介護とは死にむかう家族を通して生と死を学ぶ時間じゃないのかな。


人はいつかは死ぬのです。
それがある日突然なのかじわじわと老いていくのかはわかりません。人それぞれですから。


うちの姉は、婚家で義母の介護の真っ只中にいます。話を聞くと「それ、職場でもあるわ」と思うことばかり。嫁である姉の負担が大きくて、どこも嫁の立場って低いなと思わざるを得ません。


自分を一生懸命育ててくれた母親なのに。
簡単に嫁に介護を押し付けるのはなんでだ?

仕事をして稼がないとは分かります。
でも出来ることはあるよね?


姉の話を聞くにつけ、我が家の両親が健在でしかもふたりとも元気に車の運転をしているのが奇跡だよなぁ……って思うのです。


長年介護施設で働いている間に、様々な老いと死を見てきました。
そして介護に携わる家族の姿も。


中々現実を受け入れられない家族。
自宅介護に疲れきってしまい、入所させたら足が遠のいてしまう家族。
兄弟間、親子間がギクシャクしてしまう家族。

自分達も年老いていくだけに親の介護が年々負担になっていく現実。

自宅で頑張っている家族もいる反面、まだ在宅でいられる親を簡単に施設に入れてしまう家族もいる。


必要な介護サービスを必要な人に提供するには、制度の見直しが必須なんですけどね。
お偉いさんはそれが分からんのですよ。


最近、同僚からこんな話を聞きました。

「以前勤めていた所でさ、娘さんがお母さんの介護を最後までしたいと言われてね。それこそ70キロ近い体重が18キロになるまで頑張ったの。ご主人はこんな姿になって……って愕然としてたけど、娘さんはやりたいことをやり切った!って満足していたんだ」


18キロって言ったら骨と皮しかない状態。
あばら骨は浮き、お腹もぺたんこになり、自力で動くことすらままならないです。


彼女はこうも言ってました。


「桜花さん。家族が納得するまでトコトン付き合うのも、ひとつのやり方なんだと思うんだよね」


それが介護する、親を看取るということ。
死を乗り越え、精神的な意味で生まれ変わる。


アプローチの仕方はひとつではありません。
家族の数だけ、悩みは存在するのだから。

自宅で看るでもいいし、施設に預けるという選択肢でもいい。

ですが、家族の老いと死から目をそらさないでください。
いずれは自分達も通る道なのですから。


我々職員はあくまでフォロー役。
家族の代わりにはなれません。


ですが、悩みや愚痴を聞くことはできます。
出来る範囲でお手伝いをします。



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