はぴ です。



広島支店。


ガヤガヤと雑音が多く、


人の出入りや、オフィス内を所狭しと


歩きまわる社員たち。



その中で、私と静子の仕事は始まった。



私たちの仕事は、


広島支店の社員さんたちのラフな企画物を


某会社の独自ソフトでデータ化していく作業。



私たちの面倒を見てくれる2人組みの社員が、


私たちの仕事がうまく回るように、


ある程度、私たちへの仕事依頼方法を決めていて


くれたので、ずいぶん助かった。


が、


新入社員で世間知らずの


その頃は素直な私と、今でも素直な静子。


どんな乱暴な仕事の依頼にも、


全て笑顔で受けていました。


その結果、


仕事の依頼方法は、


日に日に乱暴になってきて、


最後のほうには、


何これ?私エスパーじゃないから


解読できないよ!っていうほどラフな依頼が


来るようになった。


毎日、9時から仕事をはじめて、22時や23時に


帰るのが当たり前だった。


たまに19時頃に仕事が終わると、


広島支店内は、まだまだ仕事が終わらない社員が


わんさかいた。(女性の事務員さんなどは帰宅済みだが)


そのため、帰る事に罪悪感さえ覚えたものだ。


それでも、仕事が楽しかった。


直接的では無いにしろ、自分の仕事の結果を


広島支店の営業さんが売上げという結果に変えて、


私たちに「ありがとう」と言ってくれる事もあったからだ。


自分が仕事をしている。


社会人になって9ヶ月目くらいでようやく感じる事ができた。


また、某大手企業は基本的に当時、就職氷河期もあって、


社員の若手の多くは、一流大学を出ている。


一方、私と静子は2年制の専門学校卒。


なので、私たちは最年少且つ、東京からはるばるやってきた女の子。


という事もあって、


広島支店の皆さんには、本当に本当に可愛がってもらったという


思い出しか残っていない状態であった。



今でも時々、あの頃に戻りたいと思う。



そんな私に応援お願いします。



純粋な私なんて少しもいない現在の私


はぴです。


静子との広島出張。


某大手企業の広島支店での


仕事開始日は


私たちの雇い主が一緒に来てくれました。



某大手企業の中国地方で1番偉い人に


挨拶をし、


これから、私と静子の広島支店で


管理していくれる方2人を紹介してくださいました。


そして広島支店のオフィス内は、


私たち同様に、無償で広島支店に貸し出しされた、


PC(独自ソフトインストール済み)が並んでいました。



広島支店の感想。



いままで、桃子上司のいる社会人初めての職場は、


静まりまえっていて、すぐに眠気に襲われるほど、


心地の良いオルゴールのような音楽が流れていて、


オフィスの中も、キレイに片付けられていました。


たぶん、私が働いた職場で1番、整理整頓のできている


オフィスだったはずです。



でも、広島支店は違いました。


ガヤガヤと人の出入りも多く、


デスク周りが、散乱している人も多数。



その状況に私は、


汚いとか、うるさいとかの印象は無く、


会社が生きているとい印象を受けました。


ああ、こうやって人は仕事をして、


利益を出していくんだ。


そう思うと同様に、


今まで自分は何をしてきたんだろうとも感じました。



社員が一生懸命に利益を生み出すために、


慌しく働く。



後々、広島支店の社員から聞いた話では、


給料を時給換算すると、その辺の学生のアルバイトの


時給より安いとぼやいてましたので、


かなりの激務だったとは思います。



それでも、利益を生み出すために働く光景は、


私にとっては新鮮で非常に魅力的でした。



このとき初めて、企業は利益を追求する物であると


実感できたのでした。




こんな世間知らずの私に応援お願いします。


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はぴ です。


私は、病院の先生からの「紹介状」と手に、


きたない部屋を後にして、


静子と一緒に新幹線で


広島県に降り立ちました。



いままで大阪より西の地方に行った事の無い私。



正直、不安なんて気持ちは少しもなくて、


「わくわく」していました。


一方、静子は東京に置いてきた彼氏が気になるようで、


あまり乗り気の出張では無かったはずです。



この頃は、私は彼氏もいなく、両親は北海道!


極めて身軽。


精神的にも社会人になってから一番安定していた時期かも


しれません。



広島に着いた、私と静子は、広島ならではの路面電車に乗って


これから生活するマンスリーマンションに向かいました。



私たちの住むマンスリーマンションは


原爆ドームから徒歩15分くらい。


通称100メートル道路のすぐ脇で、


そして横には中国電力。



広島の街のど真ん中です。



そこで快適な出張生活が始まりました。

2001年11月のことです。



2001年11月から少しの間だけ

幸せになれる私に応援お願いします。



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さて、2001年11月


医者からの「紹介状」を持って長期出張に出かける


私ですが、


なんと、私は境界型だけではなく、


お部屋の片付けられない女なのです。


そのため、長期出張に行くときにも、


当時は今の給料の半分くらいだったので、


お金も節約と思い、


ガス・水道・電気を一時停止状態にしたまでは


よかったのですが、


お部屋の掃除は出来ずに出張に旅立ちました。


片付けなかったお部屋の状態は、


衣類なんかが、ポトポトと床に落ちていたりしました。


なんだか、長期で出かける部屋の状態ではなく、


すぐに帰ってきそうなくらい


生活感(? きたないだけか)の溢れる部屋。


その部屋から


おもたーい荷物と伴に、出張に出かけるのでした。



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現在の私

はぴ です。


桃子上司に


「広島に3ヶ月出張に行って」と言われた頃、


既に、桃子上司の狂った愛情により、


私の身体は悲鳴をあげていた。


何度も胃が痛くなり、


病院に行きました。


お医者さんは、あっさりと


「ストレスだね!」


と、言ってくれました。



そして、バリウムを飲んで


胃の中を検査しました。


検査結果が出る日は、


広島出張に行く前日でした。


私の中では、結果が出てホッとして


出張に行く予定でしたが、


お医者さんは


「ここに黒い影が見えるんだよね」


「もしかすると胃潰瘍かも」


そんなに深刻に考えていなかった私は、


その言葉に少しびっくりしました。


続けてお医者さんは言います。


「胃カメラ飲んで検査しないといけない」と


う~ん。


私、明日から広島出張なんです。長期で!


そのため私は言いました。


「明日から3ヶ月広島に出張に行くので検査受けれません」


そうすると、お医者さんは


「そうか、そうすると今の検査結果では」


「胃潰瘍とは判断できないから、急性胃炎ね!」


「出張先で、病院に通えるように紹介状を書いてあげる」


「これを持って、しっかり広島で検査するんだよ」



こうして、お医者さんからの「紹介状」を持って


出張に行くことになりました。



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