高校卒業後は、保育士になるために短期大学に2年間通った。
高校は勉強が出来ない子達が集まるような、あの頃はおバカ高校と言われていた。そんな学校で私は成績をぐんぐん伸ばし、ついには学年トップになり首席で卒業することに。
・・・と言いながらスマホ片手に、「主席?」「首席?」と、どちらの漢字なのかを調べている。笑
そんなこんなであっという間の3年間と、その後の短大2年間を過ごし、無事に保育士になり就職をした。
就職した保育園(当時はまだこども園はない)は、乳児クラスも40人とかいるほど。
失敗もしたし、先輩に怒られたし、社会とはこういうものだと教わった。保育についてもたくさん学んだ。今となっては感謝をしているし、先輩方は尊敬できる方々で本当に恵まれていた。
それから6年後に私は、一児の母となり、9年後には二児の母となっていた。
そう、一つ前の投稿に書いた、不安症状が出始めていた時の後半の話。
就職してから9年。そしてそこから更に3年経った頃・・・私はパート勤務ではあるが、1歳児クラスの担任、グループリーダーという役割を担う事も多かった。
クラスリーダーは大ベテラン。パートさんも私よりも年上の方が多く、若い子に関しては、「こんなに伝わらない子がいるの?」ってくらい、色んなことが目につく子だった。
他の園でも保育に入れさせてもらえなかったとか・・
でもね、本当に子どもの安全を考えたら保育士の一人としては頭数にいれられないほど。
まあ、いろんなことがあったなぁ・・と今はとても冷静に思い出せるけど・・・。
当時は、いろんな人に対して
「この人なんでこんな風に行動するんだ?」
「この人また同じことやってるし・・」
「何回も言ってるのに全然伝わらない」
「優しく言っても、強めに言っても変わらないって、どうしようもねー」
「言いたいことがあるならちゃんと言おうよ」
「そんなに言うなら正規になれば?」
「細かすぎるよねーうるさいよ」
「こんな小さな子たちにいつまでも説教したって・・・」
書ききれないほど、不満の感情も怒りの感情も、呆れた感情も、悪い事しか考えられなくなっていった。
そんなことでイライラしてるうちに、不安症状やパニック障害の症状は悪化していた。
勿論この時も気付いていない。
なんとか、なんとなく日々過ごしていたけど、体には徐々に痛みまでが出始めていたんだ。
おんぶもするし、肩凝りも昔からあったし、年もとったなぁ。
そう思っている間はまだ良かった。
「なんか胸が苦しいな・・」
「すっごい肩が重くて辛い」
「ちょっとしか走ってないのに苦しいし・・」
「なんなら心臓が痛い気がする」
「この痛いところは心臓なのかな?」
「乳腺炎にもなったし、え?乳がんとか?」
ある日お散歩で子どもたちと「よーいどん!」ってたくさん走って
「うぅ・・いったい・・・痛いな・・・」
「Kせんせーい!苦しいー!私がぶっ倒れたら救急車呼んでね−!あははははは!!」
K先生は勿論びっくりして、
「え?大丈夫ですか??」
って聞いてくれたけど、心配してくれたけど、
「あははは、大丈夫だと思うーけど死んじゃうかも〜笑」
なーんて呑気に話してたけど、あの時本当はすごく怖くて、死んじゃうのかもしれないって初めて言葉にした日だったと思うなと、書きながら思い出していたりする。
心臓が痛い・・・
本当に急に心臓発作で倒れてそのまま死ぬかもな・・・
色んな不安と恐怖に包まれたまま、なんとかその時は保育園に帰り、また日常を過ごしていた。初めて不安を言葉にした日だったような気がする。ちょいちょいなんか痛いんだよね、くらいは言ってたけど。曖昧な記憶ではあるけど、2018年秋頃のお散歩の時の話。
第二子の息子は2016年1月生まれ。当時2歳児クラスで、私と同じ保育園だから隣のお部屋にいつもいた。娘は2013年8月生まれ当時年中さん。
家でも職場でも、「死んじゃうかも」の不安と恐怖の中でなんとか生きていた。
今考えるとなんでもっと早く誰かに相談したりしなかったのかなぁって、まぁ相談したところでその時の周りには、私のこの症状を理解してくれる人もいなかったんだろうな・・とは思う。それは当時の旦那ですらね。