どうする家康のネタバレとオタクの戯言が含まれております
閲覧は自己責任にてお願いします
本能寺の変へ向けての仕込みの回
信じるのは己ののみと信長と、家臣を信じて委ねる家康の対比がより明確に表現されておりましたね

於愛の方と息子達との逢瀬の後に、木彫りの兎を観ている家康の姿が辛い……

於愛の方はふたりの息子を産んでいます
長丸が後の秀忠、福松が後の忠吉です

信康は亡くなり、お万が産んだ息子はお万が正式な妻でなかったため、長丸が嫡子となりました

閑話休題

安土城で家康を待つ信長に、光秀は毒を盛る事をそれとなく仄めかすが信長はスルー

緊張からなのか、なかなか饗応の品に手をつけない家臣団の中、もりもり食べてる直政(万千代)が可愛い

淀の鯉を警戒する家康に「食わんで良い」と言う信長
それに対して光秀は「三河の田舎者」と……信長にとっての禁句(笑)を言ったもんだから、激しく殴打されてしまう

このくだりは「鯉が腐っていたのを知った信長に殴打された」光秀は信長に殺意を抱いた、という通説を取り入れたもの

どうする家康の信長は、家康を貶めた事に怒った、という設定になりました
まああれだけ「俺の白兎」言っていたらそうなりますわね

そもそも戦国時代関係なく、主賓である家康を貶める言葉発したらダメだろ、光秀w
しかもまだ本人近くにいるのに……

#麒麟が来る とのギャップに戸惑うタイムラインですが、こっちの光秀の方が実像に近いんじゃないだろうか

領民には慕われていた光秀でしたが、一方では上にのしあがるためには手段を選ばない一面があったと、ルイス・フロイスの日本史に残されています

オープニング画面は「鯉」
本能寺への最後のトリガーとなった淀の鯉でしたw

接待役を解任された光秀は、備中高松城を攻略中の秀吉の元へ援軍に行くよう命じられてしまいます

信長は失敗を許さない
ですが、若い頃は敵対した柴田勝家を許しているなど寛容な側面も見せていました

が、晩年になると猜疑心が大きくなったのか些細なミスで厳罰にするようになってしまいます
あまりにも短気で怒りっぽい信長は高血圧だったんじゃないか、という見解もあるんですよ

光秀は謝罪のために家康を訪れ「信長様が2人きりで会いたい」と伝え、家康は受諾


そしてふたりきりになってからのやりとり

妻子の敵討かと揶揄され、思わず狸の皮が剥がれて感情的になってしまう家康

信長は「そんな感情、とうに捨てたわ」と
それだけ多くの人の命を奪ってきたのだと

誰よりも業の深さを自覚している信長は、その覚悟を家康に問いかける

破壊よりも破壊後の創生の困難さを説き「俺の側に居て支えろ」と言う信長に対し家康は「弱いから出来る事がある」と返す

「弱き兎は狼を喰らう」 
「ならばやれば良い」

ちょっと!信長様!
あっさり了承するなよ!

腐のフィルター越しじゃなくても「お前になら殺されても良い」にしか見えん!

どんだけクソデカ感情+届かない愛なんだよ!!

#夏の祭典に薄い本が出るのは間違いない←


古沢脚本お得意の回想挿入により、信長の幼少期があきらかになりました
信長には異母兄がいたんですが、生母の身分から嫡子は信長へ
それ故に厳しく育てられた描写が挟まる

回想の中で子供たちが誦じていたのは中国の十八史略から「臥薪嘗胆」
与えられた屈辱を忘れないように薪の寝台で寝る、苦い肝を舐める、その末に復讐を果たすというお話です

つか、それ信長よりも家康の方が当てはまるのでは?
とふと思ったりもするが


秀吉は陣内でそろそろ(信長が)居なくなってくれんかな……と笑顔で語る

でも、それは利がないとも分かっている
主君殺しは大罪だから、割に合わない

ただ、中国攻めが膠着状態の今、自分の身も危ういので居なくなってくれた方が都合がいい

うん、秀吉ゲスいなw
そのゲスさ加減が嫌いじゃない←

信長は僅か100の供を連れて京都本能寺へ入ります
それだけ都が平和であるアピールをしているとも取れますが、油断を誘うという一面も

信長が逆に本能寺で家康を殺そうとした、という説もあるのですわ
ややこしいなぁ(ヤメナサイ

ちなみに本能寺のすぐ近くに茶屋四郎次郎の屋敷があったのは史実です
だからこそ、家康は信長の横死の報を速やかに受け取り、伊賀越えという決断を下せたとも言えるでしょう

本能寺の変はあまりにもあっけなく信長が亡くなっている事から、昔から黒幕説が多数唱えられていました

説明するのも面倒なくらいに諸説入り混じっているので、時代考証担当の小和田先生や平山先生の解説も楽しみです

その辺は次回の講釈で!!