こんにちは♪由美子です。
ただいま受験シーズン。
皆さんが色々と書いているので、私も書いてみます。私と長男の経験が、少しでも参考になれば(*^^*) (長文注意(笑))
20年前の長男の記録です。
長男が2歳の時に私は前の夫と離婚。
6歳の時に東京(※住んでいたマンションの1階が私立の保育園で、離婚してからも仕事がスムーズに続けられました)から田舎(この時は埼玉県深谷市)に転居しました。
最初は実家のそばの深谷市に2年くらい住んで、その後、再婚のために群馬県伊勢崎市にまた転居。
長男が9歳の時に、双子も生まれました。
長男は、もともと勉強しなくてもすらすらと算数なんかは出来る子でしたが、
中学で不登校になり、3年の後半のほとんどを家で過ごす様に。
この頃、専門の医師からアスペルガー自閉症という診断を受けます。
(※T県A市の山の上にあるA病院の、とても素敵な女性のお医者さんでした。『大変だったね!今まで、よく頑張って来たね!もう良いんだよ!そのままで!』って言って下さり。涙。涙。。。)
不登校についての、この時の私の考えは、
人生が80年としたら、中学校時代はほんの数年。
今は、学校も多様性や、持って生まれた子どもの個性を、大事に受け止めてくれる時代へと、だんだんと変わって来ましたが、
当時はまだまだ、田舎の中学校では
理解して頂くことが難しくて、
※指導者が理解して下さっても、他の生徒達に、どの様に理解してもらうか。という
一番大きな課題があります。
だからといって、対立することや説得することに時間を費やすよりも、
(いつか時代が追い付くまで)
合わなくて行きたくなければ、行かなくて良いよ、と。夫も同じ考えでした。
有り難い事に、
中学校も自宅学習することを理解してくれて。
高校は、私立のK学園に学校推薦してもらえたのですが(評定平均が良かった)面接で本人曰く『緊張して何も言えず』不合格。
学校推薦で落ちたのは中学校でも初めての事らしく、担任の先生から慌てて連絡が。
つまり学校推薦だったので、他の高校に願書をまったく出していなくて(笑)
もう、高校に行けないかもと思っていたら、Oフレックス高校が願書を受け付けてくれて慌てて受験。
無事に、Oフレックス高校に受かりました。この高校は服装もヘアスタイルも自由(スキンヘッド、金髪、半分ピンク色の子、ブルーの子、鼻ピアス等など)、決まったクラスというものはなく、ゼミの担任の先生がいらして、授業も大学の様にすべてが選択制。
でも、自分で頑張れば進学する子もいて、つまりすべてが自己責任という、なかなか面白いシステムの高校です。
『もしかすると、また不登校になるのでは?』とも考えましたが、その時はその時で、また考えようと。
結果、縛られない、すべてを自分で決めて行く、という校風と選択授業のシステムが長男の肌に合ったらしく、3年間1日も休まず通い(笑)
個人を尊重して下さるOフレックス高校のゼミの担任の先生との相性も良く(感謝申し上げますm(__)m)、3年間学年で1~2番の成績に(・・;)
大学はどうするの?と聞くと、当時の私達の経済状態(※経営していた介護のデイサービスが4年目に入り、それまでの機能訓練、自立支援型から多機能型への移行で、介護保険の改訂が相継ぎ、病院系大手との競合で経営に苦戦していた頃です(笑))を心配して
『専門学校に行く』と。
ゼミの担任の先生に相談すると
『息子さんの成績でしたら東京の指定校推薦が出せますよ。奨学金も通るのでは?』とのアドバイス。
そこは、とても歴史のある理系の大学でした。(Ⅱ部)
奨学金の審査が通り、でも果たして受かるのか!?でも落ちても良いから試しに受けてみようと。結果、合格でした。
そしてまた6歳まで暮らしていた東京へ。
今度はアパートで一人暮らしです。
ここで長男の個性が(中学の頃に専門の医師から2時間かけてテストを受け、診断して頂いたアスペルガー自閉症という個性)また、出て来ます。
理系の大学なので、実験するためにグループがあります。ここでお互いに、阿吽の呼吸で、コミニュケーションを取りながら実験を進めて行かなくてはなりません。
でも、アスペルガーの個性で、その場の空気を読んで臨機応変に動くということが難しい息子は、グループの実験に参加できずに、また次第にどんどん孤立してしまいます。
きっと、他の学生さんから見たら
『何で何もせずに、突っ立ってるの?』という感じだったのでしょうね。
おそらく、独りでの実験ならば大丈夫だったのかも。
心の事を専門に学んだ大人や、コミニュケーションの事を専門に学んだ大人がいる場所(Oフレックス高校)では、理解されてサポートされていた息子も、
専門的な理系の東京の大学という、
良い意味でもそうでない意味でもクールな空間で、また、だんだんと大学に行けない状態に。
それが解ったのは1年生の終わりでした。
奨学金の関係で大学の事務室に連絡したら、出席していないので来年度の奨学金は難しいと(・・;)
それで
『せっかく受かったけど、どうする?』
『辞めたい』
というので中退して帰京。
取り急ぎ、バイクの免許を取り、仕事をみつけて働くことに。
それが2年前のことです。
続く。

今日も読んで下さいまして
ありがとうございます。
このブログを読んで下さっている方の
心がいつも豊かであります様に。
いつも、いつも、願っております(*^^*)