昨日の続き。学歴コンプレックスの根底にあるものを考えてみた。
「バカだと思われたくない」という、気持ちがある…
先日のブログで紹介した『言葉が足りないとサルになる』には、このように書いてある。
“私が問題にしたいのは、誰それがアホになったという事態そのものではなく、「アホと思われることは死ぬほど恥ずかしい」という多くの人に共有されていた感覚が、いつの間にか消滅してしまったことです。「アホになった」ということを強調したいのではありません。「アホと思われるのではないか」という恐怖心をもたらす何ものかが、潮を引くようになくなりつつあるというところを言いたいのです。”
でも、私は違う。バカだと思われるのは、嫌だ。
中卒だから、高卒だから、短大卒だから、それ以上の学歴の者と比べてバカでも、仕方ない?
仕方なくない。人生いつでも勉強、バカから脱皮できる。知識と学歴は比例しないと信じている。
それでも大卒にこだわるのは、昨日書いたように、勉強したいから。そしてやはり、「大卒」という肩書きが欲しいから。
大学といってもピンキリなのは分かっている。学力よりも親の経済力があれば進学可能な大学も、今はあるのだろう。多数が進学するようになったし、大学の価値は、私が学生時代のときとは変わっているのだろう。
勉強しなくてバイト漬けでも遊んでばかりでも、卒業しさえすれば「大卒」になる。実際の就活には学校や個人のレベルも関係してくる可能性があるが、それでも大卒を求める企業に応募することはできる。
しかし、求人票に「大卒」と書いてあれば、短大卒の私は応募を躊躇せざるを得ない。最初から同じスタートラインに立てないのだ。悔しい。
いくら努力しても埋められないこういう溝を、学歴は簡単に埋められる。スタートラインに立ったあとは、個人の能力次第だが。
もちろん、学歴に関係なくすばらしい人は世の中にたくさんいる。ただ私は、自分のステップアップのためには学歴も必要だと感じたのだ。すべての人にあてはまる考えではないということも、理解している。
…というように、考えをまとめるのに時間がかかるから(果たしてまとまっているのか)、不意打ちの質問に咄嗟に答えられず、困るのだ。「すごい」という感想しか言えなくなってしまうのだ。