退院と現状と、今の想いと | 自由に自分らしく ~卵巣癌&肝臓転移と向き合いながら、自分らしく人生を楽しんでいます〜

自由に自分らしく ~卵巣癌&肝臓転移と向き合いながら、自分らしく人生を楽しんでいます〜

卵巣癌ステージ3C期。
この状態になって初めて地球に生きていられることが奇跡だと心から感じられました。宇宙の仕組みもどんどん見えてきて。今の私だからこそ、伝えられることを伝えたい。

こんばんは♪

 

土居美紀です。

 

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2019.3.19 

卵巣に12センチの腫瘍発覚

 

2019.4.1

卵巣がんであろうと診断される

子宮からもがん細胞発見


2019.5.14 手術終了

術中病理検査で悪性、正確な診断待ち


2019.5.22 退院

 

子宮内膜症、卵巣(チョコレート)膿疱

子宮内膜ポリープ(内視鏡手術)の経験あり

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5/22に無事、退院しました。


私の回復が特別早かったわけではなく、

標準の日程で。


術後8日で退院です。


昔より、入院日数がかなり短くなってますね。


え~!もう退院でいいのぉ?(大丈夫?)


という感じです。






でも、、、


やっぱり外の空気はおいしい!!


病院では屋上がない?ので、なかなか

外の空気が吸えないんですよね。


窓側のベッドの方が窓を開けてくれると

空気が流れて気持ちいいんですけどね。






退院は嬉しいのですが、同時に不安も。


入院中は、守られてる感がすごいあるので、

何か症状が出れば、すぐ看護士さんや先生に

聞いたりできるし、薬をもらえたりする

けど、家に帰ってくるとそうは

いかないので。






案の定、退院後、3日間はかなり不安定で、

ハラハラしました。


まだ排泄のコントロールがきかないので、

30分おきくらいにお手洗いにかけこむ

ような状態で。


知らない間に脱水症状になってたみたいで、

血の気がひいて、フラフラになり、

気持ち悪くなって、かなり焦りました。


1人の時に症状が出ると、焦るんですよね~


このまま倒れちゃったらどうしよう、とか。


脱水かも?


と気づけたから良かった。






すぐにOS1とかアクエリアスとか、がぶ飲み

したら、落ち着きました。


かなり水分取ってたんですけど、塩分と

糖分が足らなかったのかなぁ?


2回くらいそんなことを繰り返し(苦笑)






それにしても、今日は暑い!


動かないと筋力はどんどん落ちるし、

癒着もひどくなるので、お散歩したい

んですけど、この日差しだと、暑さで

ダウンしちゃうから難しい。。






お散歩は、朝方か夕方ですね。


とにかく体力が驚くほど落ちていて、

すぐ疲れちゃうので、慎重に。






家事も休み休みで。


と言っても、まだ洗濯と片付けくらいしか

してない(笑)


一番苦手なお料理は、姉や友達が作りに

きてくれて、本当に助かってます。


掃除機も姉にかけてもらったし。


作りおき料理をおいしくいただいてます。


本当に本当に、有難い~!


料理上手な人が羨ましい~






おなかの痛みは術後に比べたらだいぶ

やわらいできました。


まだまだ痛いけどね。


術後直後に比べれば、かなり楽です。


恥骨部分からおへその上まで、縦に

30センチ以上切ってるので、

何をするにも痛いんですけどね。






最初はあくびすら、痛くてできませんでした。


立ってても座ってても寝てても

何してても痛い。


そりゃそーだ(笑)


鼻もかめない、咳払いもできない。


今も咳やくしゃみはキツそうだな(笑)






(ここから、ちょっと内容きつくなります。

弱ってる方はスルーしてください。)






退院前日に手術の詳細の説明が主治医から

ありました。


術中の写真を見せられながら。


かなりグロテスク。


自分のお腹が切られてる画像は、なんだか

とてもかわいそうに感じてしまいました。


自分で自分の身体にごめんね~、

という感じです。






大きく大きく腫れ上がった卵巣を

癒着があるにも関わらず丁寧に

取り出してくれた先生には感謝。






癒着がひどかったら取り出せない


とか


尿道に埋もれるようになっていたら

尿道を傷つけてしまうかも


とか


腸にがんがあったら、人工肛門になる


とか。






術前にいろいろなリスクも聞いていたので、

それらをすべてクリアしてくれたことは

本当に有難い限りだな、と思います。






取り出した臓器は、


子宮全摘


卵巣全摘(左右)


その他卵巣周り(卵管など)


大網



です。


リンパ節は、生検のみで、郭清はして

いません。






そして、残念なことに、、、


卵巣に小さな穴が既に空いていて、

つまり自然に破れていて、がん細胞が

お腹の中に飛び散っていました。


腹膜播種(ふくまくはしゅ)と言います。






そして、横隔膜、脾臓、腎臓、胃など

様々な臓器の表面に2~3ミリほどの

がん細胞が無数にあるとのこと。


それらを手術で取るとなると、12~13時間

の手術となり、更に術後、何ヵ月も

寝たきり状態になったり、様々な合併症を

起こす可能性がある、ということことで、

手術では取らずにそのまま閉じた


とのことでした。






正直、そこまでになってるとは思って

いなかったので、聞いた時はショックで。


なんか、ショックすぎて感情は動き

ませんでした。






その後、これからの治療方針、抗がん剤の

話などいろいろされたのですが、あんまり

頭に入ってこないというか。


それでも必死に聞きましたけどね。






それを聞いたのが午後6時。


パートナーと姉が一緒に聞いてくれて

ましたが、話が終わった頃には20時

近かったし、面会時間も過ぎているので

二人にはすぐに帰ってもらいました。






1人病院に残された後がキツかった。。


食事も途中だったので、食べなきゃ

いけないし。


食べられないかと思ったけど、なんか

勢いで食べました。


少しだけど。






なんとも言えない不安と恐怖とショックが

入り交じった説明できないような感情が

沸き起こっていて、それをどう処理

したらいいか苦しみました。


泣きたいけど、泣く場所が無いんですよ。






病室は、個室じゃないし。


とりあえずラウンジ行って、夜景を

見ながら、ドキドキが止まらず

呼吸するのも一苦労な感じで。


ほんとに呼吸が苦しかった。。


最初にがんであろうと診断された時も

同じような状態になったけど、今回の

ほうがもっとひどかったかな。






ひどくなってこのまま死んじゃうのかな?


大好きな旅行にも行けないのかな?


おいしいご飯をみんなでワイワイ食べる

こともできなくなるのかな?


やりたいことができなくなるのかな?


もっと苦しむのかな?





といった不安が次から次へと。


でも、これ全部、不安が引き起こす妄想

なんですよね。


でも、この時はこの妄想が止まらなかった。






誰かと喋ってないと、苦しくて気がおかしく

なりそうだったので、パートナーに

電話しました。






既に家に着いていてくれたので、話す

ことができました。


これは本当に本当に救われた。


パートナーは、今、すごく仕事が忙しく

その日もまだ仕事が残っていて、家で

やらなければならず、更に翌日は

出張という状態。


それでも、「怖くて電話が切れない」

と言ったら、「いつまででも付き合う」

と言ってくれ、その言葉にどれだけ安心

したことか。






話してても、泣きたいのに泣けないん

ですよね。


泣けたら楽になる、ってわかってるので

泣きたいんですけど、ショックすぎて

泣けない。


これが気持ち悪くて、どうにかしたかった。






人って泣けない時、感情のはけ口が無い時、

生あくびが出るんですね。


私だけかな?


生あくびが止まらなかった。


表に出したい感情を涙で出せないから

あくびで出すのかなー?






結局、1時間以上、話してました。


手術の当日、付き添ってくれた

パートナー、姉、義兄には、術後すぐに

この話があったそうです。


私には術後1週間は、回復することだけに

集中できるように、内緒にしてれて

いました。


主治医からも、手術の話は1週間後ね、

と言われていたので、私は術後の回復に

全力を尽くしていたんですね。


でも、パートナーや、家族たちは、この

1週間、ずっと私にそれがバレないように

何事もなかったかのように笑顔で毎日

お見舞いに来てくれていたわけです。






パートナーなんて、たった一人で、

誰にも話せないまま、1週間、仕事も

忙しい中、すべてを一人で消化したんだ、

と思ったら、そこで涙が出てきました。


感謝と尊敬と、何とも表現できない感情で

泣きました。


私はこうやって、パートナーに頼って

何とか消化しようとしてるのに、彼は

一人だったんですよね。。


それを思う度に今でも涙が溢れます。







姉にも、その後、メッセージを送りました。


この1週間キツかったでしょう、と。


連日、朝から病院に来て、歩行の練習とか

その他身の回り全部やってくれて

ましたから。


ありとあらゆる負担が姉に大きく

かかっているので(両親のケアとかも)、

申し訳ないという気持ちと。


そして、私は泣くことができて、少し

落ち着いたから大丈夫だよ、と

いうことも伝えました。


姉は、遠慮せずに何でも言ってね、と

言ってくれました。







私は本当に人に恵まれているな、って

いつも思います。


周りにいる人たちは、本当にいつも私を

助けてくれる。


この時、もう一人、同じ病を経験している

心友の優しい言葉にも涙することができ、

そこから、おいおいと泣くことができた

ので、おかげで随分と心が落ち着きました。


涙の力はすごいですね。


辛い時は涙を我慢せずに、泣いたほうが

いいですよ。


きっと、楽になります。






消灯は21時だけど、0時半過ぎまで

ラウンジにいて。


看護士さんも心配して、声をかけて

くれたけど、泣きたいのでここに

いさせてください、と言ったら

そっとしておいてくれました。






その後は、病室に戻り、睡眠薬の力を

借りて寝ました。


起きたら思っていた以上にスッキリ

していたので、自分でも安心しました。


夜中に起きちゃって不安がまた襲って

きたらどうしよう、って思ってたから。






そこからは、バタバタと退院準備をし、

無事、退院となったわけです。






どうしても、すぐに死と結びつけがち

だけど、同じように、もしくはもっと

進行した状態でも、治療を頑張って

毎日を大切に、元気に生きている人

たちもいらっしゃるんですよね。


このまま何もできずに死んじゃうのかな?


というのは、不安が生む妄想で、

そんな生き方にはしない、と自分が

決心すれば、もっと人生を楽しむことが

できる。






もちろん、これからの治療は長くかかるし、

根気のいるものだし、きっとかなり苦しい。


体力もますます落ちるだろうし、

身体の見た目もどんどん変化していく。


だから、今までと同じように生活する

わけにはいかないけれど、病気と上手に

付き合っていけるかどうかは、

やっぱり自分次第なんですよね。






同じ病気を経験している友人が

言っていました。


身体の変化に最初は愕然とし、鏡を

見るのも嫌だったと。


元に戻りたいと思ったこともあったけど、

元に戻そうとする必要はないんだ、と

今は思えていると。





なんて素晴らしいんだろう!と思いました。


ありのままの、どんな自分でも受け入れる

その姿勢は、本当に心から尊敬しました。






目の前に苦しい現状があると、なかなか

そんなふうには思えなかったりするけど、

同じような思いをしている人たちが

世の中にはたくさんいるんだ!

そして、みんなそれを乗り越えているんだ!

と思うと、それだけでも勇気がわいてきます。






私の周りには、同じ病気を経験している

友人が何人もいて。


その友人たちの経験談を聴けば聴くほど

弱音吐いてる場合じゃないな、と元気と

勇気をいただけます。






病は気から


病気は学びのサイン






ここは絶対に忘れずに。






必要だから私に与えられている。


与えられたものを活かす生き方をしたい。


そのためにも、目の前のことに振り回され

すぎないように。


俯瞰した視点を忘れないように。


毎日を本当に大切に過ごしたいと

思います。






今は、しっかり栄養とって、無理せず

体力回復させることに集中しつつ、

心のケアもたくさんの方々のお力を

お借りして、これからも進めていこうと

思っています。


でもきっと、これからも、気持ちの

アップダウンはあるでしょう。


それもしっかり受け入れて。






長くなりました。


最後までおつきあいいただき、

ありがとうございます!






いつも応援してくれて、支えてくれる

すべての人たちに、心からの感謝を。



土居美紀