今朝、目が覚めると、
窓の外からたくさんの
野鳥の声が聴こえてきました。


チチチ、ピィピィ、ホーホケキョ。
いくつもの声が重なって、
まるで小さなコンサートのようでした。


その声を聴きながら、
ぼんやりと思ったのです。
この声は、毎朝ここにあったんだなって。


私が気づいていなかっただけで、
ずっとここにあったはず。


気づく前と、
気づいた後では、
世界が違います。


野鳥の声は、
今日突然始まったわけではない。


昨日も、一昨日も、もっと言えば
何年も何十年も前から、
毎朝同じようにそこにあったはずです。


でも何かに気を取られていたら
聴こえません。


頭の中がすでに
今日のタスクでいっぱいの朝は、
聴こえないでしょう。


昨日の出来事を引きずっている朝も、
聴こえないでしょう。


聴こえていないのではなく、
受け取れていなかっただけです。


自分の本音も同じです。


本音はいつもそこにあります。
でも頭の中が雑音でいっぱいの時、
その声は聴こえなくなってしまいます。


自然は、何も求めはいない。
野鳥たちは、私に何かを
求めているわけではありません。


聴いてほしいとも、
感謝してほしいとも思っていない。


ただそこに存在して、
自分の声を精一杯出して、
今日という朝を生きている。


その姿が、なんとも清々しくて。


人は毎日、
誰かの期待に応えようとして、
何かを証明しようとして、
誰かに認められようとして
生きているように思います。


でも野鳥たちは、
ただあるがままに、
今この瞬間を生きている。


ありのままで生きるとは、
こういうことなんですよね。


朝の数分が、一日を変えます。


野鳥の声を聴きながら
気づいたことがあります。


この声を受け取れている朝は、
心が静かです。
頭の中が整っています。
今日という一日を、
丁寧に始められる感覚があります。


でも、バタバタと起き上がって
すぐにスマホを見て、
情報の渦に飛び込む朝は、
一日中どこか落ち着かないでしょう。


それは、朝の数分の質が、
その日の自分の質を決めている
ということです。


だから、
目が覚めてすぐに、
何かをしなくていい。
誰かに連絡しなくていい。
情報を取りに行かなくていい。


ただ、窓の外の音に
耳を澄ませてみてください。


風の音でも、鳥の声でも、
遠くの街の音でも。


今この瞬間、ここにある音を、
ただ受け取るだけでいいです。


その数分が、
自分の本音と繋がる時間になります。


自然はいつも、
ヒーリングを用意して待っています。


特別な場所に行かなくても、
高いものを買わなくても、
窓を開けるだけでいい。
朝の空気を吸うだけでいい。


自然は毎朝、
何も求めずにそこにいます。


ただ受け取るだけでいい豊かさが、
いつもそこにあります。


あなたは今朝、
窓の外の音を聴きましたか。


明日の朝、目が覚めたら一度だけ、
耳を澄ませてみてほしい。


きっとそこに、
今日一日を穏やかに始めるための
ヒーリングが静かに待っています。