「もう少し準備ができたら、始めよう。」

 

その言葉を、

何度繰り返してきたでしょうか。

 

 

完璧な準備が整う日を待ち続けている間も、

時間は流れています。

 

 

そして気づけば、

動けない自分に嫌気がさして、

また自信を失っていく。

 

 

でも少し立ち止まって

考えてみてほしいのです。

 

 

その「完璧な準備」は、

本当に必要なものでしょうか。

 

 

それは、動くことへの恐れを

正当化するための

言い訳になっていませんか。

 

 

準備が整っていないと動けない。 

失敗したくない。 

中途半端な自分を見せたくない。

 

 

その根っこにあるのは、

多くの場合「どう見られるか」

という外側の基準です。

 

 

完璧じゃない自分を認められたくない。 

批判されたくない。 

恥をかきたくない。

 

 

でもそれは、

自分の本音から動いているのではなく、

他人の目線から動いていることになります。

 

 

これは自己一致から、

どんどん遠ざかる生き方です。

 

 

私が無料のメール講座を

作っていた時のことです。

 

 

途中までしか書けていない状態で、

配信をスタートすることがよくありました。

 

 

そこには、私なりの基準がありました。

 

 

ここまで書き進めれば、

読者さんに追いつかれることなく

書き上げられる。



そう思えた瞬間に公開します。

 

 

最後まで書き上げてから配信したとしても、

結局後でアップデートすることになります。

 

 

どれだけ時間をかけて仕上げても、

完璧な状態なんてないのです。

 

 

大事なのは「完璧かどうか」ではなく、

「これは自分が本当に届けたいものか」

という、内側の基準でした。

 

 

その基準さえ満たしていれば、

あとは動きながら整えればいい。

それが私の自己一致の形です。

 

 

「完璧じゃないと動けない」の正体

 

完璧を求めることは、

一見まじめで誠実に見えます。

 

 

でも実際は、外側の評価を基準に

動いている状態であることが多いです。

 

 

誰かに認められるレベルになってから。 

批判されない状態になってから。 

恥ずかしくない自分になってから。

 

 

その基準は、

自分の中から生まれたものでしょうか。



それとも、

誰かの目線から生まれたものでしょうか。

 

 

自己一致とは、外側の基準ではなく、

自分の内側の声に従って動くことです。

 

 

完璧かどうかではなく、


「これが今の私の本音か」


を問うことです。

 

 

完璧じゃなくていいのです。

ただ、自分に問いかけてほしい。

 

 

「これは、今の私が本当に届けたいものですか。」 

「これは、命に誠実な一歩ですか。」

 

 

その問いにYESと答えられるなら動いていい。

動きながら整えていけばいいのです。

 

 

他人の目線が基準になっている時、

人は永遠に準備し続けます。

 

 

でも自分の内側が基準になった時、

人は不完全なまま静かに前へ進めます。

 

 

完璧な準備が整う日は来ません。

でも、自分の本音に誠実な今日は、

いつでもそこにありますよ。