私は、誰かにあやしてもらわないと
泣き止まない赤ちゃんじゃない
自分の機嫌は自分で決める

イヤなことがあって
悲しんでたりしょんぼりしてると
誰かが慰めてくれる、優しくしてくれる

そういうこと、ない?

「今、私は不幸です
かわいそうなんです。
だから、誰か慰めて」って。

「私にかまって。
(かわいそうな)私を特別扱いして」って。

弱いことは一番の武器だと
「嫌われる勇気」にも書いてあった。

赤ちゃんはその弱さをもって
家族を自分の思うままに動かし、
支配し、家庭の王の座に君臨する、と。





自分の思うようにならないからと言って

もっと言うなら
自分の思うままに動かしたいがために、
被害者ぶったり、かわいそうアピール
していたけど(無意識に)

もうやめる。

自分の機嫌は自分でとる。

他人にネジを回してもらわなければ
動けない(いい気分になれない)
他人次第のゼンマイ仕掛けの人形なんて

もうやめる。



他人ごときに
この私の気分を操作させない。


他人ごときに
この私の幸せを操作させない。




私の機嫌は私がとるし、
私の気分は私が決める。

誰も私の心にさわるな

私の心は
私の世界で
最も神聖な御神体だもの

誰にも触らせない

私はただ、
ここにいればいい

御神体として
私の世界の真ん中に
鎮座していればいい


自分の国の国王として
堂々と君臨すればいい。


赤ちゃんのように弱さをもってではなく、
「私は私である」という誇りをもって。




だれもさわるな
私の心に。

私の心は私のモノだ。



なんか、意識がひっくり返った。


愛されない私はかわいそう
いつも誰かに認めて欲しい、
かまって欲しい

って、
外側からエネルギーを給油してもらうような考え方だったけど、違う。


どこのどんなか、
えたいのしれないエネルギーなんて
私の中に入れたくはない。



呼び覚ませ!
思い出せ!


自分がエネルギーの源泉なんだと。

私の世界では
私がここにいるだけで、それでいいんだ。

私の世界の
真ん中からずれてはいけない。

私の世界の
ど真ん中に、ただそこに在ればいい

わたしとして、ここに在ればいい。



(書きながら言葉が強く私の底から湧いてきた。私の中の私が怒っているらしい。今まで他人に自分の幸せを委ねてきたこと、やすやすと自分の心に他人を介在させていたこと。自分がエネルギーの源泉だと忘れていたこと。思うに任せて書いた文章。私の心から私への強い怒りとメッセージとしてこのまま記録しておくことにする。八木さやちゃんのインスタライブみて私の中に溜まっていた自分への怒り、自分が自分の力を信頼していなかった。何かが動いた)

 

 

 

一見、前回ブログ記事で書いた「パートナーに溺愛される私」に設定変更したいという願いと矛盾するようにも思ったのだけど、違う。矛盾していなかった。

 

パートナーが私のことを溺愛したくなるほど「魅力的な自分でありたい」という願いが主軸の「パートナーに溺愛される私」であって、パートナーから愛というエネルギーをもらわないと動けないというスタンスとは一線を画している

 

 

 


赤ちゃんではなくなった私が人の気を引くために優しくしてもらえる手段として
無意識に、そして捻れた形で願望を現実化させてきた。もういらない。