私は何かを学ぶときに「学ぶ」ことが目的だったことは1度もないのです。
「○○」のために「△△」を学ぶ。
その学んだものを使うことが目的の学びや集まりに対して
あまり食指が働かないわけです。
しかしそういう目的の学びや集まりには案外人は集まるという事実もある。
それはいったいなぜだ?と疑問に思っていました。
そこで思い出したのが父のこと。
私が小さい時、父は無線を楽しむクラブに入っていました。
何をするかっていうとただ無線を楽しむんですよ。
勉強会もすれば、高いところに行くとか(高いところは電波の飛びもよくなる)
時には家族サービスイベントを企画したり。
あぁそういうノリか。とふと気づいてスッキリしたわけです。
今日は、私の思考をダダ漏れさせてみました。
裏にある想いとかあまりないです。