思考は現実化するとか、

現実は願いが100%叶っている

とか、言いますよね。

 

一昨日、

全治まで月単位かかる

大怪我をしました。

 

子供を自転車の後ろに乗せて

坂道を下り曲がろうとした時

転倒してしまいました。

 

子供は幸い軽傷でしたが、

私はケガがひどくて外に出られず、

子供のお風呂も入れられず、

病院へも自力でいけない状態で、

 

結果、

夫は1週間在宅勤務に変更し

ずーーーーーっと家で

私と二人でいることになりました。

(後記:怪我がひどいため2週間以上の在宅勤務となりました)

 

夫の浮気の相手が

会社の女性だったので、

「会社に行ってほしくない」

「彼女ともう会ってほしくない」

と思っていました。

 

願いが叶ってしまった。

 

 

 

夫が、心配してくれる。

夫が、優しくしてくれる。

夫が、ずっと家にいて私のそばにいてくれる。

 

私は、罪悪感なく家事をお任せできる。

私は、罪悪感なく子供の世話をお任せできる。

 

これも、心のどこかで願っていたこと。

ああ、本当に思考は現実化する。

 

お給料を稼いぐために仕事をしてくれる夫にそばにいて欲しいなんて言えないな、

仕事で疲れる夫に家事や子供の世話を頼めないな。

 

と、

罪悪感や後ろめたさがあったので、

私が怪我をすれば罪悪感なく甘えられる

が叶ったわけです。

 

 

 

思考は大事だね、

罪悪感を手放して

本当の望みを放とうと思った。

 

病気になれば、優しくしてもらえる。

可哀そうだと、優しくしてもらえる。

被害者は、優しくしてもらえる。

 

きっと私の中に、潜在意識に、

そういう思い込みがあるから、

こんな変な形で願いが叶っちゃうんだ。

 

ずっと、そうだった。

私は子供のころにも、忙しい親にかまってほしくて

自分では無自覚だけど、潜在意識で願いを叶えてきたのだと思う。

 

車にはねられ、

バイクにはねられ、

階段から落ち骨折、

エスカレーターから落ち骨折、

お祭りに巻き込まれ骨折したり、

スノーボードで靭帯損傷、

他にも救急車で運ばれたり

とにかく、たくさん怪我をした。

 

怪我すると両親が気にかけてくれる。

かまってくれる

 

そんな成功体験が

潜在意識に沁みついてしまっている。

 

もう、こういう形で

願いを叶えるのはやめたいな、と思う。

 

罪悪感や後ろめたさは必要ない。

本当の望みを素直に放とう。

 

一緒にいて欲しければ、素直にそう言えばいい。

怪我してどこにもいけなくて

「迷惑かけちゃったな、本当はどう思ってるんだろう?」と

心配しながら一緒に時間を過ごすより、

 

「あなたと一緒に楽しい時間を過ごしたい」と

ひねくれないで、怖がらないで、

伝えていこうと思う。

 

こんな怪我や病気で

自分を痛い目に合わせて

可哀そうな私になって

構ってもうらう現実はもういらない。