こんにちは。
子供達の発達障害・不登校・精神科入院
私のせい😢と自分責め
「母が、妹が」と原因探しを続けて50年
オーラレコードリーディングと
ダウジングソウルセラピーに出会い
本当の自分で生きる悦びを
感じられるようになった かず枝です^^
(黒歴史シリーズ目次はこちら)
このブログでは、
わたしが生き返ったポイント💡
学んだことなど🌱
シェアしていきます💖
次女は高校に通うのがつらくなり、パニック発作を起こし
精神科に入院したことがありました。
精神科に入院。悪霊に憑依された? 9万円どぶに捨てた話【黒歴史⑧】
次女は、幼いころから繊細な部分がありました。
幼稚園は野外保育に通っていて、
その時は困ったことは特にありませんでした。
おままごとが大好きで、
元気に通園していました。
ところが、年長で普通の保育園に移ってから、
「音がウルサイ」
「人がぶつかってくる」
「叩かれる」
と訴えて、保育園に行きたがらない日が増えてきました。
子供の甲高い声は、
野外では森の木々が吸収してくれますが、
狭い園舎の中では響きます。
急に環境が変わって、
音の大きさが「ウルサイ」と感じたのでしょう。
(私も、参観の時に「なんてウルサイんだろう」と思いました苦笑)
また、多分、
元気の余っている子たちの動きが
大きくて、突発的で・・・
それを
「ぶつかる」「叩かれる」
と感じたのだと思います。
「感覚過敏」あるいは
環境の変化に対応できなかった、
といえるのかもしれません。
小学校に入ってからも
状況はあまり変わりませんでした。
「先生の怒る声が嫌だ」
「みんなが騒がしくて落ち着かない」
と訴えていました。
家でも、長女がやりたい放題で落ち着かず、
次女はずっと緊張状態にあったのだと思います。
そのうち、身体の不調が出始めました。
・手汗でノートが濡れる
・耳の後ろが痛い
・足がムズムズする
ムズムズ症候群、線維筋痛症…
いろんな病気を疑ってあちこち受診しましたが、
どこへ行っても「特に問題なし」と言われました。
それでも、娘は確かにつらそうで・・・
私は何もできず、
ただ見守るしかありませんでした。
身体がつらいときは、保健室などで休んだりして
様子を見ていましたが、
だんだん欠席が増えてきました。
長女が発達障害と診断され、
支援を受けるようになったのをきっかけに、
次女も検査を受けることになりました。
結果は、やはり発達障害。
そこで、支援級に行くようになりましたが、
支援級も結構ウルサイし、
「先生の言うことを聞かない人がいる」
というのが次女のストレスポイントでもあり、
5年のころからほとんど学校に行かなくなりました。
6年の2学期からは完全不登校になりました。
中学では支援級に在籍しましたが、
登校できたのは最初の1ヶ月ほど。
5月に入ると再びダウンし、
完全不登校となりました。
その後は学外の一時支援に通うことで「通学扱い」としてもらい、
なんとか卒業しました。
🌟 🌟 🌟
今考えると、
次女にとって「学校」は、
音や人の刺激が強すぎる場所だったのでしょうね。
“頑張れない”のではなく、
“頑張りすぎて限界だった”だけ。
当時も「感覚過敏」だと分かっていたけれど、
頭で理解していただけで、
無意識のうちに
「学校に行ってほしい」
「学校に行くのが普通」
という圧力をかけていたのかもしれません。
今は、自分の無意識の思い込みに気付き、
ニュートラルに次女の話を聴くことが出来るようになり
娘との関係性もよくなって、
次女のメンタルも整ってきています^^
