決めなきゃいけないとわかってる。

頭ではわかってる。

でも、動けない・・・

 

 

時間だけが過ぎていって、

決められない自分に焦って、

また苦しくなる。

 

 

そういう経験、ありませんか?

 

 

転職するかどうか。

この関係を続けるかどうか。

このままでいいのかどうか。

 

 

大きなことじゃなくてもいい。

 

 

今日の返信をどうするか。

この誘いを受けるかどうか。

そんな小さなことでも、

「決めなきゃ」と思った瞬間に

なぜか苦しくなる。

 

 

これ、優柔不断でも、

意志が弱いわけでもないんです。

 

 

苦しくなる理由が、ちゃんとある。

 

 

「決めなきゃいけない」という言葉の中には、

実は二つのプレッシャーが同時に入っています。

 

 

一つは、

正解を選ばなきゃいけない

というプレッシャー。

 

 

もう一つは、

選んだ結果に責任を持たなきゃいけない

というプレッシャー。

 

 

この二つが同時にのしかかってくるから、

人は「決める」という行為を

無意識に重くしてしまうのです。

 

 

しかも厄介なのが、

正解かどうかは、

決める前にはわからない、

ということ。

 

 

 

わからないまま決めて、

責任を持たなきゃいけない。

 

 

そりゃ苦しいですよ。

 

 

でももう一つ、

苦しくなる理由があるんです。

 

 

それは、

「決める」ことを、

「何かを失う」ことと

セットで捉えてしまっていることです。

 

 

転職を決めれば、今の安定を失う。

関係を終わらせれば、その人を失う。

何かを選べば、選ばなかった方を失う。

 

 

だから決められない。

 

 

失いたくないから、

どちらも手放さないまま、

宙ぶらりんのまま、

時間だけが過ぎていく。

 

 

でも一つだけ、

視点を変えてみてほしいことがある。

 

 

決めないことも、

一つの決断なんです。

 

 

決めないまま今日を過ごすことを、

あなたはすでに選んでいる。

 

 

どちらを選んでも、

何かは動いている。

 

 

そう考えた時、

「正解を選ばなきゃ」というプレッシャーが、

少し変わってきませんか。

 

 

正解かどうかは、

決めた後にしかわからない。

 

 

だから本当は、

正解を選ぼうとしなくていい。

 

 

今の自分の本音に、一番近い方を選ぶ。

 

 

それだけでいい。

 

正解じゃなくて、本音。

 

 

その基準に変えた瞬間、

「決める」ことの重さが、

少しだけ変わってくる。

 

 

完璧な決断なんて、

誰にもできないんです。

 

 

ただ、

今の自分が一番納得できる方を選ぶこと。

 

 

それが、本音で生きるということだと、

私は思っています。