生活に、大きな不満はない。
仕事も回っているし、
人間関係も、まあまあうまくやれている。
なのに、胸のあたりに、
説明できない「何か」が引っかかっている。
その感覚、ありませんか。
空調の効いた部屋で、
季節を感じないような状態なんです。
暑くもない。寒くもない。
快適といえば、快適。
でも、風の匂いも、季節の移り変わりも、
何も届いてこない。
外では笑っているのに、
中身だけが、ずっと季節外れ。
違和感ってね、
頭では説明しにくいんです。
「何が不満なの?」と聞かれても、答えられない。
だって、不満は、ないんだもん。
あるのは、不満じゃなくて、違和感。
この二つは、まったくの別物です。
不満は、原因を指させる。
違和感は、指させない。
だから、「考えすぎ」にして流しやすい。
そして、ちゃんとしている人ほど、
流すのが上手いんです。
「恵まれてるのに、贅沢だよね」
「みんなこんなものだよね」
「気のせい、気のせい」
こんなセリフ、
心の中で言ったこと、ありませんか。
その違和感こそ、
感覚の入口なんですよ。
正しさでは測れない。
理屈でも説明できない。
でも、体はもう気づいている。
「この生き方、
どこかが自分と合っていない」って。
違和感は、あなたの感覚が
まだ死んでいない証拠なんです。
むしろ喜んでいい。
センサーが、ちゃんと
動いてるってことだから。
そしてもうひとつ、
大事なことを言います。
流した違和感は、消えません。
後回しになって、積み重なるだけ。
一年分の「まあいいか」は、
「なんとなく疲れた」になり、
五年分の「まあいいか」は、
「毎日が薄い」になり、
十年分の「まあいいか」は、
「これ、私の人生だっけ?」になる。
私は、この積み重なりの怖さを、
自分の人生でも、セッションでも、
数え切れないほど見てきました。
みんな、大きな事件で
人生を見失うんじゃないんです。
小さな違和感を流し続けた結果として、
静かに、見失っていく。
じゃあ、どうするか。
違和感を全部言語化しろ、
なんて言いません。
そもそも、違和感は
言葉になる前のものだから、
無理に言葉にしなくていい。
やってほしいのは、これだけ。
違和感が来たら、「来た」と認める。
「あ、今、なんか引っかかった」
それだけ。
原因を特定しなくていい。
対処もしなくていい。
「まあいいか」でフタをする代わりに、
「引っかかったね」と、受け取っておく。
受け取られた違和感は、積み重なりません。
ちゃんとその場で、役目を終えていく。
窓を開けるのはね、それからでいいんです。
空調の部屋に、少しだけ外の風を入れる。
季節を感じる瞬間を、少しずつ取り戻す。
その最初の一歩が、
「違和感を、流さない」なんです。
今日、何かが引っかかったら——
流さないで、受け取ってあげてくださいね。