【 39 】

 

 

 

8月 10日(日)  11:22

 

 

 

  

 

5分後、再び携帯が鳴った。

 
 

  

  

ディスプレー表示

 

――― オクヤマ ―――

  

 

 

 

 

「朝早く悪いなユースケ・・・おっいや別に早くはないな、ところでさ、今日13時頃事務所にこられるかな」

  

 

「・・・・・俺確か今日は非番だったはずですが・・・・・何かありましたか」

 

 

「いやなにさ、俺はまた明日から1週間ほどフィリピーネだからな、君に諸々教えておこうと思ってな・・・・・」

 

  

「・・・・・増井さんはどうしたんですか」

 

 

「いやあいつ、昨日辞めちゃってな・・・・・」

 

 

「・・・・・どうして?」

 

 

「いや・・・・・それはさ、まあ、また俺の悪いクセが出ちまってな・・・・・しかしまあ人間には様々なな・・・・・」

 

 

「分かりました。では13時に」

 

 

オクヤマの言葉を遮ると電話の向こうで咳払いが響いた。

  

 

「オッケ、雄介・・・・・それじゃあ待ってるからな」 

 

  

 

 

 

  

 

オクヤマの仕事を雄介が手伝うようになったのは約1年前の1996年である。

  

イカレタこの男と初めて会ったのは雄介が夜に勤務する 『カシミア』 であった・・・・・

 

 

閉店1時間前に1人で店に入ってきた中肉中背の男。

ブラックスーツのこぎれいな身なり。

 

センターで自然に分けられた黒髪。

穏やかな語り口調。

   

 

最初はごく普通の客に見えた・・・・・

  

  

店も空いていたので、2人のホステスを付けた。

イチゲンだがこういった場所に慣れているのか、ホステスやボーイによく気を配り、場を盛り上げていた。

   

 

 

 

  

 

翌日、再びオクヤマが閉店1時間前に現れた。 

   

昨日と同じホステスと新しいホステスを1人、席に向かわせる。

オクヤマには独特の華美な存在感と話のユニークさが備わっていた。

 

数分もすると、女達が手を叩いて笑いだす・・・・・

   

酒にはあまり手をつけない。 

また、口元には笑みを貼り付けているが、眼鏡の奥の目は笑ってはいない。

  

 

  

「インテリのビジネスマンといったところですかね・・・・・」

 

 

 

部下のボーイが雄介に呟いた。

 

 

 

「・・・・・いや・・・・・きっと違うさ・・・・・」

 

 

   

 

 

 

 

その翌日の閉店1時間前・・・・・計ったように再びオクヤマが現れた。 

この日はチーフである雄介が店の最奥に位置するBOX席へと誘導した。

  

 

「いらっしゃいませ」

 

 

「ああ、君か・・・・・君な、後で少し話しがあるんだがさ、時間貰えないかな」

 

 

突如、オクヤマは雄介の間合いに踏み込んできた。

 

    

「・・・・・・・何か問題がございましたでしょうか」

 

 

「いや、とんでもないな、問題があれば3日間も足を運ばない・・・・いやさ、少し君と話をしたいだけなんだがな・・・・・時間はそう取らせないからさ、店が終わったら少し外に出てきてくれないかな」

   

 

「・・・・・・かしこまりました」

 

 

一昨日、昨日、雄介はこの客と直接には会話を交わしていない。

   

だが・・・・・妙に視線がこちらに向いている感覚はあった・・・・・

    

また、この男の来店目的が分からなかった。

 

女、酒、ストレス、、、、男がここに来る理由は見ていれば分かる。

 

しかし、この男から感じる浮遊感。

 

  

オクヤマはこの日も流暢な話術で軽快に場を盛り上げ、帰り際雄介に目配せを投げてきた。

  

  

外に出ると入り口から数メートル離れた薬局の前でオクヤマが佇んでいた。

店内でホステスと談笑する気さくで雄弁な男とは相当に違ったたたずまい。

 

違和感を押し殺して声を掛ける。

雄介の存在に気付くと笑顔で両手を広げ、おおげさに歓迎の意を示す。

変わり身が早い・・・・・

  

  

  

「後片付けもございますので、取り急ぎ用件をお聞きしても宜しいでしょうか」

 

  

「・・・・・なるほどな、それでは先に後片付けを済ませてきてもらえるかな」

  

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

  

 


 

  

1時間後、雄介が店を出るとオクヤマは車の助手席をあけて待っていた。

 

ド派手なパープルのスポーツカー。

 

オクヤマの不敵な笑み。

 

重厚なシートに体が沈み込む。

 

低い車体が地を這うように滑り出した。

 

エンジン、重厚感、駆動、加速・・・・・桁違いのスペック。

 

三宮区間を一瞬で抜け出した。

 

 

 

「凄い車ですね・・・・・」

 

「ディアブロといってな・・・・・こいつはこいつは可愛い、年下の車の子だからな・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「いや、すまん。 ディアブロといってな・・・・・巷では 『悪魔』 と呼ばれている車さ」

 

  

   

右手のみでのハンドル操作。

 

頻繁な車線の変更。

 

しばらくすると高速道路に入った。

 

時間が遅いせいか車は数台しか見当たらない。

 

オクヤマは視界に入った車を一瞬で抜き去っていった。

 

 

 

阪神高速3号神戸線---ハンシンコウソクサンゴウコウベセン---

 

 

 

大阪と神戸を結び、1995年の震災の折には壊滅的な被害を受けた高速道路。

  

高架橋が数百メートルに渡り倒壊したほか、橋脚のほぼ半数が何らかの損傷を受け、橋桁の落下も数箇所で発生した。
 

  

  

「1年を経て高速はすっかり復旧したようですね・・・・・」 

 

 

「いや、まだ完全ではないんだよな・・・・・まったくやってくれたよな、あのモンスター地震はさ・・・・・商売あがったりでまた住む街を変えてしまうところだったんだよな・・・・・あぁ?ところでさ、君、何ていう名前で何て呼んで欲しいのかな?」

 

 

 

景色が流線となって後退していく。 

 

左に六甲山と神戸の街。

 

右には神戸港の灯り。

 

 

 

「しかしさ、最高だよな、この神戸の街はさ・・・・・」

 

「・・・・・好きな人は多いですよね」 

 

「君さ、生まれはどこなの?」

 

「新潟です」

 

「ほほ~新潟な・・・・・懐かしいな」

 

「新潟にいらしたことがあるんですか」

 

「まあな、かなり前だけどな。 ほんの1年間ぐらいだったかな。 あの時は商売もうまくいってなくてな。 古町に流れついて呆けた生活をしていたな。 高田公園にもそん時のパートナーとよく行ったものさ・・・・・・・」

 

 

オクヤマが更にアクセルを踏み込む。

 

加速する車に対して搭乗者の重心が追いつかない。

 

相変わらず右手一本の操縦。

 

車内に微かな香水の残り香。

  

 

 

「煙草、吸っていいですか」

 

「Go ahead!」

 

 


遥か前方にいた車が数秒後にはバックミラーに映っている。 

 

速度表示の針は 190 を指していた。

 

 

 

 

 

「これからは 『出張ヘルス』 の時代なんだよな。 分かるかな? 『出張ヘルス』、つまり女の子達を助平の家やホテルに届けるあれだな。 俺が電通に調査を頼んだところさ、いやスマン嘘をついたな、電通が俺の依頼を受けるはずはないわな、いわゆるまあ俺の独自調査によるところではな、今は大都市圏にシングル世帯が集中してきているんだよな。 未婚のオトコが増えてきているだろ? まあ女もだけどな。 現在東京では単独世帯が約180万世帯で、な・なんと全世帯の40%近くを占めているんだよな。 まあ俺は東京にはしばらく戻ることは出来ないんだけどさ・・・・・まあともかくさ、自宅に風俗嬢を呼ぼうとする助平は一人暮らしの人間だよな、たまにとんでもない奴もいるけどな・・・・・・」

 

 

ダムが決壊したかのようにオクヤマが口から言葉を垂れ流す。

  

 

「オクヤマさん、あなたが何を私におっしゃりたいのか、いまいち解りかねるのですが・・・・・」

  

 
「いや、まあ話は最後まで聞けよな・・・・・今なぜコンビニがこんなに流行っている? 働く一人暮らしマン・ウーマン達の不便を見事に解消してくれるからだよな。 やるよな、全くセブンの鈴木敏文さんはさ。 俺はさ、だからさ、風俗界のトシフミを目指しているのさ今。 つまりコンビニの性的充足バージョンが 『出張ヘルス』 なんだな。 つまり未婚化、晩婚化のトレンドが今、俺に見方してくれてるんだよな。 寿命が延びてさ、これからはシルバー世代もそこはかとなくモッコリ元気になってくるはずだからさ・・・・・いやしかもさ、今度俺が始める 『パッション』 という出張ヘルス店はさ、オプションで料理・掃除とかさ、恋人気分が味わえるサービスも考案中だしさ、ハンパなく繁盛する予定だからさ・・・・・・・・・・・・まあ、回りくどいのは嫌いだからさ、俺が言いたいことはさ・・・・・・・・・君、俺の店少しでもいいから手伝ってくれないかな?? 女の子の運転手とか事務や経理とかさ・・・・・君の顔、俺の長きに渡る人付き合いの勘によるとさ、とっても信頼出来る顔相なんだよな・・・・・」

 

 

 

 

   

「・・・・・・・・・・・・」

 

  

 

  

 

オクヤマが手掛ける仕事は単純に言えば 「射精産業」であった。

 

 

北海道大学在学中から風俗店経営に挑戦したオクヤマは成功と失敗を繰り返し、また時には数多の人間に追われる身となり・・・・・・・・・神戸に流れ着いていた。

  

 

 

  

  

 



  

約30分に及ぶハイウエイ走行を終えて地上に降りる頃。

 

  

 

 

「・・・・・・仕事、手伝いますよ」

  

 

 

  

雄介はオクヤマの申し出を受け入れた。

 

 

 

予想外の回答だったのか、オクヤマは一瞬雄介の顔を見た後、小さく奇声をあげた。

 

  

  

国道の灯りが定期的に車内に届く。

 

 

 

オクヤマは車を反転させ、再び三宮を目指して高速に上った。

  

  

  

雄介を布引町のマンションまで送るという。

 

 


車内にジャズが流れ出す。

  

  

  

オクヤマは満足げに何度も頷いていた。

  

 

 

雄介は煙を深く肺に吸い込んだ。

 

  

  

アスファルトの継ぎ目が体を小さく突き上げている。

 

 

 

これまでとは左右が逆に、神戸の夜景が出現した・・・・・

  

  

   


 

 

 

 

 

 

 

 


 

この男の倒錯した話に心を動かされたわけではなかった。 

 

  

この男を信頼もしていない。

 

 

何が狙いかも・・・・・あの時は分からなかった。

 

 

   

・・・・・しかし・・・・・広げざるをえない。

 

 

 

自らの目と足が届く世界を。

  

 

 

少しでも・・・・・どれだけ歪んでいても。 


 

  

自分とは違う海を泳いできた男・・・・・

  

 

 

いつもそういう奴を探し、こっちから接触していった。

 

 

 

大海の砂粒の如き 『手掛かり』 を求めて・・・・・・

 

 

 

オクヤマと会った1年前。

 

 

   

あの時の閉塞した環境。

 

 

 

泳げるところは泳ぎ尽くしていた・・・・・

  

  

 

 

 

 

 



       変化

  

   

  

      

 


  

       情報 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

  

・・・・・チイサクテモイイ・・・・・ヒカリガ・・・・・ホシイ・・・・・