先日、資産運用から120万円を引き出すことにした💰
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場所:リラ&カフェゆらり舘 2階
パワーストーン&開運グッズ販売
ただいま隠居の解体中で、なかなか落ち着いて皆さまとお会いする機会が持てずにおります。
今回は、プチ開運グッズから少し上質なブレスまで、まだお披露目できていない品をいろいろお持ちします😊
ブレスの紐が切れたり、ゆるんだり、色を変えたい方には、紐交換500円もおすすめです。
ぜひ、ふらっと見に来てくださいね🎵
そして今、わが家では隠居の解体が進んでいます。
壁を外し、天井を抜き、少しずつ家の中がほどけていくのを見ていると、
ひと一人がこの世から去るということの大きさを、改めて感じます。
ここには確かに、ひとりの人の生活があり、
日々があり、人生がありました。
その場所が今、少しずつ姿を変えて、
次の時間へと向かっています。
壊すことは、ただ無くすことではないのかもしれません。
残っているものを受け取りながら、
新しい時間を始めるための途中。
進んでいるのは嬉しい。
でも、今日はちょっと泣けました。
家族が暮らし、歳月を重ねた場所だものね。
その時間も抱えながら、
これから少しずつ、新しい場所へと育てていきます😊
先日、ものすごく面白いものに出会いました♥️
**裂織(さきおり)**です。

「もったいない」から生まれた、暮らしの知恵です。
私は職業訓練短期大学で染織技術科を卒業しています。
だから織物そのものは、まったく知らない世界ではありません。
しかもここは丹後。
家には古い丹後ちりめんの着物や布が、なんやかんやあります(笑)
それなのに今になって、裂織にこんなに心ときめくとは😍

きっかけは、なんと職場の愚痴(笑)
その流れで「何がしたいの?」と聞かれて、
「草木染め工房!」
と答えたら、
「じゃあ知り合いに裂織してる人いるから紹介するわ」
「ハイ!行きたいです!」
と即答。
裂織の工房に見学に行くと……
めっちゃすごい♥️
着物の柄の部分やプリントアウトした絵を、わざわざ5ミリほどの幅に裂く。
バラバラになった絵を順番に並べ、緯糸(よこいと)として一本一本織り込んでいく。
すると、織物の中にもう一度、着物の柄や絵が現れる。
なんじゃこりゃ✨✨✨✨
めっちゃ面白い~♥️
完成した絵を一度壊して、もう一度作る。
元の絵とまったく同じには戻らない。
少し揺らぎ、少しずれ、織物ならではの表情をまとって、別のものとして立ち上がってくる。
浮世絵をプリントした紙を裂いて織った作品までありました。
それを見て思いました💡
和紙に自分で絵を描いて、裂いて、織りたい♥️
もう完全にスイッチが入りました😍✨
私は織物を学び一通り知ってますので、単純に「手織りをしてみる?」と言われても、ここまで心は動かなかったと思います。
裂織だから心動いた。
古くなったもの。
使われなくなったもの。
端切れ。
着なくなった着物。
一度役目を終えたもの。
それを「もう要らない」と棄てるのではなく、
裂いて、組み替えて、別の役割を与える。
これって、ものすごく「ほとび場」やん!
と思ったのです😊
葉っぱのほとび場は、「人生の避難小屋」として作っていきます。
立派なもの、新品のもの、高価なものだけを集めた場所にはなりません。
家にあるもの。
昔から残っているもの。
防災にも使えるもの。
誰かにとっては役目を終えたもの。
そういうものを、今の暮らしに合わせて使い直す。
ほとび場に置くものは、できるだけ災害時にも役立つものにしています。
もし大きな災害が起きて、万が一、家主一家が全滅していたとしても。
近所の人が瓦礫をよけて掘り出して、
「これ使えるぞ」
と持っていってくれたら、それでいい😊
『生き延びろ』
ほとび場の根っこには、私のそんな願いがあります。
だから、古布を棄てずに裂いて、もう一度布として立ち上げる裂織は、驚くほどこの場所の思想と相性がいい🎵
「リサイクル」という言葉だけでは、ちょっと足りない。
元に戻すのではなく、前とは違う価値を持つものに作り替える。
アップサイクルです。
丹後に暮らして、
家に古い丹後ちりめんがたくさんあって、
昔、染織を学んでる。
草木染めをほとび場でやろうとしてて、
絵を描いていること。古いものを捨てずに使うこと。
防災を日常の中に組み込もうとしていること。
そして、裂織。
今までバラバラに存在していたものが、
点から線になって、線から面になってきた感じ!
人生って面白い😊
何十年も前に覚えたことが、思いもしなかった場所で、
「おーい、まだ使えるぞー」
と手を振ってくる(笑)
だったら使おう🎵
布に絵を描いてみよう。
和紙にも描いてみよう。
それをまた裂いて、一本一本並べて、織りの中でもう一度出会ってみよう。
ほとび場そのものも、きっと同じになる。
これまで生きてきて拾ったもの、学んだもの、失敗したもの、忘れていたもの。
それらをいったんバラバラにして、
必要なものを拾い直して、
もう一度、自分の手で織っていく。
点が線になり、線が面になってきた。
そのうち――
立体化するかもしれない🤣
小さくても、強い場所にしたい✨
「葉っぱのほとび場」は、自宅の敷地につくる小さな場所。
老後、夫婦2人で暮らすには持て余す敷地だけど、たくさんの人を集められるほど大きくもない。
細く、長く。
自分たちの暮らしを大切にしながら、必要としてくれる人に開いていけたらと思っています😊
でも、小さな場所だからこそ、経営については甘くしたくない。
情は厚く、契約は細かく、会計はシビアに。
人には優しくありたい。
困った時には助け合いたい。
でも、優しさと経営は別です。
「まぁ、自宅の敷地だし」
「夫婦だから人件費0で」
「赤字でも誰かの役に立ってるし」
そんな風に流して、お金や労力を曖昧にしてしまえば、いつか続けるのが無理になる。
「細々と続ける」は戦略。
「先細る」は衰退。
この二つは、似ているようで全然違うやん?
小さくても、無理なく自力で立っていること!
そのために、
収支を見る。
固定費を抑える。
赤字の期間と上限を決める。
家族の持ち出しを当たり前にしない。
設備投資を膨らませすぎない。
そして、自分が高齢になっても維持できるようにする。
土地も家も、お金も時間も、家族の労力も有限。
ここは親が築いた場所であり、いずれ子どもたちに残していく場所でもある。
だからこそ、大切に使いたい。
「儲けられるだけ儲ける」ような能力は私には無い(笑)
なので、
「無理なく続けられる仕組みをつくる」。
続かない善意より、続く仕組みのほうが、結果的には人にも優しいから。
大きさや派手さは要らんのや。
でも、簡単には倒れない場所にする!
ほとび場は「人生の避難小屋」。
避難小屋そのものが脆弱やったら、いざという時に誰も避難できへんやん🤣
だから、優しい場所をつくるためにこそ、経営はシビアでありたいと思う。
細くても、自分の足で立ってやる。
とはいえ、破竹の勢いはありません(笑)
今はひたすら、練る。
土から芽を出したら、虫に食われるかもしれない。
雨が降らんかも。
思ったより人が来ないかも。
光熱費が上がるかも。
設備が壊れるかも。
自分たちが動けなくなる日も来る。考えられる「最悪」を先に考えてみる。
名付けて、
「脳内経営ホラー体験」🧟🤣
開業する前に、脳内で事業をいっぺん臨死させる(笑)
「売れん!」
「壊れた!」
「金が出ていく!」
「私も動けん!」
……そこまで想像したうえで、
「で、それでも私はやりたいんか?」
と、自分に聞く。
それでも「やりたい」と思えたら、今度はどうすれば死なずに続けられるかを考える。
悲観して諦めるためじゃない。
最悪まで考え抜いて、現実ではそうならないように準備するため。
楽観して始めるんじゃなく、
悲観を一周してから、楽観的に始める。
脳内では何べんも閉店しかけてるのに、現実ではまだ建物づくりの途中🤣
でも私は、たぶんこのくらいがちょうどいい。
形にする前に、一度とことん考える。
そして、
「よし。それでもやる」
と思えたものを形にする。
焦って大きく育てなくていい。
まずは、ちゃんと根を張る。
そんな「葉っぱのほとび場」を、少しずつ育てていきます🌿
ほとび場になる、元・機屋の現在
綜絖の上の作業台へ続く階段。
夫も私も、子どもの頃はこんな階段に座っておやつを食べ、上へ行こうとして怒られました🤣
この階段と台は残す予定。
建物だけでなく、ここにある暮らしの記憶も次へ🌿

「嫌だ!」
理不尽な扱いを受けた。
納得できない。
傷ついた。
腹が立つ。
でも、「嫌だ!嫌だ!」と文句を言うだけで終わるには、ちょっともったいない😆
嫌だったことを掘り下げてみると、案外そこからザクザクと大切なものが出てくるのよ😊
まず、自分に聞いてみる。
お金?
時間?
仕事の内容?
損をしたこと?
案外、そこではなかったりします。
2,000円の話ではなかった
最近、私自身にもそんな出来事がありました。
一見すると、お金の話です。応援で職場が変わることで、18時以降に出ていた500円の手当がなくなる。
月に4回なら2,000円。
でも私、毎月2,000円を国境なき医師団へ寄付してんねん。
自分が納得している2,000円だから、気持ちよく出してる。
だから、2,000円が惜しかったんとちゃう。
私が引っかかっていたのは、
「人をどう扱うか?」
ということだった。
復職と同時に異業種への応援込みの労働契約で驚き、少し迷ったけども今まで一緒に働いてた人達とまた働きたくてOKした。
異業種と兼任ではあるけども、やりもしないで「出来ません」と言うのも何だかスッキリしないので、やってから決めようとも思いました。
けれども、定休日も給料体系も違う…
500円の手当ても確認したけど、返事がない。
人手不足だから他のスタッフにも自主的な応援を募っていたが誰も行きたがらない。
なのに、私だけ復職のタイミングで盛り込まれた…。
私は自分が尊重されてないように感じました。
つまり、
お金の問題ではなく、尊厳の問題だったのです。
私は、なぜこの職場を選んだのだろう
ムッカムカしつつも、
もう少し掘り下げてみることにした。
そもそも私は、
なぜこの職場で働いていたのだろう?
基本的に異動がないこと。
時間の融通が利くこと。一つの職場で、自分の役割を少しずつ覚えていけること。
医療について何も知らないところから始めて、7年近く働いてきました。
専門職ではありません。
それでも、自分にできることを少しずつ増やしてきた。
覚えるのが決して早い人間でもない。
ホントめっちゃ不器用。
だからこそ、一つ覚え、また一つ覚え、時間をかけて積み上げてきました。
覚えるのに、マジで人の倍かかってます。
私にとって、それが「ここで働く意味」でもあったのだと思います。
ところが、できる仕事が増えていくにつれて、いつの間にか意味が変わっていったのかもしれません。
積み重ねてきたものが、
「ここで自分の役割を保つための力」
ではなく、「人が足りないところへ動かせる人」
として使われていく。
自分の仕事を守るために頑張って覚えたことが、皮肉にも、自分をいろいろな場所へ動かしやすくしてしまった。
そこで、ふと思っちゃった。
私は、何のためにここまで頑張って覚えてきたんだろう。
仕事が嫌いになったというより、
ここで働く意味が、私の中から抜け落ちてしまった。
色褪せて、消え失せた。
そんな感覚です。
条件が最初から今のような「多機能炊飯器みたい」だったなら、私は別のパートを探してたはず(笑)
仕事ってさ、給料だけで選んでいるわけっちゃうやん?
仕事内容。
責任の範囲。
生活との両立。
人との関係。
そして、その場所で働く自分なりの意味。
それらを含めて「ここで働こう」と選んでいる。
だから、その前提が大きく変われば、
「ここを選んだ理由」そのものがなくなることもある。
それは、私にとって大きな気づきでした。
「一寸の虫にも五分の魂」
振り返ってみれば、以前、行政とのやり取りでも似たことがありましたね😆
場所をめぐって「譲り合い」という言葉が使われながら、なぜか私の側が辞退するよう促されました。
場所を絶対に譲りたくなかったんじゃない。
なぜ私が辞退する前提なのか。
その判断はどういう理由なのか。
そこに納得できなかったから、めっちゃやり取りしました。
結局、あの時も私が大切にしているものは同じだった。
人として、対等に扱われたい。
「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があります。
小さな存在だからといって、尊厳まで小さいわけではありません。
パートだから。
立場が弱いから。
たった2,000円だから。
人手不足だから。
だから我慢して当然、とは思えない。
(昔は自己肯定感低かったから我慢しまくりでした😆)
「嫌です」と言えることも、お金がくれる自由
もちろん、生きていくためには、飲み込まなければならないことも沢山あって、これまで色々飲み込んできたよ。
でも幸いなことに、今の私は以前より少し「選べる」ようになった。
ささやかながら寄付も続けてる。
資産運用で2年半で約150万円の利益が出た。
来年には家の住宅ローンも終わる。
子どもたちも成人して働いてる。
だから、これからの人生では、
私はどう扱われたいのか。
誰と、どんな関係で働きたいのか。
自分の時間を何に使いたいのか。
そんなことも大切にしてエエんちゃうかなって、思えてきたんだ💡
お金に余裕ができることの価値は、贅沢ができることだけではないんやね。
尊厳を守るために、「嫌です」と言える選択肢が増えること。
これも、お金がもたらしてくれる自由の一つなんやな。
お金 = 愛
ここは愛する自分のために、愛(お金)をかけたろやないか。
嫌だった。では、どうしたい?
ここまで掘ってみると、次の問いが出てくる。
では、どうしたい?
どうだったらうれしい?
どうなっていきたい?
嫌な出来事は、「自分が大切にしたいもの」を教えてくれる。
それは、自分の「理想」とも言える。
私は、人を大切にする場をつくりたい。
何者かにならなくてもいい。
安心して過ごせる場所。
説明があり、納得があり、お互いを尊重できる場所。
そんな「ほとび場」をつくりたいと思っています😊
「私はこんな扱いをされたくない。」
そう気づいたなら、
「では私は、人をどう扱う場所をつくりたい?」
と考えることができます。
嫌だった経験まで、自分がこれからつくる場所の設計図になってる😊
怒りの奥にあるもの
怒りというと、燃え盛る激しい炎を思い浮かべます🔥
でも、怒りの奥にあるのは「悲しみ」です。
理解してほしかった。
大切に扱ってほしかった。
積み重ねてきたものを、ちゃんと見てほしかった。
本当は一緒に、より良くしていきたかった。
悲しみが荒ぶると、怒りという炎になって現れる。
だけど、怒りをただ消そうとするのではなく、その火で自分の心を照らしてみる。
私は何が悲しかったんだろう?
本当はどうしてほしかったんだろう?
私はどんな世界をつくりたいんだろう?
すると、その先に自分の理想が見えてきます。
嫌な出来事を、ただ嫌だったで終わらせるにはもったいない。
思いっきり、
怒ってもいい。
悲しんでもいい。でも、その炎を少しだけ、自分の未来を照らすために使ってみる!
怒りは「理想」を照らす炎だったりする。
「私は、こう生きたい。」
という自分自身の答えが見えてくる。
結局こんなに怒れるなんて、弱いヤツな訳がない(笑)
めっちゃ元気でアグレッシブで生きる意欲に燃えてるだけやった🤣
なんにせよ、
火は「使い用」や🔥🔥🔥



