自由になりたい。

多くの人がそう言います。

 

 

でも実際に自由を手にした時、

なぜか足がすくむ。動けなくなる。

むしろ不自由だった頃の方が

楽だったと感じることさえある。

 

 

それはおかしなことではありません。

なぜなら自由とは、

本質的に怖いものだからです。

 

 

自由とは、

すべてを自分で引き受けること。

 

 

不自由な状態には、ひとつの安心があります。

 

 

決められた枠がある。

従うべきルールがある。

誰かの期待に応えるべき役割がある。

 

 

その枠の中にいる限り、

選択の責任は自分だけにはかかりません。

 

「仕方なかった」

「そういう決まりだから」

という逃げ道が残されています。

 

 

でも自由になった瞬間、

その逃げ道が消えます。

 

 

何を選んでも、

自分が選んだということになる。

 

 

うまくいかなくても、

誰かのせいにできない。

 

 

自分の人生のすべてを、

自分で引き受けなければならない。

それが、自由の怖さの正体です。

 

 

長い間、檻の中で生きてきた鳥を

想像してみてください。

 

 

ある日、檻の扉が開きます。

外に出られる。

 

 

でもその鳥は、

すぐには飛び立たないことがあります。

 

 

扉の前でためらう。

時には檻の中に戻ろうとする。

 

 

これ、

おかしいと思いますか。

でもこれは、自然なことです。

 

 

檻の中には、餌があった。安全があった。

明日も同じ場所にいられるという確信があった。

 

 

でも外には、何もない。

どこへ行けばいいかもわからない。

自分の翼で飛べるかどうかもわからない。

 

 

人が自由を前にして足がすくむのも、

これと同じことなのです。

 

 

慣れ親しんだ不自由の方が、

未知の自由より安心に感じる。

 

 

これは弱さではなく、

人間の正直な反応です。

 

 

自由を怖いと感じる時、

そこには必ず「自分への不信頼」があります。

 

 

自分で選んで、本当に大丈夫だろうか。

自分の判断を、信じていいのだろうか。

失敗した時、自分は立ち直れるだろうか。

 

 

その問いに自信を持って答えられない時、

自由は重荷になります。

 

 

逆に言えば、自己一致が深まるほど、

自由は怖くなくなっていきます。

 

 

自分の本音を知っている人は、

自由を与えられた時に迷いません。

 

 

何を選ぶべきかではなく、

何を選びたいかが、

すでに自分の内側にあるからです。

 

 

自由を使いこなせる人とは、

自分を信頼できている人です。

 

 

自由は、与えられるものではありません。

 

 

あなたは、自由は、

誰かから与えられるものだと思っていませんか。

 

 

環境が変わったら自由になれる。

あの人がいなくなったら自由になれる。

お金さえあれば自由になれる。

 

 

でも外側の条件が整っても、

内側が変わっていなければ、

人は自由を持て余します。

 

 

また別の檻を自分で作り始めます。

新しいルールに従い始めます。

別の誰かの期待に応えようとし始めます。

 

 

自由とは、外側の条件ではなく、

内側の在り方なのです。

 

 

自分の本音を知っていること。

その本音に従って選べること。

選んだことへの責任を、

静かに引き受けられること。

 

 

その三つが揃った時、

人は初めて本当の意味で自由になれます。

 

 

怖くても、自由を選んでほしい。

自由が怖いことは、

正直に認めていいのです。

 

 

怖いまま、それでも選ぶこと。

その選択の積み重ねが、

自由を使いこなせる自分を育てていきます。

 

 

不自由の中の安心を選び続けることは、

命を誰かの枠の中に預け続けているのと

同じことです。

 

 

あなたの命は、誰かが決めた枠の中で

使うために与えられたものでしょうか。

 

 

自由は怖いです。

でもその怖さの先にしか、

本当にあなたらしい人生はない・・・