『宇宙犬マチ』 第12回! | ハッピーなマチ日記+セイ

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元気すぎるヨークシャーテリアの兄弟の日々を綴ったブログでしたが、ハッピーもマチも虹の橋に旅立ちました。そしてセイくんが我が家にやって来ました!

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第12回をアップします。

よろしくお願い致します(^.^)

カッピー

 

『宇宙犬マチ』 第12回

 

Ⅸ 急転 ヒロキ

――夢を観た。ウイルスで人類が弱った地球に、いきなり宇宙から大きな円盤で使者がやってきて、地球のあちこちを攻撃し始め、まったく抵抗できない人間は逃げまとうばかり。そんな時、マチが巨大化して、その侵略者を追い払おうとする。しかし、いきなり八つの首を持つ巨大な龍のような怪獣が円盤から現れて反撃され、マチが瀕死の状態に。“マチ!”と叫んだところで、目が覚めた。あたりを見渡すと、マチの姿はなく、寝息も聞こえない。なぜか、リビングから光が漏れていた。前にもあったような光景で気になったが、すぐにまた眠気が襲ってきて夢の中に引き込まれていった。
 翌朝、リサは軽くコーヒーとトーストとオレンジを食べて、すぐに病院に向かった。少しだけ元気そうで明るい表情をしていたのが救いであった。
 「じゃあ、行ってくる。マチのことよろしくね」と言い、「マチ、おとうさんのことを頼んだぞ。またすぐ会えるよ」とマチの頭をポンポンとした。「また連絡します。くれぐれもウイルスには気をつけて。では、行ってきます!」と言い残して出かけていった。見送る僕たちに何度も大きく手を振って、見えなくなってしまった。
 それから三日間ほど家にいて、書き物を続けつつ、時々テレビやネットでウイルスの感染情報を入手していた。状況は刻一刻と悪化の一歩を辿っていて、検査スポットや病院に人が押し寄せ、怪我人まで出るようになってしまっていた。マスク不足、消毒液不足を本格化し、それを手に入れるための諍いのよる事件も続発していた。罹患した人への差別、医療従事者への偏見すらも起きていた。そして利権を持った国の上層部が意欲を失くしていて、それらの問題を収束させる中人人物も不在となり、次第にカオス化していった。それは、世界のどの国でも同様で、このことが原因で再び紛争の危機性が高まっていた。せっかく、平和の道筋ができてきたのに――。
 マチは私に寄り添うようして、世界の状況を見つめていた。そして、何か険しい顔をするようになり、また日中に寝ていることが多くなった。しかも、寝ていて、言葉のような早口な寝言を発して、まるで誰かと会話しているようであった。また食欲もなくなり、みるみるうちに痩せてきた。僕の周りには心配事がたくさん渦巻いていたが、自分にできることは、まったく見出せなかった。いったいこの状況下で、どうしたらいいのか? なんて無力なんだ! こんな自問を、起きている間中続け、強い酒の力を借りて、なんとか眠りにつくようにまでなっていた。そんな時、マチが近づいてきて、お腹をなでてくれと催促したり、股の間で寝息を立てている姿を見ると、荒んだ気持ちが和らぐ。彼がいてくれて、本当に良かったという強い思いが日々積もっていった。
 リサからは時折、LINEが来るだけだった。それも“マチは元気?”“気をつけて!”“私はなんとか大丈夫”とか、一言だけ。“リサこそ気をつけて!”“元気でがんばっておくれ”“帰りをまっているよ!”とか返信しても、既読にはなるものの、返信が来ることはなかった。それだけひっ迫した状況なのだろう。

 リサが病院に戻って七日目の夜、スマホがブルブルと震えていた。とっさに画面を見ると、彼女が務める病院からだった。慌てて出ると、同僚の看護師の女性からだった。「リサさんが……」という一言が聞こえただけで、しばらく沈黙した。「どうしたんですか、リサに何かが?」と大きな声で問うと「先ほど急に発熱をして倒れたので、ウイルス検査をしてみたら、陽性でした。いまICUに入っています」と彼女は告げた。僕は絶句した“どうして?”“なぜ”という言葉が頭の中をぐるぐると空回りしていた。なんとかそれを拭い去り、「それで、容態は?」と言葉を振り絞った。「かなりの高熱が続いていて、呼吸も自力ではできない状態です。効くと思われる薬を投与していますが……」。もう、涙声になっている。「まさかリサさんが……すみません。またご連絡します。急患が来ました。大混乱です」と一方的に言って、通話が切れた。
 僕は、何も考えられないほどショックを受け、頭の中が真っ白になって立ち尽くしていた。どれくらいの時間が経ったのだろう。マチが足をカリカリしてくれて、正気に戻った。いきなりソファーに座り込み、マチを抱き上げた。彼は真剣な眼差しで僕をみていた。「どうしよう、マチ。リサが、リサが……」と声が出た。状況を察したのだろう。マチはうなだれて、シッポが下がってしまった。しかし、しばらくすると、マチは僕の涙で濡れた頬を舐め顔にスリスリして、寝室の方に行ってしまった。僕は机の上に突っ伏した。効果が確実にある薬さえあれば、どんなことをしても手に入れて、届けるのに。そんな薬はいまの地球上には存在しない。まったくの無力だ。頼むから助かってくれ。そして再び笑顔を見せてくれ、リサ! そう祈ることしかできなかった。
 あまりの絶望感から、そのままソファーにもたれ掛かって、意識が遠のいた。それからどれくらい経ったのだろう。何か温かいものが、腕をつついている。マチの鼻であった。もう夜中の一時を回っていて、辺りは恐ろしいほどの静けさだった。僕は隣にいたマチの頭を撫でその温もりを確認して、ベッドに入ることにした。明日病院に電話を入れよう。悪夢は去って、きっとリサは大丈夫なはずだ。そう思い込ませて、スマホをしっかり握りしめてベッドに潜り込んだ。マチもベッドによじ登り、僕の腕にもたれ掛かるように寝息を立て始めた。その寝息を聞くや否や緊張がほぐれ夢の中に落ちていった。少ししてマチがベッドを降りる音に気付いたが、眼を開ける気力さえ失っていて、そのまま闇の中に居続けた。
 息苦しくなって目が覚めた。寝汗をかいていた。覚えていないが、何かとても辛い夢を見ていた気がする。背筋がゾクゾクして、見た夢を思い出したくない気持ちが頭いっぱいに広がった。枕元に置いたスマホを見ると午前三時過ぎだった。着信がないことだけを確認してスマホを消した。いまにも着信がありそうで、とても怖い。トイレに行って着替えをしようと起き上がったら、リビングの方からまた青白い光が漏れていた。マチを探すと寝室にはいないようだ。リビングを確認しようと思ったが頭痛がして寒気もしたので、用を足し着替えを済ませただけでベッドに戻ることにした。何か見てはいけないもの……直感的に感じてもいた。
 また夢を見た。この前と同じように、マチがリビングでパソコンを操作している。その表情は、あのリゾートホテルで見せたような威嚇をしているみたいに歯を剥き出しにして、眉間に皺を寄せ、まさに攻撃的なものだった。それを見た僕は、マチが何かを破壊しているかのように思われ、「マチ! やめるんだ!」と思わず叫ぶ。マチは僕の方に向き、目を眩しいほど光らせた。その瞬間、僕の身体は凍りついた。その眼光は脳を突き刺すほどのパワーを持っていた。光は記憶を司る部分に到達してこうつぶやいた。「地球は消える」と。しばらくして、「助ける、助けなきゃ。助ける、助けなきゃ……」という言葉がリフレインして、自分の頭の中が、その言葉でいっぱいになった時、パッと光が消え、爆発音と共に青い地球が粉々に砕け散った。僕は大きな暗黒の穴に落ち込みそうになり、右手を伸ばした。ふと小さな温かいものに触れ、それを必死に掴んだ。急に夢から覚醒して、目を開けると。そこは寝室であった。掴んだのは、へそ天の状態で寝ているマチのシッポであった。カーテンの間からは、明るい日が差し込みはじめている。額は汗でぐっしょりだったが、不思議と身体には汗ばんだ感じはなく、そっと右手をマチのシッポから離す。彼は、チラリと横目で僕を見たが、そのまま寝息をたて始めた。
 なぜかマチが僕を破滅から救ってくれた気がしてならなかった。さらに右手を伸ばし、彼の腹を撫でると、その温もりが伝わってエネルギーに変わった。人類が未曽有の危機から救われる、そんな確信が湧いてきた。時計を見るとすでに七時近くになっていた。

Ⅹ 別離 ヒロキ

 その朝は久しぶりに快晴だった。目を覚ましたマチも、察知したのから、すぐにベッドを降り、水を飲み始めた。僕もゆっくりと、額の汗を拭い、またスマホを確認した。着信はないので、安心して起きることにした。
 いつもの朝のルーティンをこなし、すぐに着替えをしてマスクをしてマチと散歩に出た。もう太陽の光が強く、マチの影をくっきりと作り上げていた。少し頭痛がして、身体もあちこちが痛い。まさかウイルスに? とは思ったが、熱はなさそうだった。マチはいつものようにさっさと用を足し、いつものコースをあちこちにある手紙を読みながら、前に進む。いつもよりペースが速い。明らかに早く家に戻ろうとしていることがわかった。マチに引っ張られながら、自宅に戻り、まずマチとハッピーの食事を用意した。マチは薬を飲む必要があるので、少し手間がかかるが、干し芋にくるんだ薬をすぐに飲んでくれたので、自分もいつものより早めに朝食にありつけた。ハッピーの食事は遺影の前に毎日上げている。
 濃い目のコーヒーを飲むと、頭もスッキリし、頭痛もなくなり、元気が出てきた。マチはカリカリフードをすぐに食べ終え、僕のパンとみかんをおねだりに来た。
 簡素な食事を終えると、いつものようにパソコンのメールを確認する。夜に受信していたメールは、セールスか急ぎではない仕事関連のリリースメールばかりだと思ったのだが、ひとつだけ【緊急案件】というタイトルが付いたものがあった。またスパムメールかと思い、ゴミ箱に入れようとしたが、用件と冒頭の文章を見た瞬間、脳が刺激された。そこには英語でこう書かれていた。“重篤になったウイルス患者に高い効果のある構造物”と。そして、化学式らしきものが併記されていたが、その方面にとんと疎い自分にはチンプンカンプンだった。最後のセンテンスには“真実なので、信じてほしい”と書かれていた。
 発信者の名義は、外国の大学名と数人の名前が列記されていた。リサの病状が気になっていた僕は、すぐに信じたい気持ちとなった。すぐにリサのいる大学病院に電話をして主治医にことを話すことを決めて、スマホを持ち出した。
 しばし待ってから何とか出てくれた主治医にこの件を話すと、なんとまったく同じメールが届いているとのこと。「ちょうど気になって、構造式と実績を調べるように、指示を出したところです。見た感じ、かなり複雑で同じものはたぶん存在しないので、合成して作らないといけないものだと思われます。しかし、近い薬があれば、効果があるかもしれない。実は奥様がかなり危ない状態に陥っています。一時を争う状態なので……」。主治医の女医は興奮気味に早口で喋って、「少しだけ時間を下さい」と付け加えて電話を一方的に切った。
 “危ない状態”。この言葉に僕は身体中の力が抜けていくのを感じていた。しかしこうなったら、送られてきたメールを信じて賭けるしかない。時間との闘いとなる。僕にできることといえば、このメールの信憑性を確認することぐらいであった。メールの送信者には、外人の名前と共に、サイトのアドレスが記載されていた。そのサイトを開くと、ドイツの感染研究所の顧問をしている高名な医学博士グループであることがわかった。ドイツ語の能力はほとんどないのだが、翻訳ソフトで、いとも簡単に読むことができる。そのメンバーは数々の医学賞を受賞し、次のノーベル賞候補とも謳われているようだ。これなら信頼はおけそうだ。示されたものをすぐに作ることはできないだろうが、主治医が言ったように、近似のものがあれば、効果の出る可能性はあるだろう。その時は、なぜ自分あてにメールが送られてきたのかという疑問には気付かないほど気が動転していた。とにかくリサが入院している大学病院で、近いものを一時も早く見つけ出してくれることを祈るしかない。この時だけは、あらゆる神様、仏様とご先祖様にも願いを伝え、祈り続けていた。
 マチは自分に向かってしきりに喋りかけてくる。何かを察知したのかもしれない。「マチも祈っておくれ。リサが戻ってくることを……」と声をかけ頭をなでると、マチは座っている股の間に入り込み、一度僕を見つめると、伏せて動かなくなった。
 時は刻々と過ぎていく。主治医と電話で話してから、すでに八時間が経ち、辺りは暗くなりつつあった。苛立ちを隠せないが、何かをやろうという気にもなれない。
 目を覚ましたマチは、リビングと寝室の間を行ったり来たりして、やっぱり落ち着かない様子だった。はたと、マチの夕食を忘れていたことに気づいた。自分は軽い昼食をとっただけだったが全くといって、お腹が空いてこないが、彼にとってはいつもの夕食の時間が過ぎていた。「マチ、ゴメンよ。今作るからね……」と言って、立ち上がりキッチンに立つと、彼は近づいてきて、お座りをして僕をじっと見つめていた。やっぱりお腹が空いているよな、と思うと、すまない気持でいっぱいになった。自分もコーヒーでも飲んで気持ちを落ち着かせようと思い、ティファールのポットのスイッチを入れた。マチの夕食であるパックものにカリカリフードに薬を入れて、少しだけ茹でておいたササミをトッピングする。準備ができたら、彼の食事台に上げると、音を立てながらガツガツと食べ始めた。それを見届けると、コーヒーをペーパーフィルターで落としてミルクを少しだけ入れて、それを持ちながらソファーに腰かける。コーヒーのいい香りが部屋中に立ち込めて、ほんの少しリラックスした気分になった。夕食を完食したマチが近づいてきて、足元に伏せをした。
 ひと口、コーヒーを口に含んだ時、スマホがブルブルと軋んだ音を立てた。いきなり緊張が走る。手に取って発信元を確認すると予想通り、大学病院からだった。一瞬躊躇したが、意を決して、通話モードにした。出たのは女性の看護師だった。
 「ヤマオカさん、奥さんが危篤状態になってしまいました。テレビ電話に切り換えて下さい。そして声をかけて下さい」。その声はあまりに切羽詰まった感じで、別世界からのものように聞こえていた。
 恐る恐るテレビ電話にすると、いくつもの管につながれたリサが横たわっている。その周りには、防護服姿の医師がいて、看護師たちは忙しく動き回っている。主治医の声がした。「すみません。知らされた化学式を用いた薬の成分を調べて、近いものを探していたのですが、ここにはなく、取り寄せをしている間に、急変してしまいました。もう手の施しようもありません。残されたのは精神力と生きるという気力のみ。さあ、声をかけてやって……」。そう言うと、リサの顔が大きく画面に写し出された。目を閉じ、少し苦しそうな表情をしていたが、思っていたよりも穏やかなものだった。「リサ、リサ。大丈夫か? 早く帰ってきておくれ。ほら、マチも待っている。愛してる。だから戻ってきておくれ!」そう叫ぶように声をふり絞った。その時、リサはうっすらと目を開け、こちらを振り向いてくれた。優しい目をして少しだけ微笑んだ気がした。と同時に苦悶の表情となり、目をぎゅっと閉じ、眼もとにひと筋の涙が伝った。チューブの入れられた口が少しだけ動いた。五つの言葉“あ・り・が・と・う”と言っているのが理解できた。と同時に“ピーピーピー”という機械音がけたたましく鳴り響き、画面が揺れ斜めになって、白い天井が写し出された。騒然とした音と、叫び声だけが聞こえていた。僕は覚悟をして、通話を自ら切った。自然と涙が溢れ出しているのがわかった。ソファーに倒れるように座り込むと、マチもわかったかのように、僕の身体を這い上がってきて涙を舐めてくれた―――

 リサはそのまま息を引き取った。直に見ることも触れることもできずに……。こんな別れがあるのだろうか? ウイルスと闘い、患者と向き合い、自分を犠牲にしてまで、患者んのために尽くしてきたのに、いったいどうしてなんだ? この時とばかりは、運命を恨んだ。しかし、その恨む気持ちは少ししたら、訳のわからないまま和らいできて、知らぬ間に眠りについていた。
 その夜、リサが夢に出てきた。彼女はこう言った。「ヒロ、もう悲しまないで。私は私の使命を全うしたの。だからあなたは、これからも生きて、この世界の将来を見定めて。それがあなたの使命。それと、マチをよろしく。大切に優しくしてあげてね。約束よ」とあまりにやわらかな表情で話してくれた。その後は、眩いばかりの光が輝き、二重にかかる虹の方向に彼女は吸い込まれていった。残された僕は、その二重の虹が人類の今後を示していると信じた……
 少しだけ温かい気持ちのまま目覚めた。ほんの少しだけ明るさを取り戻した朝に、リサはもういない。いや、心の中に永遠にいるはずと思い直し、手を伸ばすと、マチの尖った耳に触れ、ピクッと動くのがわかった。マチもいてくれる。「リサ、お疲れ様。今までありがとう」そう呟くと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
 マチにリサが天に召されたことを話した。途中でまた涙がボロボロこぼれ落ちて、またマチが僕によじ登って、頬を舐めて慰めてくれた。彼を見ると目のあたりが、濡れていることがわかった。犬も泣くのか……一緒に悲しんでくれる存在がいてくれるのが、とても有難かった。

(以降、1月25日掲載予定の第13回に続く)