげな記憶だが

防空壕にいた時

どこかの赤ちゃんが大泣きして

ドキドキしながら

息をひそめたこと

 

 

 

米兵に「ギブミー」というと

チョコレートがもらえたこと

親に「食べるな!」と言われたが

こっそり食べたら

とても美味しかった…と話す

 

 

 

そういう記憶だけは

昨日の事のように覚えている

 

 

 

 

毎年行われる

平和祈念公園の式典は

沖縄に居なくても

ニュースなどで目に耳に入る

 

 

 

その中で

毎年募集する「平和の詩」の中から

選ばれた詩の朗読がある

 

 

 

今年は

高校3年生の仲間友佑さんの作品

「これから」が選ばれ

本人が式典で読み上げた

 

 

 

心に沁みたので

シェアしたいと思う

 

~全文~

 

 

「これから」

 

 

短い命を知ってか知らずか
蝉が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ


あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに


あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った

 


大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった
泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい

そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る


心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも
失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて


心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた


僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている


人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた


それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて


今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら

 

 

 

詩を書いたきっかけは

今も世界の各地で続く戦争への

「怒り」

祈りをつなぐとか

願い続けるという

本当に微力かもしれないことが

世界の平和につながる

大きな一歩だと思う…と

力強く訴えていた

 

 

 

 

これからの沖縄は

観光客も増えリゾート地になる

 

 

 

「なんくるないさ~」

では済まされない

歴史的な側面も忘れないでほしい

 

 

 

心から平和を祈ります

 

 

お願い

 

 

お読みいただき

ありがとうございました