引き続き、

アドラー心理学

「嫌われる勇気」

から私に響いた言葉。

 

「嫌われる勇気 p.234より引用」

哲人:

例えばあなたが恋愛関係において「彼女は浮気しているのかもしれない」と疑念を抱いたとしましょう。そして相手が浮気している証拠を探そうと躍起になる。結果どうなると思いますか?

 

青年:

さあ、そんなものは状況次第でしょう。

 

哲人:

いえ、いずれの場合も山のような浮気の証拠が見つかります

 

青年:

は?なぜです?

 

哲人:

相手の何気ない言動、誰かと電話で話している時の口調、連絡が取れない時間。疑いの目を持ってみれば、ありとあらゆることが「浮気をしている証拠」に映ります。たとえ事実はそうでなかったとしても。

 

あなたは今、しきりに「裏切られたとき」のことばかり心配している。そこで受ける傷の痛みばかりに注目している。しかし、信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことはできない。

 

浅い関係であれば、破綻した時の痛みは小さい。しかしその関係から生まれる日々の喜びもまた小さいはずです。「他者信頼」によって、もっと深い関係に踏み込む勇気を持ちえてこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えていくのです。

 

 

 

むむむむ、、、む~ん。

「哲人、それってわたしのことですかあせるチュー?」

 

夫の浮気が発覚して

夫婦でじっくり話し合って

 

私自身も今までの

夫に幸せにしてもらうという

他人任せの在り方を改め

 

自発的に夫婦関係を育んでいこうと

決心したのだけど、、、

 

やっぱり、気になるのですプンプンビックリマーク

 

二人で飲みに行って以来

それまで良好なLINEのやり取りが

急に途絶えるものなのか??

 

まさか夫から発信はしていないと思いたいけど(それもわからんけど)

「昨日はご馳走様でしたラブラブ」とか

「昨日は楽しかったですね~ラブラブありがとうございました乙女のトキメキ」とか

彼女から連絡あったら、調子のいいLINE返しちゃってんじゃないの??とか。

 

会社に行って彼女と会ったら、

上差しこういう会話してるんじゃないの???

 

とか、、、、思ってしまうわけです。

そして、夫が家でいじってるスマホの画面が気になるのです。

 

青年は私の心を代弁して哲人にくってかかります。

 

「嫌われる勇気 p.235より引用」

 

青年:

裏切られる恐怖を踏み越える勇気は、どこから出てくるのです?!

 

哲人:

自己受容です。ありのままの自分を受け入れ、「自分にできること」と「自分にはできないこと」見極めることさえできれば、裏切りが他者の課題であることも理解できるし、他者信頼に踏み込むことも難しくなくなるでしょう。

 

われわれには、信じることができます。疑うこともできます。

そしてわれわれは、他者を仲間と見なすことをめざしています。信じることと疑うことのどちらを選択するかは、明らかでしょう。

 

 

むむむむ、むむ~んチュー

てつ、、じ、んチーン

 

哲人は、

「自分にできること」と「自分にはできないこと」を見極めろという。

 

そう、「私にできること」と「私にはできないこと」がある。

 

「私にできないこと」は

夫の気持ちを操作すること。

夫の言動を操作すること。

見えない時間の夫の言動をしること。

 

夫の自由、夫の課題だ。

夫の気持ちも、夫の言動もコントロールできない。

私には、どうにもできないこと。

 

「私にできること」は、

夫を信じるのか、疑うのかを選ぶこと。

 

私は、夫との愛のあるパートナーシップをめざしている。

そして、私は信じることも、疑うこともできる。

 

選ぶのは、私。

私が決めること。

 

ブログでも

私の望む方向性を明確にし、

信じると決めて、そう書いた。

 

だけど、何度も何度も

心が揺さぶられる。

 

信じたいけど、信じられない。

 

そういう時、この本のように

望む方向性に向かい直すための

サポートをしてくれる言葉を探し、

 

また裏切られることの恐れを抱きながら、

それでも夫を信じようと決め直す。

 

仕方がない。

一度では手放せない。

心配になるのは仕方がない。

裏切られるのが怖いのも仕方がない。

 

ブレたら、戻る。

ブレたら、戻る。

 

何度でも。

 

その都度、その都度、自分に寄り添い

「で、どうしたい?」と心に聞いて

 

私は私の望む道を選んでいく。