【 36 】

 

 

 

8月 10日(日)  03:52

 

 

 

  

 

午前4時前、、、、、菊池の願いは成就していた。

  

 

二重あごや赤縁メガネが蓄えていたチップの山は菊池と雄介の眼前に移動。 

負け組に転じた男たちがせわしなく、煙草を灰皿にこすりつけ、酒をかっ喰らっている。

 

菊池は悠々と赤ワインで唇を湿らせていた。

 

  

   

時計が4時を回り、従業員が清掃を始める。

 

 

「ちっ、本当にてめえが来たおかげで流れが変わりやがった。 オイまた明日こいや、若造」

 

 

二重あごが低音で雄介に呟いた。

 

 

「・・・・・時間があればな」

 


「心配するな、この菊池様がまたお相手してやるからよ、カッカッカッ」

 

 

 

菊池と雄介は大量のチップを鷲づかみにすると腰をあげた。

 

 

別フロアにある特殊ルームへと向かう・・・・・カジノの入り口以上に厳重なる警戒・・・・・ここがチップを換金する場所だ。

 

 

 

空調の効いたエレベーターが下降する。

エントランスを出ると湿気を帯びた夏の暑気が体にまとわりつく。

 

空を見上げるとまだ無数の雨矢が降り注いでいた。


  

 

『ヒルマデフルデショウ』 ・・・・・予報通り・・・・・

 

 

 

カジノから借りた傘を広げ、ハンター坂を下る。

時折、タクシーが脇を通り抜けていく。

   

  

 

「いや~雄介、よくぞ来てくれたな。 ほんと久方の大逆転劇だったぜ。 あいつらのあの悔しそうな顔ったら噴飯ものだったな」

 

「別に俺は何もしていないよ、菊池さんが勝手に踏ん張っただけだ」

 

「何言ってんだい、雄介、いつもほんと苦しい時には必ず電話をしたら来てくれるくせに」

 

「タイミングがいいんだよ、菊池さんは」

 

「それにしてもお前、今日のゲームはほとんど外してねえんじゃないの」

 

「・・・・昔から・・・・・二者択一は得意なんだよ」

 

「明日は来れないのか?」

 

「ああ、そんなに暇じゃない」

 

「そっかもったいねえなあ・・・・・まあ好きにしな、しかし雄介がいるとどうして俺はこんなに調子いいんだろうねえ」

 

 

菊池は突き出たアゴを触りながら遥かを仰いだ。

勝ったときに眺める神戸の夜景は心を溶かす。 


 

「雄介、陳さんとこ寄っていかねえか?」

 

「もう4時だ、閉めてるだろう」

 

「おっもうそんな時間か・・・・・」

 

「菊池さん、今日仕事は?」

 

「入ってねえよ。 今は本当駄目だ。 てんで物が動かねえ・・・・・」

 

 

今年40歳になった菊池はコンテナを積んだトレーラーの運転手をしていた。 

主に神戸や南港を基点とし、たまに中距離で岡山や名古屋、岐阜、福井などへの輸送を行っていた。

 

 

「何か仕事回しましょうか?」

 

「馬鹿やろう、てめえに仕事を紹介してもらうほど落ちぶれてはいねえよ。 

それにオレにはバカラの神様がついてるからな、ふっふ・・・・」

  

  

中山手通りに出ると、数台のタクシーが退屈そうに列をなしていた。

街中のネオンが雨水が滲んだ路面に投影されている。

 

 

「じゃあな雄介、今日はサンキュ-な」

 

 

菊池が酒の回った緩慢な動作でタクシーに乗り込み、西へと走り去る。

それを見届けた雄介は踵を返し、通りを東に向かって歩き出した。

 

 

雨がより一層強くなり、山の方角から雷鳴が響く。 

  

 

雄介は24時間営業店で丼物を胃袋に流し込んだ。

 

・・・・・24時間ぶりの食事

 

 

頻度を増してきた嘔吐を伴う拍動頭痛・・・・・

失われていく食欲・・・・・

  

 

食べ終えると、カウンターで浅い眠りに落ちた。

 

 

微かなまどろみ。

 

 

憩わぬ脳漿。 

 

 

永遠に訪れない・・・・・夜明け・・・・・

 

 

 

 

 

  

布引町にあるマンションに着く頃にはほんの薄っすらと地平が白み始めていた。 

  

  

  
  


    

   

世間が目を覚まし始めたのか・・・・・

 

 

六甲の山々が雨と涙を流しているのか・・・・・

 

 

もしくは・・・・・妄聴なのか・・・・・ 

  


 

 


 

 

太く低い音波が、断続的に鼓膜を震わせていた・・・・・

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 

・・・・・ハジマリトオワリトハジマリノキョウカイセン・・・・・