ずっと、動けなかった。

 

 

頭ではわかっている。 

このままじゃいけないって。 

変わらなければいけないって。

 

 

でも足が、動かない。

 

 

「もう少し準備してから」 

「もっと条件が整ったら」 

「誰かにお墨付きをもらってから」

 

 

そうやって、また一日が過ぎていく。

 

あなたにも、そんな経験がありますか?

 

止まっていたのは、

臆病だったからじゃない

 

私はずっと自分のことを

「決断できない弱い人間だ」と思っていました。

 

 

踏み出せない自分を責めて、 

また責めた自分を慰めて、 

そしてまた責めて。

 

 

でも、ある時気がついたんです。

 

 

私が動けなかったのは、

臆病だったからじゃない。

 

 

「失敗したら終わり」という思い込みを、 

ずっと信じ込まされていたからだって。

 

 

親に言われた言葉。 過去の経験。 周りの目。

 

 

気づかないうちに、

それが私の中の「ルール」になっていた。

 

 

「慎重にしなければ、傷つく」 

「完璧じゃないと、認めてもらえない」 

「失敗したら、もう取り返せない」

全部、誰かから借りてきた恐れだった。

 

「決断できない」のではなく、

「決断を怖れていた」だけ

 

ここ、大事なので聞いてください。

 

決断できない人なんて、

本当はいないと私は思っています。

 

 

だって、私たちは毎日

何百もの決断をしているんですから。 

 

 

今日何を食べるか。 

誰に連絡するか。 

どの道を歩くか。

 

 

小さなことは、当たり前に決められる。

じゃあ、なぜ「人生の決断」だけ止まるのか。

 

 

それは、

「その選択が本当に自分のものかどうか」

が、わからなくなっているからだと私は思う。

 

 

誰かの期待に応えようとして選ぶのか。 

世間の正解に従って選ぶのか。 

それとも、自分の命が

「こっちだ」と言っているから選ぶのか。

 

 

その違いが、わからなくなっている。

だから怖い。 だから止まる。

 

私が自分を信じて動けたのは、

ある問いに出会ったから

 

正直に言います。

 

誰かに背中を押してもらったわけでも、

すごい言葉に感動したわけでもない。

 

 

ただ、ある時ふと自分に問いかけたんです。

「このまま死んでも、後悔しない?」と。

 

 

それは、静かな問いでした。 

でも、逃げられなかった。

 

 

「後悔する」

 

 

即答でした。

 

言い訳も、条件も、「でも」も、

何も出てこなかった。

 

 

ただ、「後悔する」という答えだけが、

静かに、確かに、そこにあった。

 

 

それが私の答えだった。 

誰かに承認してもらう必要のない、

私の命が出した答え。

 

一歩踏み出すのに、

準備は要らなかった

 

踏み出した後にわかったことがあります。

 

 

それは、

準備が整ってから踏み出したわけじゃなかった。

ということです。

 

 

踏み出したから、

初めて足場ができた。

 

 

準備を待っていたあの時間は、

本当の意味での準備じゃなかった。 

 

 

ただ、怖れを

先送りしていただけだったんです。

 

 

完璧な条件なんて、永遠に来ない。 

完全な保証なんて、誰も持っていない。

 

 

それでも動けたのは、

「命基準」で答えを出したから。

 

 

誰かに認められるためじゃなく。 

失敗しないためでもなく。

 

 

ただ、

このまま生きることのほうが、

もっと怖かったから。

 

 

今、あなたは何かの決断を前に

止まっているのかもしれないけれど、

責めなくていい。 急がなくていい。

 

 

ただ、一つだけ聞いてみてください。

 

 

「その迷いは、誰の恐れですか?」

 

 

あなた自身の恐れですか。 

それとも、誰かから借りてきた恐れですか。

 

 

もし少しでも

「借りてきたかもしれない」と思ったなら、 

それはもう、あなたが気づき始めている証拠。

 

 

覚醒はいつも、静かに始まります。

大きな感動の瞬間じゃなく。 

ただ、自分に正直な

一つの問いへの、正直な答えから。

 

 

あなたの人生の決断権は、

最初からあなたにある。

 

 

誰かに渡す必要はない。 

誰かの承認を待つ必要もない。

 

 

それは本当に、あなたの望みですか?

 

 

その問いを、今夜静かに

自分に届けてみてください。