私たちはたくさんの人格を持っていて

その時その時で、

その場に相応しい「自分の姿」で生きています。


母としての自分

妻としての自分

会社で上司としての自分、部下としての自分

などなど


その時の役割に合わせて無意識に

「どんな自分でいるか」チョイスして

その場に見合った自分を演じているのです。


これが、ペルソナ指差し


常識を守り、嫌われないように

傷つかないように立ち回ります。


これは魂本来の自分ではなく

この社会を生きていくための自分。



この時、本来の自分の想いと

ペルソナである自分の想いが


食い違ったりぶつかったり


本心が何かを気がつかなかったり

本心であると思ってるものがエゴだったり


魂の声が聞こえないように

エゴの声が大きくささやいて


エゴの支配下から抜けないようになってるのが

三次元のあり方です。



エゴは変化を阻止します。


行動させないように

恐怖心やプライドを使って

変化させないように仕向けます。


恥をかく恐怖

孤独になる恐怖

何かを失う恐怖


これは全て愛されなくなる恐怖が根底にあります。


やめときな〜!

愛されなくなるよ〜!

愛されてないって知ることになるよ〜!

ひとりぼっちになっちゃうよ〜!


「愛されてない」という恐怖心や不安を利用して

支配、依存させる社会のあり方から


今、目醒める時がきたのです。



無意識下でやってる

愛されてるか愛されてないかをジャッジしてる次元を越える



このジャッジをしているとき

自分の意識は「自分」に向いています。


他人からどう見られているのか

それにより自分を評価するので


その時相手がどうだったか、には気を配れません。


なので気を配ってくれた人(愛してくれた人)の想いに気づくことができず


愛されたことでさえ

愛されてないことになってるのです。

(なんてもったいないんだ笑)


って、いやいや


相手がくれた気遣い、心遣いに気が付かれなければ


1番大事な感謝すること


「おかげさま」の気持ちが持てないのです。



目に見える相手の状況や言動だけで

相手の気持ちをはかるのは

絶対に無理です。


相手は自分の投影なので


「私は愛されてない」というブロックがあれば、そのように見えるので

そう解釈せざるを得なくなります。


でもお互いの中で通じ合えたこと

感じあえた心地の良い空気感

見えないところで頑張ってくれていたお相手の愛があったのは事実なはずだけど


相手の言動や、期待に応えてくれない相手をみて


「私だけがそう思ってただけで勘違いだったのかもしれない、なんて恥ずかしいんだ」


と、最初から愛されてなかったように解釈して

プライドが傷つき


結果、無意識に、相手にそっけないような態度をとってしまうので


それによって相手との不調和が起きたりします。



この時、


「私は愛されている人」というペルソナが

「私は愛されてる人だ」という信念を曲げまいと


「プライド」と反発心(怒り)を使って

脱がされまいと必死に抵抗しているのです。



これは、自分の存在意義や価値に関わるので

あの手この手で抵抗を示します。



こうなると視野は低く狭くなってるので


相手の中に愛があること

自分がただ相手を好きであること


これを忘れちゃっているので


目的が愛されてる自分で居続けることとなり


本当に大切なところが見えなくなっているのです。



本当に大切なことは


自分がどうなのか


相手がどうだから、ではなく


自分がどうなのか。



相手に頼まれなくても


好きでいることがやめられない


私の心を支えてくれてる人


なわけです。


何かをしてくれてるから支えてもらってると感じるのではなく


相手の存在そのものが

「わたし」の源であること


ただ、そうなだけ。


それは無条件。



たったそれだけが素直な気持ちなんですよね。



本当はそれでいいんですにっこり



相手から愛されてないって思うと愛することが怖いけど


相手の愛の器も昔より大きくなってるはずです。


愛されてないと思うということは


相手に


愛せない人、愛さない人というレッテル(設定)をつけてしまうことになります。


みんな、本当は素直にめいいっぱい愛したいんです。


だからまずは


あなたが、思いっきり愛してみて飛び出すハート




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