6出産は普通分娩?無痛?計画?帝王切開?何だった?目

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私には、
子どもが4人います。

4人の子どもの出産は、
4人4様です。


特別な出産をしているので、
小学校や中学校で、
読み聞かせの時間をお借りして
子どもたちに
この話をしています。


第1子は
予定日が、11月中旬だったのですが、

8月お盆すぎのある日、

おしっこがもれた感覚が何度かあり、

かかりつけの産婦人科に行ったら、


「破水している!」

と言われ、

総合病院に入院することになりました。


「お腹の子どもが育つまで、
持たせなくてはいけない」

と言われましたが、


ある日、
ベットに寝ている状態で、

バケツの水をこぼしたかと思われる程の


破水をしてしまい、


緊急手術で
帝王切開になりました。



8月末に出産してしまったので、

体重は、1,200gの

極小未熟児。


生存確率7割と言われました。


NICUに3ヶ月以上入っていて、


12月はじめにやっと退院できました。

その後は、
未熟児特有の後遺症も出ず
健康に育ちました。


しかし、
先生に
「帝王切開の後妊娠は、
最低でも2年は開けてください」



と言われていたのに、
第2子を年子で妊娠してしまいました。




今度は、
早く生まれてしまうことが
怖くて怖くてしょうがなく、


できるだけ動かないようにしていたら、


体重が20キロ増えてしまいました。




そして、
今度は、予定日が過ぎても出てこない!



やっと夜中陣痛が来て、
入院したのだけど、
朝には、陣痛がなくなっていた。



陣痛を起こさないとダメだということになり、

陣痛促進剤の点滴を

3本入れました。


副作用で、
全身汗びっしょりです。
3回寝巻きを変えてもらって、


ようやく夕方生まれました。



第1子と同じ総合病院で、
新生児の階と産婦の階が別々で、

赤ちゃんと一緒にいられない
淋しい思いの入院生活でした。




そこで、
第3子の時は、
はじめから助産院で出産することにしました。


出産の朝、

上のお兄ちゃん二人が
保育園に行く時間に陣痛が来ていたので、


車に家族全員乗って助産院に向かいました。



ついて、
1時間しないうちに生まれて、

お兄ちゃん二人に
出産の現場に立ち会ってもらうことができました。


そのおかげか、
二人のお兄ちゃんは、


それは、それは、
妹である赤ちゃんを可愛がってくれました。




その3番目の子が、
大人しい、手のかからない子で、


こんなに楽なら
もう一人産んでもいいかもしれない

と思ったのでした。



しかし、
すぐには妊娠せず、

諦めていたところで、

ある助産師さんに出会い、

「今度産む時は、
自宅で産むといいわ。
私が取り上げてあげるから」

と言われました。


その時、
もう諦めていたので、
適当に相槌だけ打っておきました。



その2年後

第4子を妊娠しました。



出産の日、
夜9時に家族全員寝た後で、
陣痛がはじまりました。


すぐ産まれる訳ではないので、
居間でTVを見て気を紛らわしていました。


しかし、
どんどん、陣痛が強くなり、

痛みを和らげて、
体を温めようと思いお風呂に入ります。


陣痛の間隔がどんどん短くなり、


もう、
先生を呼ばなくてはいけない!


と思い電話しました。



その後、
寝ている旦那を起こしに行こうと思いましたが、


途中で動けなくなったら怖い


と思い、お風呂に戻ります。


その後、
何十回かの陣痛の波を乗り越えた時、


お腹の中で、

赤ちゃんが回転して降りてくるのがわかりました。



立ち上がった両足の間から


赤ちゃんの頭が出てくるのを見届けて、


両脇を持って水面から出しました。



そしたら、


「オギャー」と泣かないし、

目も開けないし、動かない!


びっくりして、
頬をペンペンペンと
叩いたら、


ようやく、
目を開けて、また閉じました。



生きてる〜‼️



体育座りした足の上に
赤ちゃんを乗せてしばらくしたら、


助産師さんが到着しました。



旦那を起こして、布団の用意をしてもらったり、

へその緒を切ったり、

胎盤を出したりする後始末は、


全て助産師さんがやってくれました。



ほんとは、
助産師さんにも来てもらわず、
家族だけの自宅出産が望みだったのですが、


親が反対することがわかっていたので、

助産師さんを頼んだのですが、


結果、

お腹の赤ちゃんと二人だけの出産になって、


究極の望みが叶った出産になりました。