そんなわけで


 

あの頃のことを書きます。

今日から予約投稿で毎日10時に、

バシバシアップします。



書いてたらどんどん思い出してしまって。


そう、最初は今と同じ、4月です。


 

 

  OJTってなんの略?

 

社会人になって3年経って、こんな私にも後輩ができた。

 

そのころは「OJT」と聞こえはいいけれど(聞こえもよくないか)

とにかく、挨拶と札勘だけ1週間教えた新人を、会社は現場にぶっこんでくれた。

 

お客様には迷惑なことと思うが、

「あー、4月か・・・」と許してくださったことを

今からでも心からお礼申し上げる。

 

「初々しい」しか取り柄のない新人を、とにかくマンツーマンでフォローするのが

インストラクターと呼ばれる先輩社員たち。

多くは3年目か4年目が駆り出されていました。

 

師匠と弟子というよりも、親子のような、親和性のあるペア。

交換日記のような連絡帳までありました。

私のそれは、いまでも捨てられずに、奥の戸棚に取ってあります。

とても中は読めないけれど。

 

私のインストラクターはIさんと言って、ものすごく仕事の出来る2年目でした。

「私が二年目だから、あなたは余計注目されるかもしれない。

いっしょにがんばろうね」

こんなことをいう21歳。すごいわ。

 

 

去年まで新人だったわけで、Iさんのインストラクターもすぐそばにいる。

G先輩は、ずーっと目を光らせていました。ハイ。

表面上穏やかだったのは、一重にIさんがずば抜けて優秀だったからに他ならない。

 

なんで私がそんなところに入ったんだろう。と思う。

新人の中でも特に鈍くさかったのに。

 

Iさんも、最初は総務だったというので(あんな優秀な営業ウーマンなのに)

会社はやっぱり、たいして見てないで最初の所属を決めたのかもな。

そりゃそうだ。1週間しか見てないのだもの。

1週間で配属が決まり、同時にインストラクターと新人のペアが6組誕生しました。

同期女子社員は6人だったので。

 

 

ニコニコそんなわけで、入社して、1週間が経ちました。

えーと、これまでちゃんと語ってなかったんですけど、

私は短大を出まして、証券会社に就職しました。

 

当時は「一般職」「総合職」と入口が違いまして、一般職はほぼ「短大卒」でした。

まだまだ昭和で、「4年制大学なんか出たら、嫁の行き手が無くなる」と

本気で思われていた時代でした。

お嬢さんの腰掛け、と揶揄されるような、お茶くみとコピー取りみたいな?

ただ、この後出てきますけど、私はお茶くみとコピー取りはしてなかったです。

それでも、腰掛けと思われてたし、それで良しとする社会でした。

自分も3年くらいで辞める気満々でした。

そういう人がまた、とても多かったのです。

お嬢さんをお預かりします、という意味なのでしょうか、

東京でやる入社式は本人だけなのに、保護者が支店に呼ばれて、総務課長と懇談などしていました。

私も父が来てくれました。