メモがないけど、セザンヌだよねぇ。

パリ、オルセー美術館にて撮影。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

今回のオリンピック選手、宮原さんを育てたスケートコーチ、濱田美栄さんを取り上げた《情熱大陸》を見たのですが、

その中で、思わず「その通り!」と膝を叩きそうになる言葉がありました。

 

「素直さってすごく大事だと思う。

よくみんな、意見を言いなさいって言うけど、

まず素直に(指導者の)意見を聞いてそれから、熟練されて自分の意見を持つのはとても良いことだと思うけれど、

始めから自分の意見を言う子というのは、やっぱり上手にはなっていかない」

 

「スケートだけじゃなく、仕事でもそうだと思う。

まず素直に人の意見を聞いてやってみる」

 

「努力は必ず報われる。

だけど正しい努力でないと報われない」

 

特に天才というわけではなかった(らしい)宮原さんが「ミス、パーフェクト」と呼ばれるスケーターに育ったのは、

濱田コーチの言う「練習感度が素晴らしく良かった」「(どんなに叱られても)ふて腐れたりせずに練習を続ける」ということに尽きるんでしょうね。

フィギュアスケートとピアノは、昔からよく似ているなぁ、と私は思っていたのですが、私も自分の経験を通して、ピアニストとしてもピアノ教師としても、つまり習得する側でも習得させる側でも、濱田コーチの仰ることに全く同意です。

生まれつきの才能が殆ど左右する分野でも、肉体が技術を習得しないと始まらない分野では、結局は「(正しい指導者について)正しい努力を重ねまくる」ことしか進歩・成功していかないのですよ。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

 

私は、普段は素直とは言い難い性格を持っていますが、ことピアノに関しては、付いた先生方が皆、日本でも超一流の立派な音楽家でいらした(←ここは大事)ということもありますが、上手になりたいただ一心で、仰る言葉の一つ一つを必死に聞いて、一心不乱に努力してきたように思います。

 

少し話は変わりますが、音楽高校時代には、中山靖子先生、都立藝術高校の大和先生(靖子先生からのご紹介でつけた先生)、それと同門で素晴らしい先輩でもある若い先生にも下見で見て頂いたこともありましたが(1週間に3レッスン)、同系列の先生方でも、楽譜の箇所によってはちょっと違うことを仰る時があるのですね。

そういう時には、どうしようか一瞬困ったけれども、「そうだ3種類出来るようになれば良いんだ」と思って練習し、それぞれのレッスンで弾き方を変えた思い出もあります。いちいち「靖子先生はこう仰ってます」とか言わずに、どれも全部素直に聞いて、全部できるようにした。

それが後々、演奏の際の余裕になったような気がしました。

同じ系列の先生だから、そんな大きな違いというわけでなかったから出来たことですが。

 

それで思い出した!

人間国宝になられた柳家小三治さんのエッセイ集で読んだのですが、小さん師匠と他お二人の計三人に同じ噺の稽古をつけてもらったけど、三者三様で形が違うと。小三治さんも、三種類全部違うように噺せるようになさったらしいのですが、その噺を初めて本番にかける時、ふと見ると楽屋の火鉢の周りにその三人の師匠が揃っている、と(笑)。

エッセイでは、「よく分からなくなっちゃって、ふあ~~っと誤魔化して終わらせた(?)」というようなオチでした。

 

先生や師匠の教えは素直に聞いて、まずはそれをできるようになっておいて損はないよ、というお話でした。

学校でも仕事場でも、ある程度は言えることだと思います。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

マリーローランサンの作品。

パリ、オルセー美術館にて。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

昨日、ニューヨークは急に23℃まで気温が上昇しました。

 

レッスンが終わって外に出ると、まあ、暖かいこと!

吹く風も肌に心地よく、久しぶりの感触でした。

 

近所ですが、街にも人がこぞって出てきている感じがあり、例によって、ちょっとでも暖かくなると「途端にノースリーブ」「途端にヘソ見せTシャツ」「途端に短パン生足」の、日本で言うところの《調子乗りのおっちょこちょい》族が湧いてくるのがアメリカです(笑)

日本だったら、いくら一日だけ23℃になったとはいえ、まだ2月であるということは踏まえて、若い人でもここまではしないだろうなあ、と国民性の違いに思いを馳せます。

 

「突然の春、または初夏の陽気」のギフトは一日ぽっきりで、今日からまたシングル(二ケタいかぬ)気温に逆戻りです。

おまけに今日から3日続けて雨だとか。

 

でも、気付いてみれば、息をするのも怖いほどの厳寒の日々には終わりを告げ、このところ確実に暖かくなっています。

日の長さに関してはもっと顕著で、午後5時には真っ暗だったのに、今の5時はまだ日が沈んでいなくて明るいです。

 

と、この記事を書いているのは、わりと早朝で、朝6時半に始めた大量のランドリーが9時前には終わるという、個人的には「朝から達成感」の良き日です(笑)

 

日本の皆様も寒暖差にはお気を付けてお過ごし下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

これもマティス。

パリ、オルセー美術館にて。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

フェイスブックを少しやっていますが、そこで「仕事」をする気が無いので、

関係する人数を意識して多くしようとしていません。

 

ブログやフェイスブックを「仕事の方で何か良いこと無いかしら」という気持ちでやっていないのは、

私にとっては、精神衛生上、とても良いことなんですね。

これで活動を告知して広めて、人集め、ひいてはお金集め、というのは、私には、なんだか世知辛いという感じで苦手なんです。

 

始めからSNSをお仕事目的でやっていらっしゃる方は、それは全然良いと思います。

私は、苦手、というだけで。

 

少し前の話になりますが、どなたもがご存知のかつてのスター歌手の方が、いろんな方を交えてのお食事会にたまたま参加されたことがあります。

友人知人が公平に(?)集まった夕食会であり、「そのスターの方を囲むファンの会」というのではなかったのですが(ファンが囲む会ならわかります)、とにかく、どの話題もどの話題も、ご自分のこと「ばっかり」に持っていき、自分をセンターに置かないと気が済まないご様子に、感心し呆れたことがありました。

そこにいる人達全員が、特にその人のファンというわけでもないことには、思いは巡らないんだろうか?

特に「今度の舞台」「今度のコンサート」「今度のテレビ出演」など、告知と宣伝が常に会話に混ぜられ、途中から、「何でこんな話ばっかり聞かなきゃならないんだ」と疲れを感じたことがあります。

 

極端に「自分大好き」の性格だからスターになったのか、スターになったから「自己宣伝ばっかりの会話」になるのかは分かりませんが、

良いお年をして、「私は、私は・・・!」と何だか貪欲で獰猛な感じ。この人は50年以上も、こんな姿勢で生きてきたんだ。

ちょっとは「他人の誰かに話を向ける」「皆が平等に楽しめる話題を選ぶ」という当たり前のことが出来ないのか、みっともないなぁ、と。

 

そんな芸能界ほどでなくても、私のいるクラシックの世界も「次の舞台の宣伝と人集め」は恒ですよね。

公私混同で、常に自分の舞台に来てくれ来てくれ、と人に宣伝し続ける人を見るのは、なんかしんどいです。

 

人によっては、昔の友人が集まるクラス会に自分のCDを大量に持参して、「即売会」さながらのことをする、と(陰では)悪評の高い人もいるようです。私は、出身校が都芸、藝大と、それぞれ優秀な音楽関係者たちが友人なので、そんなことは思い付きもしません。

かといって、じゃあ、狛江二中のクラス会でCDの即売会をするかと言ったら・・・・・、絶対しないよなあ。

何でもチャンスと商売に結び付けようとすることを平気で出来る人か、時と場合で躊躇、遠慮する人か、の違いでしょうね。

 

と同時に、矛盾するかもわかりませんが、時折、昔からの友人達の次のコンサートの連絡が少し遠慮がちに流れてくるのは、嬉しい気持ちなんですね。

 

ま、程度問題ってことなんでしょうね。

 

今日もお読み頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

節分の日に

マティスの絵。 色も配色も綺麗。

パリ・オルセー美術館にて。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

節分ですね。

昔は、ニューヨークのこのアパートでも、「一人豆撒き」を形だけしていましたが、今はもう、海外でその手の行事を細かく追う体力気力がなく(笑)、無事に過ごせていることに心の中で感謝するのみです。

 

12月、1月は、風邪やインフルエンザで体調はガタガタ、レッスン以外はずっとベッドの中、という感じの暮らしでした。

ようやく昨日、丸々二カ月以上ぶりに、仕事帰りに1~2軒、洋服などのお店に立ち寄ることができました。クリスマスやお正月直後のバーゲンも全ミスし、今のお店は、ほぼ見るべきものは何っにもない感じの状態(とりあえず商品で埋まってはいるけど)ですが、それでも久々なので、「何かないかな~」と見て歩くことを楽しみました。冬の洋服の売れ残りよりも、その中で少しでも「春先に着られそうなもの」に目が行きました。

 

今はこんな厳寒でも、あと2カ月たてば、スカートを履く気分になる季候になるかしらん?

それまでは、レギンス+長ブーツ+ダウンコートの「十年一日のごとく」の真冬コーディネートが続きますね。

 

お洋服の購入に期待の持てない時は、小物やお化粧品を見るのも楽しい。

ふと立ち寄った、ティーンの人達が楽しむような安いコスメのお店で、え?てな値段のリップグロスと小さな化粧ポーチを買いました。

カフェでコーヒーを飲むくらいのお値段で、結構チョイスが豊富なモノだと感心しました。

大昔、大好きだった(元)義母が、私と一緒に外出するたびに、「あなたと一緒だとヤングちゃん(死語 笑)のお店に堂々と入れるから楽しいわあ」と、渋谷や自由が丘の若い人用のブティックで、活き活きしてらしたのを思い出しました。

 

今の私は、あの時のお義母さんの年齢くらいなんだな。光陰矢の如し。

そして、沢山の大好きな人達がこの世からいなくなってしまいました。

 

楽しいことをしていても、ふと、無くした人の事を思い出さない日はありません。

前だけを見て猛進してきた(若い)日々は戻らないですね。

 

同世代で、《年齢はただの数字》という人がいますが、私には違和感の大きい言葉です。

一年一年経験を重ねる年齢が、「ただの数字」のわけがない。

歳を取ることを恐れている人やいつまでも若く見られたい人が「実年齢の数字の大きさ(笑)」を見ないようにするために作った言葉だと思っています。私は、(年齢を自分から人様にわざわざ言いませんが)自分の年齢は結構しっかりと受け止めて、「実年齢に恥ずかしくない中味の自分」にしたいと心中では思っています。

そういう意味で、《年相応》は、私の中では好きな言葉です。

 

久々に書いてみたら、まとまりのないツラツラ文になってしまいました。

 

お読み頂いてありがとうございました。

 

 

 

 

新年1月2日、マンハッタンの朝陽。この時、氷点下13度くらい。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

2018年 明けましておめでとうございます。

 

ニューヨークは昨年のクリスマスの日から始まりましたが、過去30年経験したことのない「長い期間の厳寒」状態です。

朝晩だけ、または数日程度の臨時的な-5~10℃というのは、もちろんよくありましたが、2週間以上にわたって「24時間氷点下」、そして最高気温でも-3℃、最低で-17℃くらい。しかしそれだけじゃなくて体感温度は-20℃よりも低い、なんていう激烈な寒さは、私は初めてです。

 

初めてと言えば、七草粥の頃、生まれて初めてインフルエンザに罹りました(幼少期のことは覚えていないので、記憶のあるうちの人生内ということですが)、というかまだ後半戦で完全復活していません。

今迄グズグズと風邪を長引かせて悩まされていましたが、全く別物なんですね。

あれ?と思う間もなく、最初っから40度までぎゅいいいい~ん、と熱が上がり、日頃低体温の私の身体とは思えませんで、体温計を3度見しました(笑)

これほどの高熱も、10歳以上では出した記憶が無いので、まさに五十数年ぶりの経験で、その後も39度が三日続いてから落ち着き始めました。高熱と入れ違いに、エグいとしか表現できない咳が始まりました。

こうなってしまうと、医者としても何もできないらしく、市販のものよりいささか強めの同じ種類の処方薬と「いっぱい液体を取って、眠り倒すこと」という指示だけで返されました。

調べたら、日本で売られたり処方されたりしている同じものの実に3倍から6倍の威力のものです。

日本人の私がこんなの飲んで大丈夫か、と一瞬思いましたが、屈強なアメリカの大男が三日はノックアウトされる威力の菌なのだから、これを飲むのは正しい、と思い直して服用しています。

 

新年一発めの出来事が、外気も体内も、生まれて初めての経験をしているので、面白いと言えば面白いです。

 

日頃自力では出せない高熱が出ることで、それまで体内に、グズグズとはびこっていた悪めの菌を死滅させることが出来たなら、それはおめでたい話です(笑)

 

さあ、問題はこれからの回復力です。

私は、いつもこれが一番の問題点なんだなぁ。

 

日本もお寒いでしょう?

日本の一軒家は特に寒いんですよね(最近のは知らぬが)

みなさまも、どうぞお気をつけになって下さい。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

Henri Gelvex の作品(1886) 。

パリのオルセー美術館にて撮影。

当時のパリの華やかなオペラハウスの様子ですね。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

ハリウッド映画の大物プロディーサー、ワインスタインが長年に渉るセクハラや暴行疑惑で、映画界を除名・追放されることになったニュースは、沢山の有名女優の名前が出てきたこともあって大きなニュースになっていましたね。

数十年に渉ってのセクハラが、何故今頃になって出てきたんでしょう? それも、尋ねてもいないのに芋づる式に「私も」「私も」と名乗り出た女優たちの数にも驚きました。

有名女優は、無名の時には言わなかった、言えなかったんですね。

何故その時に言わなかったのでしょう・・・・・

 

その時には「そうしてまでもその役や仕事が欲しかったから」で、今は、多数のうちの一人として名乗り出ても、得た名誉や収入には影響がないから、なのでしょうね。

 

だからね、汚らしいワインスタインが悪いのは当たり前なんだけど、今迄口を閉ざして、にこやかに彼といろんな写真に収まっていて、今になって口をとんがらかして告発している女優達だって、「当時の取り引き」に応じたのならば大して変わらない質の人達なんですよ。

 

私にも、ここまでパワーを主張されたのではありませんが、同じような趣旨の経験がありました。魅力的なお仕事と引き換えにそーゆーことを匂わされた経験は山ほどありました。

33歳でカーネギーでリサイタルデビューしてから、その後、30代は結構多かったです。

中には、私が大変尊敬していたピアニスト兼有名教授から、というのもあって驚愕、そして大失望したこともあります。

 

大したキャリアではありませんが、私のピアニストとしての人生で一つ大きく誇りを持って言えることは、常に自分の出来得る最大量の練習で臨んだことと、仕事の飛躍のためのその手の誘いを一切利用しないでやって来たことでしょう。

 

タクシー内で急に握ってきた手を驚いて咄嗟にはねのけて、殆ど決まっていたコンクール審査員の話が無くなったこともありました。

力とお金と人脈を持った男は、必ずそれを不必要にちらつかせます。

時には毅然と、時にはやんわりと避けて逃げた後、友人に報告した時に、その都度よく言われました、「この誘いを受け入れてたら、享子さん、どんなに(ビッグに)なってただろうね」

 

私は「そういう誘い”込み”」の仕事話は、どんないいお話に見えても、どんなに大きな舞台でも、「真っ当な仕事の話じゃない」ので魅力を感じませんでした。私自身に、いわゆる「スケベ心」(あわよくば有名になろう、あわよくば高い金を貰おう)が一切無かったのです。

ピアノの実力だけで取れない仕事は、「取れない仕事」なのだという気がありました。

ですから、迷いもなくスッと避けて、そして翌日には大々的に(笑)、私の友人知人には知らせました。特に黙ってはいませんでした。

自分に疚(やま)しいことがないのと、御縁が切れても平気だという気があるので、すぐに口外できたのだと思います。

 

それでも、私には、カーネギーデビューをオファーしてプロデュースして下さった、恩師・大平和登先生を始め、その後も、いろんな方がスポンサーになって下さって(お仕事の、です。生活の、ではなく)、育てても下さり、当たり前に健全に沢山のお仕事をさせてもらえました。

母が、仕事に恵まれる私を心配して疑って、ある時「そういう人達と妙なことになっていないでしょうね」と言われた時には、ビックリでした。

あなたこそ自分の娘をそんな風には育ててないでしょ、見損なうな、という気持ちでした。

そんなことまでしてピアノ弾かねーわ、という気持ちもありました。

 

私程度の規模のピアニストと、世界的な仕事が出来るハリウッド女優と比べるな、と思う方がいらしたら、分かってないな、と思います。

規模の問題じゃないんですよ。

そういう考えで動くか動かないか、の違いだけなんです。

 

またの機会には、私が、お仕事に関する人間関係について気を付けてきたことをお話しいたしますね。

 

お読み下さいましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日は、ショパンのワルツのレクチャーでした。

淡くて深い薄クリーム色の薔薇が綺麗に開いてくれました。

 

久々にお目にかかるグループの方々。新メンバーもお連れ下さり、これからも愉しくなりそうです。

その後のランチは、ずっとタイ料理一辺倒だったのですが、贔屓のお店が突然閉じてしまって、皆で落胆😞 

近くのインドレストランへ。

 

楽しくお喋りするうち、とても良い条件で観劇できることをお知らせ下さった方がいらして、それじゃあ、一緒にオペラに行きましょうということになりました。

 

長く住みついて暮らしに埋没している私より、数年で帰国なさる方々の方が活動的で、情報量も比べ物にならないほど新しくて豊か。いつも感心します。

 

まずは《トゥーランドット》が決まりましたバフッ!

しばらくは、MET三昧(?)になるかな。

 

音楽で繋がるご縁は幸せですト音記号Wハート

 

 

 

この8月に亡くなったヘティさん。

私のうちに初めて来てくれた時に撮ったもの。

この時は6年くらい前かな。光陰矢の如し。

 

いっつも綺麗だったな。

 

自宅で倒れているのが見つかって、病院の後に老人ホームに入ったのが今年4月。

4か月ちょっとで天国に旅立ってしまうとは、友人知人、誰も予想がつきませんでした。

私がホームを初めて訪れた時、ヘティさんは私を私と認識していないまま話し始めました。しばらくしてピアノの話が出た時、「キョーコというピアニストがいてね」と彼女の口から名前が出たので、「ヘティ、私がキョーコよ」と言ったら、目を見開いて「Are you?」(あなたが・・・?)としばらく私を凝視した後、脳にスイッチが入ったのか私と分かり、その3秒後、顔が見る見るうちにゆがんで涙が頬を伝い,

「(私達は一緒に)楽しい時を過ごしたね、楽しかったね」と。

 

自分の人生の楽しい時はもう終わってしまってここ(最期の場所)にいる、という自覚。

私も、すっかり変わってしまったヘティさんと一緒に、時は戻って来ないことを改めて悲しく辛く感じていました。

 

初めての出会いは1994年くらい、カーネギー小ホールの2階席には私とヘティさんしかいない閑散とした音楽会でした。

休憩時に私がくしゃみをして、彼女が「Bless you」(お大事に)と言ったのがお付き合いの始まりでした。

 

 

下の写真は、ヘティさんの自宅で。彼女はピアノが弾けないので(でも、ピアノの前でのポーズがお気に入り)私が、本番前などによくリハーサルに弾きに行っていました。彼女は近所のお友達を呼んで「サロンリサイタル」にしてくれました。

 

その後は、きまってヘティさんのお料理を頂きます。

お味のセンスが抜群の人で、どれもこれも美味しいお食事でした。

何でもできる人だけど、生涯独身で。死後の管理は一番長く付き合っていた元恋人の男性。常日頃、聞いてはいたけど、初めてお会いしたのが、ヘティさんの悲しい埋葬の日でした。

 

チョーカーが彼女のファッションポイント。綺麗なレースのものが多かった。

 

彼女は年齢を決して言わなかったけど、私の父と同じくらい(1928生)だったと思います。オランダから一人でニューヨークに来て、オランダに帰りたいと言いながらニューヨークで一人で死んでいきました。生活を楽しむことがとても上手な人で、音楽会に、美術展に、映画に、機会を得ては、よく出かけていた人でした。

 

よく働き、きっと素敵な恋もしたことでしょう。(元恋人の人は、素敵なロマンスグレーの大変誠実そうな紳士でした。なんとその後の結婚で得た立派に成人した子供達3人を連れて墓地まで来ていました)棺が2本の紐で少しずつ地下に下ろされていく時(ああ、あの深さたるや!)、彼の背中は嗚咽で震えてて、子供達が支えていました。時を経ても、ヘティさんを大切に想っていたことがよくわかりました。

 

明るくて話し好きで、どこででも気安く笑顔で人に話しかけるヘティさん。お花に、子供達に、若い人達に、ポジティブなものを見つけては「綺麗ねぇ」「可愛いわねえ」「素敵ねえ」と声を上げ、幸せそうに笑うヘティさん。

一方で、国際情勢は常にメディアで確認し、政治の話で丁々発止の議論をするヘティさん。母国オランダの王室と仲の良い、日本の皇室に常に興味を持って、私によく質問をしてきたヘティさん。

 

私のことを何故か本当に大事にしてくれたヘティさん。

その温かさにどれだけ救われたか!心から感謝しています。

 

”Isn't it lovely?” (素敵じゃない?)

彼女からよく聞いた言葉です。

 

一生涯忘れることのない人です。

 

 

私のニューヨーク生活で、大事な存在だったヘティさんの想い出を記録として書いてみました。

 

お読み下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

気付いたら

テーマ:

うちのインテリアってずっと変えていないということに

最近になって気付きました(笑)

 

割といろいろと考えて凝った時期もありました。

今のピアノが入った頃に、それに合わせて一応今の形が出来たのですが、それがしっくりしてしまって、「変える」という気持ちになったことがなかったのでしょうね。

 

ピアノの部屋は、どうしてもピアノがメインなので、あとは限られてしまいます。ピアノの下の敷物だって、そうおいそれと替えるわけにもいかないし、そうなると、もう枝葉も大体決まっちゃう。

 

昔、知人が、「人がランチョンマットやカーテンを変えるのはなんで?」と尋ねられてちょっと驚いたことがあったのですね。

つまり、「清潔であれば同じものでいいじゃない」と。

彼女は日本人で、芸術の分野をかじっていた人でもあったので、

芸術をやるものらしからぬ「合理的な感じ」に驚いたのでしょうね。

 

季節感とか、気分とか、ランチョンマットくらい、カーテンくらいは変えるのは楽しいことじゃない?と答えましたが。

 

ランチョンマットは気分に依っていつも変えますが、そういえば、カーテンも(お気に入りとはいえ、洗濯するとはいえ)長いこと、同じものを吊り下げてるなぁ。 昔は、もう少しだけ頻繁に変えていたような気がする。

 

写真は、メトロポリタン美術館内のお店で買ったトレイ(真ん中)とお皿2枚を組み合わせました。

このトレイは一目惚れでしたが、買ってみたら大きくて、トレイとして使うよりも飾っちゃった方が毎日見られる、と壁に掛けました。

 

これもいつ頃飾ったのか、記憶にありません(笑)

飽きていなくて、まだそのままです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同門のお友達、水谷ちかこさんが、ニューヨークに遊びにいらっしゃいました。

 

彼女のお兄様は東京藝大音楽学部長の、ピアニスト・迫昭嘉先輩です。ちかこさんも、長年ピアノを教える経験から、ピアノ学習者にとって最も大事で難しい、脱力することに重きを置いた、手の正しいフォーム作りを手助けする道具(魔法のマジックボード)を新たに開発なさり、全国のお教室に招かれてご活躍中です。

 

恩師、故・中山靖子先生も、こうやって姉妹弟子が仲良くなっていくことを喜んで下さっていると思います。
 

ちかこさんがご自身のブログに、ニューヨークのことと私のことを書いて下さいました。

私の所有するピアノの歴史なども書いて下さっていますので、ご興味のある方は、どうぞお読み下さい。

 

《弾丸NY 音楽家編》

https://ameblo.jp/chikako-san1128/entry-12316891036.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----chikako-san1128_12316891036