ナビに、行きたい場所は入れてる。
なのに走り出すと、
いつもの交差点で曲がってる。
目的地は画面に残ってるのに、
車は別の道を走ってる。
そんな経験ない?
私は、時々やっちゃうんだけど、
口で言う「したい」も、同じなんだだよね。
好きなことで起業したい、とか。
集客できるようになりたい、とか。
口からは、立派な願いみたいに出てくる。
なのに、そのために手を出す段階になると、
理由が先に出る。
時間がない、まだ早い、今は準備、って。
準備も、忙しいも、やってることは確かにある。
動画も見るし、ノートも取る。
ただ、出すところだけ、理由がつく。
勉強は「したい」の顔をして、
出さない自分を守ってる。
口で名前を出してるものには、
手が届いてない。
そのくせ、
他のやりたいことはやれている。
見たい番組は最後まで見る。
気になった店には行く。
返したい連絡は返す。
動けない人、じゃない。
動かしてる先が、口と違うだけなんだよ。
他の用事が終わるのは、
そっちの方が楽だからじゃない。
そっちの方が、
今の自分が欲しいものだから。
一日の中で先に手が伸びるものが、
本当に望んでるものなんだよ。
人は誰でも、
いちばん先に置きたいものを、
先に動かしてる。
言い訳が続く「したい」は、
先に置いてない。
看板にしてるだけなんだよ。
本当に願ってるものなら、
言い訳の隙間にも、
少しは手が伸びてる。
手が伸びてないなら、
願ってる顔をしてるだけ。
だから、動けって話じゃない。
口と手が、別のものを
追ってることに気づこうよって話。
失敗したくない、見られたくない、
夢のまま置いておきたい。
そっちの方が、先に守られてる。
行きたい方向は見えてるつもりでも、
手は守ってる方へ出てる。
看板の「したい」を追い続けると、
自分の一日は別の用事で埋まっていく。
楽しめてないのは、足りないからじゃない。
口の願いと、手が選んでるものが、別だから。
満たされないまま、
やりたいことを口にし続けることになる。
だから、今見るのは、集客の手順じゃなくて。
口の下で、自分が何を望んでるのかだよ。
ハンドルがどっちに切れてるかを見れば、
今日なにを先に選んだかは出てる。
そこに、本当に望んでるものがいる。
口の「したい」を、
もう一回信じ直さなくていいから、
手が出てる方を、見て。