Facebookからの【5 days gratitude】その3 | 【北海道から心と体に笑顔と元気を★】心理学を基本にした講座・カウンセリング Ala Poplus & 手作り石鹸 葉っぱや!

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虎っちをすぐ保育園にいれて働くことを考えたいたのですが、
もちろん認可保育園は虎っちが産まれた日にちが微妙だったため断念。
無認可保育園に今すぐ入れてまで仕事するのはまだ先なので、
今のところは一時保育やベビーシッターさんにお願いしながら活動していくことにしました。






こんばんは。
松前 葉子 @ 葉っぱです。


まだ続いてる

【5 days gratitude】

です。

毎日3つ、今現在感謝していることをFacebookに書きだし、最後の日に次の3人の方を指名します★

3日目

2日目は「人との出会い」がテーマとなりました。
人との出会いが自分の成長の糧ともなりました!
今日は3日目です。

1) 20年前に起きた阪神・淡路大地震の際に気づかされましたことに感謝します。

20年前の1月17日はわたしはアメリカにいました。
その日はわたしの20歳の誕生日。
大学の同級生に、

わたしの誕生日は良くないことが起きることが多いんだよね。

と言いながら、テレビをつけました。
テレビの画面では、炎と暗闇と建物の崩壊された画像が流れてました。
ちょうどスペインのニュース番組で、テロップにはJaponと書かれていましたが、
本当に日本なのか、日本のどこなのか、何が起きてるのかが
スペイン語だったためわからず、スペイン語を話す友達に慌てて電話をしました。

翻訳してもらって、日本人の同級生と愕然としながら、体の震えが止まりませんでした。
理由は二つ。
一つは自分の国でこんな恐ろしいことが起きたことに受け入れられなかった
自分がいました。
二つめは、神戸から来ている同級生がいたからです。

神戸から来ている同級生に伝えなければいけないと思い連絡をしましたが、
同級生は留守。
当時は携帯などなかったので、同級生を探しにみんなで車数台でちらばり町中、
探し回りました。
彼女を見つけ、彼女に伝えるとき、震えが止まりませんでした。

日本に今から帰ると泣き叫ぶ彼女をみんなで抱きしめながら止め、

今帰っても、心配と迷惑がかかるだけ。
空港だってどうなっているかわからないよ。

と言いながら、まるで自分に言ってるように何度も繰り返し言い続けました。

彼女がご家族と連絡とれたのは地震が起きてから10日後のこと。

当時アメリカに住んでいたわたしたちは1年に1度、
アメリカにある日本領事館より手紙がきました。
自分たちに何かあったら、アメリカ国内での緊急連絡先を記入しなければいけないのです。

そのときいつもわたしも含めみんな、一瞬切なくなる時でした。

本当なら家族の連絡先を書きたい。
でも家族はアメリカにいない。
なので、日本人同級生同士の連絡先を書いてました。
毎回確認をして。

自分に何かあったら、よろしくね。
連絡先として書いていいかな。
何かあったら、家族への連絡もよろしくね。

と。

阪神・淡路大地震で、改めて「家族」について、みんなで考えさせられました。
いざというときに家族の側にいられない、
行けないことを覚悟させられた気付き。
自分たちは遠く離れている家族に対してどう何を考えていけばいいのか、
などたくさん考えさせられました。

わたしが今こうして日本にいるのは、あの時に考えて出した答えがあるからです。

この大地震のときに、当たり前だと思っていた家族、日本に対して、
たくさん考えること、気づかされたことに感謝します。



2) 2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の際に気づかされたことに感謝します。

当時、帰国し働いていたわたしの携帯にたくさんの人から電話がなりました。

テレビ見て!
英語わかるんだから、ケーブルテレビのCNNニュースを直接見て!

と。

ニュースを見ながら、頭が真っ白になりました。
慌てて、ニューヨーク、ペンシルバニア州にいる友達に連絡をしましたが、
誰とも連絡を取ることが出来ませんでした。
わたしはテロがおきたところに以前住んでいたのです。

ただ祈ることしか出来なく、自分に訪れる「感情」にただ驚きました。

アメリカで心理学や倫理をメインとして学んできました。
人の感情についてもです。
死についての学びもしてきました。

授業では授業として学び、自分の知識の一つとして得ていたのですが、
悲しみから怒り、憎しみ、無気力にやるせなさなど、
今まで感じたことがない感情が自分の中に駆け巡ってました。

学びを通して、どうしたらいいのか、どう受け止め、どう進んでいくのか、
わかっていたはず、知っているはずなのに、自分がその感情の渦中にいると
どんなふうになるのか、嫌でも体感させられました。

テロ後、ワールドトレードセンターの跡地に何度が訪れ、祈りました。

自分の中で戦いや憎しみ、恨みがこんなに湧き出て来るものだと知りませんでした。
悲しみと憎しみの連鎖を感じました。

この事件を通して、新たな自分を知り、自分の中にある恐ろしい感情や
想いを知ったことに感謝します。



3) 東日本大地震の際に気づかされたことに感謝します。


わたしはこの日外勤でした。
突然の揺れを感じ、慌てて会社に戻りましたが、携帯も使えない、
ネット環境が落ち、電話も北海道以外は繋がらなかったので、支社を閉め、
自分を含めみんなを家に帰しました。
この日はわたしの親友の誕生日で待ち合わせの時間も場所も決めてないのに、
携帯もつながらない中、親友に会えたことに奇跡を感じました。

テレビでは恐ろしく、信じられない光景ばかり放送され、
そのエリアに住む知人やその家族の安否をひたすら待ちながら、
祈ることしか出来ませんでした。

わたしはこの地震を通して、自分が日本人であることにますます誇りに思いました。
また、絆や思いやりというものに、言葉ではなく実感したうえで
感じることが出来ました。

そして、自分の行動力に遭遇しました。

わたしはこの震災後の三週間後、現地に行きました。
まだ仙台空港があいてなかったので、羽田空港からレンタカーでまだ穴があいたり、
ひびがはいってる高速を夜中走りました。
高速を爆走中に携帯に鳴り響く地震警報が鳴るたびに、
サービスエリアにはいり、ガソリンスタンドを見つけるたびに給油もしました。

現地の人に迷惑ならないように、自分のものをリュックサックにいれ、
ヤクルト某支社さんから買い占めた野菜ジュースや犬達のご飯や
お菓子を詰め込み、現地にいってきました。

まだ余震などで危ない状況での判断だったので、両親や家族に言えず、
スタッフに万が一のためにわたしの保険証書や遺言書のようなものを託して行きました。

募金を募り、動物緊急支援物資を集め現地に送っていたのですが、
いてもたってもいられなかったことと、日本人としてその場をこの目で見たく、
また諸事情により自分の故郷でもあるその土地に行けない親友のため、
親友の家族にも直接何かしたく行ってきました。

二日間だけボランティアもしてきました。
でもわたしには腰と首にヘルニアがあるため、
瓦礫撤去などのお手伝いは出来ないので、動物の面倒は
動物を飼ってる人じゃないと面倒がみれないとおもい、
動物ボランティアとして、獣医さんたちがボランティアで
オープンしてるところにお邪魔をし、犬たちのボランティアもしてきました。
石巻市役所や避難所にも物資を届けたりしてきました。

動物のために募金を募ったり、活動していると、

動物のことより、人命が優先だろ

という厳しいお言葉もいただいたし、
その反面、知らない人からお金や物資を託され、
その方々が思う想いを託されたこともありました。

いろんな方と出会い、いろんなものをこの目にし、感じたこともたくさんありました。

この震災を通して、言葉では簡単に表現は難しいですが、
暗闇から見える力強さと光を感じることが出来、
今まで自分が言葉や単語として知っていたものが、
リアルに感じることが出来たこと、自分が出来ること、
出来ないことも気づかされたことに感謝します。



今日あげたこの三つは感謝という言葉に当てはまって書くことは
不謹慎なことではないかと悩みました。
震災や事件を通して、自分の大切な方を亡くされた方もいらっしゃるし、
悲しいこと、辛いことでもあり、わたし自身、そのようなことが起きました。

でもそれらによって気づかされ、自分を知り得たことには
ある意味わたしは今後の自分、今のわたしにとって糧となってることも多いと思い、
忘れてはいけないことでもあるので、気づかされたことに感謝する、
という言葉で自分の胸に刻み込みたかったのです。




まつまえ