吉田拓郎は日本の音楽アーティストの中でも特別な存在だ。吉田拓郎が特別だといわれる理由は、彼が始めた音楽はそれまでの日本の流行音楽とは異なるものだったからだ。日本では戦前から広く大衆向けの音楽が流行していたが、それらの音楽には一つの共通点があった。それは多くの音楽がプロの作詞家や作曲家によって作られていたことだった。歌を作る人と歌を歌う人がはっきりと分けられていたので、音楽アーティストとはあくまで歌を専門に歌う人のことだった。そうした日本の流行音楽の流れを大きく変えたのが、吉田拓郎である。外国のミュージシャンなどにも強く影響された彼は、プロの作詞家や作曲家に頼らずに、自分の力で作詞作曲をし、それを自分で歌ったことに、全時代の歌手とは一線を画す大きな特徴があった。これは今でいうシンガーソングライターのさきがけであり、吉田拓郎が商業的に成功してからは、彼のように自分で曲を作る音楽アーティストが日本に多く現れるようになった。そのような意味でも吉田拓郎は、日本の音楽アーティストにとって特別な存在といえるであろう。
吉田拓郎が歌手としてのキャリアを始めたのは1970年のことで、シングル曲「イメージの歌」でエレックレコードからデビューした。この歌は今でも吉田拓郎の代表曲の一つで、本人だけでなく、多くのほかのアーティストにもカバーされている。特に有名なのは浜田省吾によるカバーで、浜田省吾がこの曲をカバーしたのは、本人が吉田拓郎と古くから親交があったことに関係している。広島県出身である浜田省吾は、同郷の出身である吉田拓郎のバックバンドを務めていたことがあり、浜田がミュージシャンとしてデビューするきっかけを作ったことで知られている。そうしたことの恩返しという意味もこめて、浜田省吾は吉田拓郎が50歳の誕生日を迎えた年にこの曲をシングルとして製作したいきさつがある。この浜田によるカバーバージョンの『イメージの詩』は、吉田拓郎本人も製作に参加していることでも有名で、拓郎はギターの演奏を担当している。