初夏なのに秋の気配ですか♪

(春なのにお別れですか♪のオマージュ😆、そしてオフコース「秋の気配」♫)



相手の心変わりより、自分の心変わりの方が切ない瞬間がある。

それは恋愛かもしれない。

仕事かもしれない。

推しかもしれない。

信頼が崩れる痛み。

人は余裕がなくなると、どうしても残酷になる時がある。

もちろん、わざと傷つけようとしている訳ではない。

ただ、自分のことで精一杯なのだ。

だからこそ厄介だ。

相手は傷つけていることに気付かない。

傷ついた側も事情がわかるから責めきれない。

そうして痛みながらも気付かない振りをして、そっと離れる選択をする。

怒りではない。

恨みでもない。

ただ、自分の心を守るための静かな選択だ。

そんなことを考えていた。

卵パックを苗床にしていたレモンバームとトゥルシー。



まだ小さな双葉だから、プランターへの植え替えは早いかなと思っていた。

けれど、いざ移そうとしてみると、思いのほか根が深く伸びていた。

見えている部分は小さく、か弱く見える。

それでも土の中では、しっかりと根を張り、自分なりに育っていたのだ。

人も同じなのかもしれない。

周りから見れば昨日と何も変わっていないように見えても、見えないところでは少しずつ根を伸ばしている。

だから、今まで心地良かった場所が窮屈に感じたり、無理をして合わせることが苦しくなったりする。

それは誰かが悪い訳でも、自分がわがままになった訳でもない。

ただ、根が育ったのだ。

根が育てば、今までの鉢では狭くなる。

それは植物にとって自然なことだし、人の心にも起こる自然の摂理なのだと思う。

秋の気配とは、誰かが去っていく気配ではなく、自分の心が次の季節へ向かい始める気配なのかもしれない。

そう考えると、少し気が楽になる。

それから、刈った草たちを枯れ草にするために土間のコンクリートに並べた。


青々と育つ時期もあれば、枯れる時期もある。

けれど、枯れた草は終わりではない。

土を守り、水分を保ち、やがて分解されて次の命の養分になる。

枯れ草マルチで循環する。

人の経験も同じかもしれない。

うまくいかなかったこと。

離れていったもの。

手放した役割。

傷ついた出来事。

それらも無駄にはならない。

いつか土に還り、次の根を育てる養分になる。

だから私は、無理に春へ戻ろうとは思わない。

初夏なのに秋の気配ですか♪

そう思ったけれど、季節を間違えたのではなかった。

ただ、私の根が育っていただけなのだ。



ちなみに、私のパステルアート教室の屋号「メリッサの葉」のメリッサとは、レモンバームのことです🌿


花言葉は、

「思いやり」 「同情」 「共感」


人は自分の人生しか生きることができない。

大切な人が苦難に見舞われても、代わりに背負うことはできない。


できるのは、思いをやることだけ。


そして、自分のことで精一杯なら、思いをやることすら難しくなります。


だから私は思う。


誰かを思いやれる状況こそが、実は恵まれているのだと。


今日植え替えたレモンバームとトゥルシーは、まだ小さな双葉だけど、その小さな姿からは想像できないほど、根はしっかり伸びていました。


今は頼りなく見えても、 植物には育つ力があります。

人もきっと同じように。


そして半年後には、 たくましく生い茂っていることでしょう😊








近頃、ハーブや薬草を種から育てています🌿



マロウ、ローゼル、レモンバーム、トゥルシーバジルなどなど。

写真は発芽したばかりの小さな苗たち。 双葉が開き、本葉が顔を出し始めています🌱



ありがたいことに、親戚から畑を貸していただきました✨
その畑は枯草を活かした堆肥づくりを続けている場所で、自宅から徒歩1分ほど。

水は我が家の地下水を運んでいます。

田舎だからこその贅沢かもしれません😃


機織り場の前には、少しずつ薬草やハーブを植えていく計画です🎵


整った庭というよりは、雑味のある庭。
ローズマリーがあり、 レモンバームがあり、 ミントがあり、 その時々に咲く花や草がある。

もちろん開運植物まみれにします♥️


風が吹いて、 蝶が来て、 人もふらりと立ち寄る。

そんな風景を思い描いています😊


けれど、きっとイメージ通りにはなりません。

植物は思うように育たず、 思いがけない草が生え、 時には枯れ、 また新しいものを植える。

ずっとトライ&エラーを繰り返す、 まるで「インスタレーションアート」のような場所。


完成形を目指しているわけではありません。
なにせ、むしり取るために生やしているのですから(笑)
お茶になったり、 草木染めになったり、 足湯や蒸し風呂小屋で活躍したり。
摘み取られ、使われ、また育つ。

そんな循環の中にある庭です🌿


小さな芽が育っていく様子を楽しみながら見守っています。

いつかこのハーブたちが活躍してくれる日を夢見て。


そんなに遠くない未来の話。






名古屋からの帰路も、私は犬山方面から岐阜を横断して帰るルートがお気に入り。
この道は山沿いを走るので、いわゆる都会感がない。

犬山城と木曽川、そして山肌の岩壁。
それだけで観光気分が満たされる🏯✨
三車線に入れば流れもスムーズ。
次回寄りたい場所を横目にギラギラ眺めながら走るのがまた楽しい(笑)🚘️

今回は岐阜の伊奈波神社へ。
山の麓から坂道を上がっていく神社で、眺めも良く、長い歴史を感じる場所だった。
まず駐車場横の境内社を見て吹き出す。
「岐阜東照宮」
ブッ😆
また出た。
戦国時代の徳川方の雑兵だったという我が守護霊チーム。
毎回どこかで「葵の御紋」を見せてくる。
絶対ナビしてるやろ🤣

関ヶ原を通るたびに何かしら徳川関連に当たる気がする。
今回はそのまま関ヶ原へ向かわず、揖斐川の上流へ。
金糞岳を回って木ノ本へ抜けるルートを選んだ。
これが大当たりだった✨
とにかく山深い。
深すぎる。
道路脇から麓の川が全く見えないほど深い緑に包まれている。
新緑の季節ということもあり、
山全体が生命力に満ちていた。

途中の駐車場で車を降りると、
濃厚な森林の香り。
あの瞬間だけは写真では伝わらない。
思わず深呼吸したくなる空気だった。

奥いび湖(横山ダム湖)の景観も見事だった。
山の上の方なのに、これほど豊かな水が蓄えられている。
その景色を眺めながら、
「そりゃ伊吹山麓の泉神社から大量の湧き水が出るわけや」
と妙に納得する。

山が蓄えた水が、
長い時間をかけて麓へ流れていく。
自然の循環ってすごい✨

本当なら日本一の貯水量を誇る徳山ダムまで行きたかったけれど、今回は反対方向。
名残惜しいけれど、
楽しみは次回に残しておく。
旅は全部回らない方がいい。
次の理由になるから😊

木ノ本へ抜け、
奥琵琶湖を眺めながら小浜方面へ。
熊川宿で少し長めの休憩。
朝6時に出発しても、寄り道をたっぷり楽しみながら16時頃には丹後へ帰れる。
一般道の旅としては十分現実的な距離だ。
高速道路は時間短縮のために少しだけ使う。

でも、基本は寄り道優先🎵
パワースポット開拓もまだまだ続く予定である😆

母はいつも言う。
「こんな遠いところまで、何もないのにごめんね」
でも私は毎回こう返す。
「遊びに来たついでに、タダで泊まれるから来ましたぁ😊」

本当にそうなのだ。

母に会いに行く旅であり、
自分を整える旅でもあり、
未来の構想を育てる旅でもある。

だから往復の時間すら、もう旅の一部になっている🚘️✨



パート復職して、温浴事業へ応援へ💪


「なんでやねん?」
からの、

「どうせなら楽しく♫」


が私のモットーなので妄想しているうちに、

「あ💡我が家、地下水だからテントサウナ出来るわ👀‼️」


そして、まるで最後のピースのように

「田舎の住宅街の避難小屋🏚️+湯治場♨️構想」

が閃いてしまい、さらなる妄想がドミノ倒しで進んでいく……(笑)


そんな中、思わぬ三連休をGET🎵

一般道で丹後から名古屋へ向かう🚘️


4ヶ月休んでいたからお金も底をつきかけていて、引き落とし後の残高がこの間なんと


「797円」
これ、
「泣くな」
やん‼️

しばらく笑い転げる🤣


一般道で往来する利点は
・高速代節約
・好きなところで停まれる
・私がトイレ近い(笑)
・高架がちょっと怖い
・パワースポット寄り放題
などなど。

好きな音楽をかけて、ひたすら走る🚘️

もはやドライブセラピーです♫


今回の行きは
日本海側~敦賀市~米原~犬山方面から春日井市へ。

今の季節はどこも緑が美しく、田植え後の田んぼや山並みを眺めながらのんびり走る。


大好きな伊吹山麓の泉神社で湧き水を汲む

急がない旅っていいなぁと思う😊

途中立ち寄ったのは伊吹山の麓にある薬草園🌿

昔、染織技術科で草木染めを学び、丹後織物工業組合で調色の仕事をしていた私にとって、

薬草と染料植物はほぼ同じ世界✨


薬草園を歩いていると、
「これ染まるな」
「これハーブティーになるな」
「これウィスキングに良さそう」

と、ついつい職業病が出る(笑)


マロウやニッケイ、桑など、実際に見て触れて香りを確かめる時間はとても贅沢だった🥰


そして受付で見つけた薬草湯🌿♨️

最近の私には完全に刺さる🤣


伊吹薬草の里文化センターは日帰り薬草風呂あります

名古屋で母の様子を見た帰り道は岐阜方面へ🚘️

ドライブしながら、これから作りたい場所のことをずっと考えてた。


カフェでもない。
図書館でもない。
温泉でもない。
家でもない。
車中泊とも少し違う。
誰かと話してもいいし、
一人でボーッとしてもいい。
寝てもいい。
本を読んでもいい。

何もしなくてもいい。


そんな
「社会や家族や役割から少し離れる場所」

があったらいいなぁと思う。


最近つくづく感じるのは、人は壊れる前に避難する場所が必要だということ💡

仕事も。
家庭も。
人間関係も。

全部嫌になる日がある…


でも、完全崩壊する前に
少し逃げる
少し休む
少しサボる

少し役割を降りる


そんな場所があれば、案外また歩けたりする。
昔の湯治場や縁側や神社って、

そういう役割もあったんじゃないかな?


だから今私が作ろうとしている機織り場の再生計画は、
草木染め工房であり、
鑑定所であり、
避難小屋であり、

湯治場でもある。


何者かにならなくていい。
頑張らなくていい。
ちょっと疲れたら寄ればいい。

そんな場所。


そして旅をしていると分かる。
結局私自身が、

そういう場所を探しながら走っているのだろう。


だから寄り道ばかり増えるのかもしれない(笑)

今回もたくさんの緑と薬草と神社と山に出会えた旅でした🌿✨


次はどこへ寄り道しようかな🚘️💕




昭和の機織り場から始まる、
小さな避難小屋づくり


昔、機織りの音が響いていた場所があります。
油の匂いが染み込んだ床。
高い天井。
織機を動かしていた人たちの気配。

そこは舅と姑が一から築いた丹後ちりめんの自宅の機織り場。

私は、家族そして地域の歴史が染みたこの場所をただ綺麗にリフォームしたら台無しになるな💡 そう思いました。


目指しているのは、昭和の丹後の伝統産業を繋いだ古びたそのままを活かした「避難小屋」のような場所です。


(イメージ図)テント付コットでごろ寝

少しだけ、役割から降りる場所

名前。
役割。
肩書き。
家族内ポジション。
職場人格。

“ちゃんとしている自分”。


そういう履歴全部から、

一旦少し降りたい時がある。


今の社会は、
「ちゃんとしなさい」
「役に立ちなさい」
「成果を出しなさい」

が多すぎる気がする。


でも人間ってさ、

本来かなり不安定な生き物だよ。


気分に左右される。
季節や天候で変わる。
人間関係で消耗する。
突然動けなくなる。

理屈では説明できない。


なのに、
タイパ。
コスパ。
最短ルート。
生産性。
常に機嫌よく。

安定出力。


そんなものばかり求められる。

でも、この場所では逆をやりたい✨


何者でなくていい。

ただ在ればいい。


疲れたら横になってもいい。
ぼーっとしていてもいい。
黙っていてもいい。

脆く崩れていい場所。


「疲れた人が、気を使わずに居られる場所」

それが、私の作りたい工房です😊


メイクするのもしんどい。

誰かに合わせるのもしんどい。

ちゃんとするのもしんどい。

ただ、ふて寝していたい。

ぼーっとしたい。

頑張らずに御自愛したい。


男の人なら、

愚痴をこぼして呑んだくれて、風呂も入らず着替えもせず寝たい時、あるやろ(笑)

あんな感じの、女性の“サイレント版”みたいなもの。


「完全崩壊」の前に、小さく逃げる

人は、完全崩壊まで我慢すると、


人間関係

仕事

金銭

住居

心身

が連鎖的に壊れやすい。


でも、

小さく逃げる。

小さく休む。

小さくサボる。

役割を少し薄める。

それを自分に許せると、

意外と戻れる😊


だから私は、

車でふらっと移動する🚘️

一人時間を確保する。

“所属”を濃くしすぎない。

そんな暮らし方を大事にしています。


私がキャラバンしたいのも、この機織り場も、完全に壊れる前の“逃げ道”なのかもしれません。


昔はもっと、“中間避難所”があった

昔の日本には、実はこういう場所が沢山あった気がします。


湯治場。

縁側。

行きつけの店。

長屋。

神社の境内。

旅。

農作業の手伝い。

夜店や祭り。


完全に社会から離脱するわけじゃない。

でも、一度少し緩められる。


今は効率化されすぎて、

「壊れる前に少し抜ける」

が難しくなっている気がする。


だから私の作りたい場所は、

単なる工房やサウナではなく、

「完全に落ちる前に、少し人間に戻れる場所」


(イメージ図)庭先にテントサウナや薬草蒸しでリラックス


人生は「自分に戻る旅」

私は最近、

人生は「自分に戻る旅」なのだと思えてならない。

けれど、その“自分”は、

最初から完成しているものでもないのよね。


何気ない誰かの一言。

偶然読んだ本の一文。

通勤途中に見た景色。

土地の空気。

季節の匂い。

旅先で出会った風景。


そういう、出会ってきたものたちが、

少しずつ自分を形作っている✨


以前、茂木健一郎さんの本で心惹かれた言葉で

人は、“出会ったものの総体”として存在している」というのがあり、これがたまらなく好きなんです😊


人は環境や風土、人との関わり、偶然見た景色にまで影響されながら生きている…‼️✨


だからこそ、

「どんな時にどんな場所に身を置くか」は、

とても大切なのかもしれない。


雑味を許す空間

最近の綺麗すぎる空間は、時々少し疲れる。

だから私は、あえて雑味を残したい。


昭和の古道具。

ブリキの衣装ケース。

着物や帯。

草木染めした布。

干した薬草。

キャンプ用品。

少し歪んだ木材。

織機の油の匂い。

ピカピカではない。

でも、なぜか落ち着く。

そんな場所。


草木染め(くさきぞめ)もそうです。

完全均一には染まらない。

天候、水、植物の状態、媒染、布、温度。

色々なものに影響されながら、

毎回少しずつ違う色になる。


でも、その揺らぎが深みになる。

人間も同じなのだと思います。


ずっと元気な人なんていない。

ずっと優しい人もいない。

ずっと頑張れる人もいない。


だから私は、

「ムラがあるまま存在していい」

そんな空間を作りたい。


1人にも、仲間にもなれる場所

もちろん私は、地域の共同体の良さも知っているんです。


畑してたら声をかけてもらったり、

育て方を教えてもらったり、

物を分け合ったり。

そういう繋がりに、たくさん助けられてきました。

でも人には時々、


社会モード

家族モード

役割モード


から、一度離れる時間も必要なのだと思う。



それは怠けではなく、

睡眠みたいなもの。

眠るから、また動ける🐾



だからここは、


1人にもなれる。

仲間にもなれる。


閉じることも、

繋がることも、

どちらも許される場所。


そんな空間を目指しています。



何のために避難するのか?

では、何のために避難するのか?

それは、

明るく楽しく生き抜くため🎵

逃げ続けるためではなく、

ちゃんと笑って生きるため🎶


休み、緩み、回復し、

また人生へ戻っていく。


この機織り場は、

何かになるための場所ではありません。

「自分に戻る場所」です。


少し疲れた時。

少し世界がうるさい時。


ふらっと来て、

深呼吸して、

またそれぞれの日常へ戻っていく。



そんな小さな避難小屋であり、草木染め・アート工房であり、鑑定室であり、家族親戚友人が気兼ねなく集える多目的な場所🏚️



私はゆっくり育てていきたいと思っています♥️