続きです。何度も言いますが長いので(笑) くれぐれも興味のない方は華麗にスルーですよ(笑)
【田島由美子 49歳の略歴⑧】
●28~35歳 東京で結婚、子育て時代
最初の結婚は28歳の時。詳しくは書きませんが、
結果的にうまく行きませんでした。
共働きだったのですが、夫は結婚して半年で仕事をしなくなってしまい、それから何度話し合っても仕事をしてくれません。結婚生活がまるで修行みたいになって来て。
あれは、一体何だったのか(笑)
東京で私一人のお給料で家賃を支払い、家族3人を養うのは本当に大変でした。当たり前ですよね(笑)
それで5年しか続きませんでした。
というか、よく5年も続いた?(笑)
長男が2歳の時に離婚。私は32歳でした。
5年間の結婚生活の事は、実は色々と大変過ぎてよく覚えていないのです(笑)
友達に離婚したいという事を相談すると
「あなたが働きすぎるから、相手が甘えて働かなくなるんじゃない?」と。
私、確かにそういう所があります(笑)
性格が「守られたい」というよりも「自分で何とかする」
つまり、男性から見ると可愛くないとも言う(笑)
これは性格がそうなので仕方ないというか?DNA?(笑)
歳を取って、少しは変わりましたが(((^^;)
でも、その当時(20年前)は、まだ幼い長男を抱えて、
ふと「私、何やってたんだろう」と我に帰り、もうこんな生活はやめようと思い、2歳の長男を連れて1階に保育園があるマンションに引っ越しました。
悪いなとは思ったけれど、当時の夫に黙って引っ越し。
そのくらい、切羽詰まっていたのです。
17年前、当時の東京のマンションの家賃は2DKで85.000円。
私のお給料では生活がギリギリでしたが、子供と二人、贅沢しなければ何とかやって行けたんですね。
何よりも1階が保育園だったので、本当に助かりました。
朝、7時に長男を預けて仕事に行き、夜の7時にお迎え。
迎えに行くと、もう眠ってしまっている事が多かったです。
おんぶして帰り、そっと布団に寝かせました。
保育園のママ友にも、本当に助けて頂きました。
東京はシングルマザーが多かったので、土日に仕事の時はお互いに子供を預け合ったり、協力して。
外国人のママ、パパ、ハーフの子供も多かったので、色々な国の文化も学べて楽しかったです。
デザイン協会は結婚する時に退職して、別の仕事をしていたのですが、この頃何故か「これからの時代は介護」という気がして
(時代はちょうど介護保険が生まれた頃でした)、通信教育でヘルパーの免許を取り、実際に登録して始めてみます。
すると、世話焼きの自分の性格と仕事が合っていて、楽しかったんです。
そして、35歳で突然「田舎に帰っても良いかな?」と。
気が付いたら、アッという間に上京した時の18歳から35歳になってた。
気付いてみれば、17年も田舎にほとんど帰っていない(笑)
あれ?帰ってみようかな?そういう選択肢は思い付かなかった!
今度は、田舎でヘルパーの仕事をしてみようかな?と。
この時、私は35歳、長男は5歳になっていました。
続く。
