この8月に亡くなったヘティさん。
私のうちに初めて来てくれた時に撮ったもの。
この時は6年くらい前かな。光陰矢の如し。
いっつも綺麗だったな。
自宅で倒れているのが見つかって、病院の後に老人ホームに入ったのが今年4月。
4か月ちょっとで天国に旅立ってしまうとは、友人知人、誰も予想がつきませんでした。
私がホームを初めて訪れた時、ヘティさんは私を私と認識していないまま話し始めました。しばらくしてピアノの話が出た時、「キョーコというピアニストがいてね」と彼女の口から名前が出たので、「ヘティ、私がキョーコよ」と言ったら、目を見開いて「Are you?」(あなたが・・・?)としばらく私を凝視した後、脳にスイッチが入ったのか私と分かり、その3秒後、顔が見る見るうちにゆがんで涙が頬を伝い,
「(私達は一緒に)楽しい時を過ごしたね、楽しかったね」と。
自分の人生の楽しい時はもう終わってしまってここ(最期の場所)にいる、という自覚。
私も、すっかり変わってしまったヘティさんと一緒に、時は戻って来ないことを改めて悲しく辛く感じていました。
初めての出会いは1994年くらい、カーネギー小ホールの2階席には私とヘティさんしかいない閑散とした音楽会でした。
休憩時に私がくしゃみをして、彼女が「Bless you」(お大事に)と言ったのがお付き合いの始まりでした。
下の写真は、ヘティさんの自宅で。彼女はピアノが弾けないので(でも、ピアノの前でのポーズがお気に入り)私が、本番前などによくリハーサルに弾きに行っていました。彼女は近所のお友達を呼んで「サロンリサイタル」にしてくれました。
その後は、きまってヘティさんのお料理を頂きます。
お味のセンスが抜群の人で、どれもこれも美味しいお食事でした。
何でもできる人だけど、生涯独身で。死後の管理は一番長く付き合っていた元恋人の男性。常日頃、聞いてはいたけど、初めてお会いしたのが、ヘティさんの悲しい埋葬の日でした。
チョーカーが彼女のファッションポイント。綺麗なレースのものが多かった。
彼女は年齢を決して言わなかったけど、私の父と同じくらい(1928生)だったと思います。オランダから一人でニューヨークに来て、オランダに帰りたいと言いながらニューヨークで一人で死んでいきました。生活を楽しむことがとても上手な人で、音楽会に、美術展に、映画に、機会を得ては、よく出かけていた人でした。
よく働き、きっと素敵な恋もしたことでしょう。(元恋人の人は、素敵なロマンスグレーの大変誠実そうな紳士でした。なんとその後の結婚で得た立派に成人した子供達3人を連れて墓地まで来ていました)棺が2本の紐で少しずつ地下に下ろされていく時(ああ、あの深さたるや!)、彼の背中は嗚咽で震えてて、子供達が支えていました。時を経ても、ヘティさんを大切に想っていたことがよくわかりました。
明るくて話し好きで、どこででも気安く笑顔で人に話しかけるヘティさん。お花に、子供達に、若い人達に、ポジティブなものを見つけては「綺麗ねぇ」「可愛いわねえ」「素敵ねえ」と声を上げ、幸せそうに笑うヘティさん。
一方で、国際情勢は常にメディアで確認し、政治の話で丁々発止の議論をするヘティさん。母国オランダの王室と仲の良い、日本の皇室に常に興味を持って、私によく質問をしてきたヘティさん。
私のことを何故か本当に大事にしてくれたヘティさん。
その温かさにどれだけ救われたか!心から感謝しています。
”Isn't it lovely?” (素敵じゃない?)
彼女からよく聞いた言葉です。
一生涯忘れることのない人です。
私のニューヨーク生活で、大事な存在だったヘティさんの想い出を記録として書いてみました。
お読み下さってありがとうございました。