ワシは押しが強い性格だで地雷を踏みがちだ。

 

自然と少数派を選んじゃうセンスも相まってよく地雷を踏む。

 

少数派の強い主張は、そんな意図はなくても大多数派への攻撃だととられる事があるって意味での地雷。

 

被災地での活動もそうだし、政治的発言もそう。

 

自由に動ける立場の責任として、社会のためにやった方がいいと思うことを主張しとるだけなんけど、事情があって自由に動いたり発言できない人の中には自分が攻撃されたと感じちゃう人が一部おるんよな。

 

そんで変な空気になったことも何度もあった。

 

 

移動ドの主張もそうなりがちかも。

 

特にウクレレ系の先生は固定ドで教えとるから、その行為を批判しとると思われて物議を醸してしまっとるかも。

 

 

この動画とかもね。

 

もちろん、現状、固定ド派が大多数なんだで、そっちで教えた方が目先の効率がいいのもわかっとる。

 

ウクレレやる上で音楽の仕組み自体を知りたいと思う人も少ないしね。

 

だで固定ドを使った方がデジタルで手っ取り早いって事も理解できるで全く攻撃するつもりもない。

 

当然だけど、特定の誰かを攻撃するような問題じゃないでね。

 

 

今は、固定ドが大多数派であり正義。

 

明らかに移動ド派の方がオカルトチックな立場(笑)

 

でも大昔に天動説から地動説に変わったように、ワシは固定ド主体から移動ド主体の教育に変わる事を夢見とるんよ。

 

だって音楽はロマンだでね。

 

音楽に宇宙を感じとるもんで音楽理論の研究にのめり込んどる。

 

 

改めて、「ゴリラから見た音楽理論」シリーズの根幹となる概念は移動ド。

 

移動ドというのはどの音からでもその音を「ド」を決めてドレミファソラシドと聞こえる「音の並び方」をドレミで呼ぶという考え方で、単なる周波数的に決められた音の名前はCDEFGABで呼ぶ。

 

ギターのチューニングの音をミラレソシミ、ウクレレならソドミラって呼ぶのはドレミ固定ドという考え方。

指板上にドレミを固定しちゃう考え方も固定ド。

 

でも移動ド人間は音楽というドラマの中での主役との相関図でしか音楽を感じられんもんで、チューニングというただの行為にドレミという役割名を使うのが違和感があるんよな。

 

というか、相関図、つまり相対音感が音楽で一番大事だと思っとるもんで、相対音感的に重要なドレミという役名をただの音名に使うのがもったいないんよな。

 

繁華街で知らん人から突然「しゃっちょーさん!」って呼ばれるみたいな違和感。(笑)

 

ワシは社長かも知れんが、少なくとも初めて会ったアナタにとっての社長ではないって違和感(笑)

 

 

いろいろ調べたけど、移動ドは圧倒的に少数派。

 

固定ドなんて絶対音感の持ち主の特殊な考え方だと思っとったぐらい移動ドが常識だと思っとったもんで未だに驚きを隠せん。

 

でも、もともと歌手として根っからの移動ド人間だったワシが、その移動ド的な音楽の捉え方と音楽理論が結びついた瞬間に音楽の仕組みが全て見えたという衝撃的な経験をしたんよ。

 

その時から移動ドの重要性を主張するようになってゴリ論という本まで書くに至った。

 

 

だって、マジでシンプルなんよ。

 

音楽理論ってね。

 

そのシンプルな約束だけで無限の宇宙を感じられるもんで面白いんよ。

 

理論で割り切れんところにいい音楽はあるってことも実体験で知っとるでね。


 

絶対音感がなく、ウクレレとかギターを弾いて歌いたいって人は断然、移動ドが有利だと思うよ。

 

今ならもれなく少数派になれる!(笑)

 

でもみんながやっとらん事を取り入れることで、ごぼう抜きできる可能性があるでね。

 

 

そのために「炎上ジャズウクレレ」を書いたんけどね。

 

ウクレレの人よりギターの人が沢山買ってくれとる。

 

だでギター版に書き換えたのが炎上ジャズギター。

 

 

この本を書いて、また発覚した事実がある。

 

移動ドだけでも少数派なんけど、更にその少数派の中でも少数派だったことが発覚。

 

マイナーにおいての主音をドにするかラにするか問題なんけど、それはまた別の機会に。