【 40 】

 

 

 

8月 10日(日)  12:55

 

 

 

  

 

13時前、新開地の事務所に到着。

 

40㎡程度の雑居ビルの一室。 

 

物は多いが全て整然と並べられ、床のホコリは綺麗に拭き取られている。

 

潔癖症なオクヤマの性格の表出。

 


  

退屈そうに雑誌を広げている電話受付の女。

  

この女、齢は40を超すが、客から電話が入ると異様に高音で美しい声を発して対応する為、オクヤマにその使い勝手を寵愛されており、『マダム・ソプラノ』と呼ばれていた。

 

 

突如、電話が鳴り響く。 

  

ソプラノは受話器を取ろうとすると共に、雄介の存在に気付いて満面の笑顔で会釈をしてきた。

目尻に深い皺が出現する。

 

 

「はい、 『パッション』 でございます~」 

  

  

オクヤマが昨年オープンさせた出張風俗 『パッション』 は今や女子学生から人妻まで、在籍40名を超える繁盛店となっていた。

  

 

 

「やあ、久しぶりだな、雄介」

 

 

 

オクヤマが奥の部屋からネクタイを結びながら出てきた。

1年前のリクルート以来、雄介は『パッション』でオクヤマの仕事を手伝ってきたが、昼間にこうして話すことは稀であった。

  

 

「不健康な顔をしているな。 相変わらず夜は寝ていないのか?」

   

「ええ・・・・・まあ・・・・・それよりオクヤマさん・・・・・増井さんにまで手を出すとは呆れましたよ」

  

「いや違うんだな、あいつジムに通っていただろう、だからいいカラダになったな、って少しこう、ちょっとな、触ってあげただけなんだよな」

  

「・・・・・それだけじゃ、増井さんはやめませんよ」

  

  

オクヤマはせわしなく事務所内を動き回り、外出の準備をしている。

ソプラノは電話を切った後、すぐさま客の指定場所に近い女のリストアップに取り掛かっていた。 

雄介はソファーに腰を下ろした。


  

「まあな、男と男の仲だ、色々あってな。 辞めた人間のことはもういいじゃないか、これからはお前だけが頼りなんだよな、雄介、頼むよ」

    

「俺はこの仕事ばっかやっている時間はないですよ」 

  

「あいやあいや、分かっている雄介。 おまえは体裁上の店長になってくれよな。 この1年間で俺の目に間違いはなかったことは証明されているしな、それにさ、従業員もおまえには一目置いているからさ。 バックアップはこのマダムがしっかりとやってくれるからさ。 あとさ、今からすぐ出掛けなきゃ行けないんでさ、俺が明日からフィリピンに行っている間の引継ぎ事項も全部マダムに伝えといたからな、しっかり頼むぞ雄介。 ついでにな、給料も少し上げといてやったからな」

  

 

オクヤマは外出の準備を終え、エントランスの鏡で身なりの最終チェックを行い、雄介とソプラノの方を振り返った。   

  

 

「それではしばらくの間、俺は留守にするが寂しがらずにな。 


 雄介万歳!! ソプラノ万歳!! パッション万歳!! 新開地万歳!! 神戸万歳!!!」

 

  

オクヤマは奇声を発した後、肘を内に入れて手を振った。

   

ドアが閉じた後も、オクヤマがけたたましくビルの共有通路を駆け抜ける音が屋内まで聞こえてきた。 

  

 

 

「・・・・・えらく機嫌がいいですね」

 

「雄介君に会えたからじゃない。最近はちょっかい出してこないの?」

 

「一回あばらを折ってからは、余計なことはしてこなくなりましたね」

 

「なるほどね」 

 

ソプラノの目尻に再び2本の凹凸が刻まれる。


「フィリピンへはまたリクルーティングですか」

 

「そうみたいね。 『パッション』以外のことは私も詳しいことまでは分からないけど、何か名古屋の顧客から大量にフィリピン女性の発注があったみたい」

  

かつて、オクヤマがうそぶいていた。

 

「俺はな、言ってみれば『ライフプロデューサー』なんだよな。 特に女のな。 夢に向かって生きる女達に稼ぐ手段を与え、願いを叶えてあげたいだけたいんだよな。 だから俺は女に他店より高い給料を払うのさ。 日本もそうだが、海外にも俺のようなプロデューサーを待っている女はたくさんいるのな。 雄介、俺はそうした女達を放ってはおけないんだよな。 だから俺は世界中から女を連れてこようと思っている。 彼女達の幸せの為に・・・・・。 ある程度の金を手にし、夢に向かって羽ばたいていく様々な女の姿を・・・・・俺は見続けたいだけなんだよな」

  

 

実際、日本中でホステス不足に悩む店は多い。

オクヤマは海外で現地人を使ってスナックを経営し、日本に行きたい現地の女を集めて働かせるかたわらで、日本語や日本の歌を勉強させているという。

そして客受けの良さや、日本語の上達の早い女から興行ビザを取得させ日本に連れ帰り、需要のある日本各地の店に送り込むというフローだ。

勿論、女達が日本で働き続ける限り、オクヤマのふところにはマネジメント料が転がり込んでくる。

 

   

 

 

電話が鳴った。

 

 

「・・・・・・はい、お任せください・・・・・はい・・・・・今ちょうど人気の若妻が待機しておりますから・・・・・・」

  

 

手際の良い対処の後、ソプラノが雄介に流し目をくれた。

 

 

「ねえ、雄介君、今日シフト入ってない日だけど、ちょっとだけでも出てくれない? ドライバーが今日少なくってね・・・・・・。 オーナーの言ってた引継ぎ作業、私で出来る部分はやっておくし、お願い、昼の間だけでいいからさ」

  

 

「・・・・・18時までならいいですよ」

  

「きゃっ、有難う~助かるわ。 里美ちゃんでいつもの場所、お願いね」

 

  

 

出張ヘルス『パッション』は送り届ける女に自宅待機を許可していた。

 

ドライバーは通常、事務所から電話を受けとった後、女と待ち合わせの場所へと車で向かい、ピックアップして客のもとへと送り届けていた。

 

 

 

 

 

雄介は車に乗り込むと新開地の事務所を後にした。

  

  

 

 

 

  

  

新開地。 

   

かつては神戸一の繁華街であった街。  

  

戦後は三宮にその座を奪われ ~寂れた街~ としてその姿を今に晒す。  

 

そしてまた・・・・・2年前の震災は容赦なくこの街にも襲い掛かった。    

     

雄介は震災復興のシンボルと称される『神戸アートビレッジセンター』の横を抜け、長田区へと向かった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信号待ち。

 

雨は降り止んでいたが、空は少し曇っていた。

 

ラジオから天気予報が流れ出す。 

 

カンサイチホウハ イチニチジュウ クモリトナルデショウ

 

キオンハ ゴゴカラアガリダシ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

 

 
 

  

  

   

  

 

 

 

  

眼前の道路にうっすらと陽炎がたった。 

 

空間の屈折。

 

光の屈折。

 

こめかみに何かがぶち当たった。

 

羽音。

 

顔を振ったが、まだそこにいる気配を感じる。

 

やがて一匹の蚊が目の前を横切った。

 

網膜でピントが合わない。

 

ひどくのろい動きだ。

  

やがて・・・・・左目に小さな衝突を覚え、視界がぼやけた黒い斑点で閉ざされた。 


目を閉じる。 

 

独房に閉じ込めた生物がもがく。

 

徐々にその力が減退し、とどめをさした。

 

閉ざした瞳をうっすらと開くと・・・・・まだらな光の中に赤褐色の涙が溢れ出した。

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

・・・・・・ユラメキツヅケルトザサレタクウカン・・・・・