本は紙派です。

若い頃は本当に本が好きで、物質として好きでもあって、毎日図書館に行ってました。
特に地味な短大時代はヒマだったんだね、ハシゴしてました。学校の図書館、乗換駅の図書館、地元の図書館。古本屋にも新刊書店にも顔を出してましたね。

図書館司書さんになる夢もあって、当時は短大ではその資格を取れなかったんですけど、「学校図書館司書教諭」の資格は取りました。(これに、いくつか単位を足せば、司書さんになれるらしかった)

講義の中で、「読書好きの人はあまり向かない」と。
仕事になったら本を読み耽るような時間なんか、ないからです。
司書さんは、大量の本を分類し、「なんとなく」しかつかんでいないユーザーのニーズを、「これなんかどう」とご紹介するのこそ、キモなんでありまして。
個人的な感想なんかは要らないのです。

10進法とか、そのへんは学びましたが、現場ではまだまだどこも、紙のカードで管理してる時代でした。カードの文字も、万年筆の手書きです。

しかし、私は、同じ本ばかりループで読む本読みで、物質としての本が好き、空間としての図書館が好き、ついでにカードとかだーいすき。
向いてる!と思いました。


ならなかったんですけど。


書店員にもならなかった。


時々、本屋さんとか図書館で並んでる本を見て、「これはここじゃないよ〜〜」って場合があります。
内容の把握がイマイチなんでしょうな。

そう思うと、やっぱり「読書好き」にやってもらいたい仕事かもしれないですね。
講師の先生は現役の司書さんでしたが、読めないことを苦しくお感じになっていたのかもしれません。


短大の図書館報にブックレビューを載せよう、と思ったらしくて、なぜだかわたしに白羽の矢が立ちまして、
でも、本は図書館から指定されていました。
林真理子の『最終便に間に合えば』です。
読んだ学生の中から選ばれたらしい。
確かにわたし、毎日顔を出して、図書館の講義も受けて、成績も良かったですけども、

あの頃は論文のようなものを学生ですから日常的に書いていて、軽い読み物風の物は一切、書けなかったんです。
(私、書き手としては完全に憑依系です)

難産の上に難産で、その結果が句読点がやたら多いという、当時の悪癖を増大させて、面白くないわ、読みにくいわ。
 

そんななのに、
ギャラなんか出ないんですけど、司書の先生がポケットマネーでティーカップをくださって、
大事にずっと、使ってました。
今も実家にあるはず。

まあだから、下手の横好きで、間違いなかったんですな。

ブログやりたいな、と思った時にブックレビューにしたのは、そんなこんなだったのかもです。
ひとつ、言わせてもらえるならば、本を選ばせてもらっていたら、また別だったかもです。
私のその年は、吉本ばななが鮮烈なデビューを飾った年だからです。たしか、、、海燕で読んだんだと思う。

あの頃はまだ、恐れずに純文学読めたんだなー。

憑依系の私は、そのまま研究者になるって夢もありましたが、
それにも、ならなかった。
卒論が研究論文集のようなものに掲載されたので、まるで無理って話でもなかったんじゃないかな。
と、この夢は長いことこじらせました。


いろんな夢があって、その夢の付き添いのように、いろんな本を手にしてきました。
高校生の頃は服が作りたくて、装苑とか読んでたし。

選ばなかった夢が沢山あって、今の私がいます。
今が幸せならば、それもよい選択だった、となるのかもですが、

あの頃は、結婚したらそういうこととは全部卒業だと思っていました。何かに「なる」とか、将来の夢とか。
だから、何かひとつ選んだら諦めるのは必定でしたが、今は違います。
今はインターネットがありますからね。
商業ベースを諦めるんで良ければ、なんにだってなれます。

今、ひとつ職業を持ってるんですが、辞めたくなってる。でも、辞めなくても、選択肢を捨てなくていいのかもね。
ブックレビューのブログを持つことは、私の中で司書さんにつながっている。

先週、また新しく夢を思いついて、関連書籍を買ってきました。
私ってそうやって、本と生きてたんだな、って。
気がつかなかったんですけどね。