先月末から1週間ほど旅に出てたけど
すでにまた行きたいってホームシックw
それもかなりの重症・・・
でもまた行けるように、いまもそこにいるかのようにw
過ごしてがんばる~
なんていうかなー
その土地のエネルギーって自分には
とても影響があって
だからいまでもそこで過ごしているような感覚で
いるとなんだか不思議と元気になったりするw
思い起こせば・・・(遠い目w)
引きこもり生活も間もなく4年
ちょうど北京五輪終了後からだったもんなぁ
で、今年またオリンピックイヤー
大学入った人なら卒業だよ、おい(@ ̄Д ̄@;)
こわーーーーい
けど、綾小路きみまろ殿は潜伏期間○十年って
おっしゃられてたし(一緒にはできないがww)
それに比べたら4年はかわいいものか ←自己弁護ww
もうそろそろエンジン始動しなきゃだな
本当に生活保護受けることもなく(あたり前かw)
ぎりぎりだったけどこの4年をほぼ無職で過ごし
後半は親から援助してもらいながら
(これも生活保護みたいなもんだなww)
ここまで生き延びた
会社員してた頃からがむしゃらにいろんな面で
いちおうがんばって、退職後も派遣、アルバイトなどなど
どんな仕事、職種でもトライして
自分が何者か?などど哲学的なことにもぶつかりながら
病気ともおつきあいしながら過ごし
モチベーションあげては下がり
生きたい!楽しみたい!と思いながら
いつ死んでもいいってな日々・・・
週末、以前の仕事で一緒だった同僚のおうちに
お昼ご飯を頂きがてら遊びに行った
ひさびさにいろんな話して彼女は目標に向かって
がんばってるのを見て刺激された
場所をわたしが行ってみたかったカフェに移し
またまたおしゃべり
わたしは「いまはすきなことして親からはついにおこずかいとか
もらいながら生活してるヾ(@°▽°@)ノ」
そう話すと
「それだけは避けたいなぁ」と彼女がぽそっとつぶやいた
彼女と一緒に働いたのは短い期間だったけど
めっちゃ忙しかった場所なので
なんていうか、一種の共同体のような同志的な感じで
プライベートでも仲良くしてもらってお互い職場を離れてからも
いつもってわけではなかったけれど
ずっと連絡を続け現在に至る^^
ただわたしのOCDやうつのことについては
話してはいなかった
親がだまってわたしにおこずかいとして生活費の1部を
出してくれるようになったのも
全く親を頼ることなく、交通事故でリハビリしながらも
自分で稼いでアパートから仕事に通っていたくらいの
ガンコなww娘が
OCDがひどかった時期初めて親に電話したとき
大泣きしたことがきっかけ
おやじはそれでも「泣くな!」と一喝w
わたしは息子か?ww
いまなら不器用な父親なんだと思えるが当時はショックだったさw
両親にしたらこの子はもしかしたら
思い詰めて死ぬんじゃないか?くらいの衝撃wがあったかもって
思うけど(-。-;)
援助してもらうようになって1年くらいだけど
それに甘えてた部分もでかかった
多少の原因は両親にもあるしって自分に大義名分つけて
でも彼女の言葉で目が覚めたね、うん
このままじゃあいかんやろ・・・ホントに
だからわずかでもいいからアルバイトでいいから
仕事探そうと思いますw
廃人化していたわたしですがひくひくしながらも
アルバイトしようと決めました
また旅にも出たいし(おい、そっちか?w)
なんだかんだ言いながらも
こんなドラ娘の面倒をみてくれてた両親に感謝であります☆
さあてもう少ししたら
光熱費の支払いに行ってこよう・・・
そろそろ引っ越しもしたいし、部屋の片づけも
少しずつやっていこう
がんばろ~☆