ご訪問ありがとうございます。
しまねの腸もみさんです♪
何だか堅苦しいタイトル(;´Д`A ```
小難しい話ではなくて、
そんな時代もあったよな~っていう話です。
お客さまと会話してる中で出てきた
「共依存と自己犠牲」という言葉。
わたしの中の何かがメチャクチャ反応!
あー、そうだった、
ずーっとそれをやってたんだったと
思い出したんです。
ずいぶん前に、
依存してるねって言われたことがあって。
自分は依存なんて関係ないと思ってたので
すごくびっくりしたのと、
え、何で?って思ったことがあります。
今思うと、どっぷり共依存でしたが。
困ってる人を世話したり助けることで
自分を満たしたり価値を見出したりすることですが
やっかいな側面にまんまと嵌ってました。
救いたい一心で、お世話が高じると
自分より相手になるので、自分のことは後回し。
自分のことを犠牲にして尽くすようになります。
自分の欲しいもの、やりたいこと、食べたい物、
楽しいことを望んではいけないと思ったり、
だんだん自分の感情がわからなくなり
幸せを感じることに罪悪感まで持つようになりました。
でも自分では良い事をしている、
これは正しいことだと思っていたし、
何なら自己犠牲って美しいとまで思ってましたからね。
犠牲は美談ではありませんよ、念のため。
どっぷり共依存に浸かっていると
困ってる相手が必要になるので、
面白いようにそんな人が次から次へとやってきます。
何でわたしばっかりと思いながら
延々と繰り返してましたね。
でも依存してるという気持ちはなく、
わたしが頑張らなくちゃ、
わたしにしかできないなんて、
傲慢さもあったのかなと思います。
自分でさえ幸せにできないのに
人を幸せにはできないし、
自分を救えないのに
人を救おうだなんて、無理な話。
助けるフリをして、
助けられていたのは自分のほう。
自己肯定感を上げるために
人を利用してたという苦い記憶を
思い出しました。
でも長年のクセって抜けないもので
時々依存に引っ張られることもあります。
それでもそこに気づけるので
自分でOKにしてます。
そして自分に敏感であるために
五感を大事にするようにしています。
自分で自分を満たすということが
ちょっとずつわかってきたこの頃です♡
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