正しい道を歩いている。

周りから見ても、問題はない。

なのに、心が満たされない。

 

 

この状態をね、

私はよくこう例えるんです。

 

 

借り物の靴で走り続けている、って。

 

 

サイズは、だいたい合っている。

見た目も悪くない。

ちゃんと走れてもいる。

でも——

自分の足の形には、合っていない。

 

 

だから、走れば走るほど、

どこかが少しずつ、すり減っていく。

私は、これが

「人生のズレ」だと思っています。

 

 

自分の感覚より、

誰かの期待、正しさ、

役割を優先し続けた結果。

 

 

努力不足じゃない。

能力の問題でもない。

履いている靴が、

自分のものじゃなかった。

 

それだけなんです。

 

 

じゃあ、なんで

借り物の靴を履き続けてしまうのか。

理由は簡単で、

その靴、最初は誰かが「良かれ」と思って

差し出してくれたものだからです。

 

 

親が用意してくれた「安定した道」という靴。

学校が教えてくれた「正解」という靴。

世間が褒めてくれる「ちゃんとした人」という靴。

 

 

どれも、悪意なんてない。

むしろ愛情だったりする。

だから、履かない理由がなかった。

 

 

そして、ちゃんとしてきた人ほど、

借り物の靴でも上手に走れてしまうんです。

これが、厄介なところ。

 

 

走れているから、気づかない。

止まっていないから、疑わない。

評価も、そこそこ取れているから、

「これでいいはず」と思い続ける。

 

 

でも、心のどこかで知っている。

アクセルは踏んでいるのに、

自分がどこへ向かっているのか、

わからないって。

景色が、ずっと変わらないって。

 

 

「誰の人生を生きているのか」

 

 

この問いはね、怖い問いです。

だから、みんな避ける。

忙しさで塗りつぶしたり、

「考えても仕方ない」でフタをしたり。

 

 

でも、

この問いを避けるほど、ズレは深くなる。

 

 

10年後に気づくより、

今日気づいた方が、

絶対にいい。

 

 

命の時間は、有限なんだから。

安心してほしいのは、

全部捨てろ、という話ではないこと。

 

 

仕事を辞めろとか、

家族を置いて旅に出ろとか、

そんな劇的なことは、要らないんです。

 

 

やることは、もっと小さい。

一日に一回、自分の足で選ぶ。

それだけ。

 

 

みんなが頼むランチじゃなくて、

自分が食べたいものを頼む。

 

「普通こうだよね」の前に、

「私はどうしたい?」を一秒だけ挟む。

 

疲れたら、疲れたと言ってみる。

 

 

小さすぎるって思いました?

でもね、借り物の靴を脱ぐのって、

一歩目からしか始まらないんですよ。

 

 

そして、自分の足で選んだ一歩は、

たとえ小さくても、

ちゃんと自分の人生としてカウントされていく。

 

 

その積み重ねの先で、

ある日ふと気づくんです。

 

 

「あ、景色が変わってる」って。

 

 

満たされなさのほどき方は、

もっと頑張ることじゃない。

自分の足に、戻ること。

 

 

今日の一歩から、始めてみてください。