昨日、「母の日」の贈り物を
受け取ってもらえなくて
心がヒリヒリしたことを投稿して

今朝、気づきがあった話。
 


今朝、
いつものようにノートを開いて
「いいねノート」を書きだした。


朝活ルーティーン。
気分はわりといい♡

「7時に起きた♡娘を起こした♡ちゃんと起きてくれた♡よかったニコニコ
1行目、にっこり絵文字付き。

いつもなら、そのまま

2行目に移るのだけど、
今日は、何か引っかかった。

「あれ、なんかホッとしてる」
「なんだろ?」

 

いいねノートの2行目は書かず
ここから自己対話に流れる。

じっと、心の中を感じてみる。

「あ、私、娘のご機嫌とってるんだ。」

そういえば毎朝、起こす時、
ここで機嫌を損ねると

グズグズ時間を取ってしまって

朝の支度が間に合わないのが

恐いから

寝起きに機嫌よく起きてもらえるように、

優しく優しく腫れ物にさわるように

気を遣ってる

その後も、泣かせちゃって

そのまま学校に行かせると、

娘が一日中ブルーな気分で過ごすのが嫌で、
朝はなるべくなるべく波風立てぬよう


それで、

なんでこんなに気を遣ってるのか
自己対話してみると

もちろん、ママとして
子供がいい気分で一日過ごせるように送り出してあげたいってのがあるのだけど、

もうひとつ

「娘にとって期待通りのママであらねば」
という設定があることに、気が付いた。


なんじゃ、こりゃ??

もう一度、目を閉じて自分のハートをじっと感じる。

娘にとって、期待通りのママ(私)であらねば?
 

娘(私)にとって、期待通りのママ(実母)であらねばぁ??


あぁ、、、、これかぁ。
昨日、母の日受け取ってもらえなかった時の嫌な気分は。

私が贈った「母の日」のプレゼントを喜んで受け取って欲しいと期待した。
だけど、母は受け取ってくれなかった。

なるほど。。解けた。
この瞬間が、自己対話の好きなところ。


私が勝手に設定していた自国の法律
「ママは娘の期待に応えなければならない」を
実母はいとも簡単にスルーした。

「そんな法律は無用です」とばかりに。

そう、一見
無神経な母の応対に
私が傷ついた出来事のように見えて

私が母から得た気づきは

「その自国の法律、手放していいのよ。」
という、私への許可だった。


そう、私も、あなたも。

誰も、他人の期待になんか
応えなくていいんだ。

誰も、他人の機嫌を取るために
生きているのではない。


あんな風でいて
やっぱり母からの愛に教えられたんだな。
(本人の顕在意識には、全くそのつもりもないけれど)

またひとつ、私を縛る不要な思い込みを手放せた。