日本ではミュージシャンや俳優や芸人とかが政治的発言をすることはタブーとされちゃっとるじゃん。

 

この風潮ってほんと危ない。

 

権力や社会の動向に対して警鐘を鳴らすことも表現者の役目なのに。

 

そのためにしがらみに属さない表現者や芸術家が存在しとるといっても過言じゃないのに。

 

文化的な先進国の表現者たちは当たり前のように政治的発言をバンバンやっとる。

 

最近ではレッチリがバーニーサンダースを全面支持をしたり、デニーロやマドンナやガガがトランプを痛烈に批判したり、古くはジョンレノンやボブマーリーやサッチモだってそう。

 

でも日本はどう?

 

清志郎さんとか菅原文太さんとか吉永小百合さんとか石田純一さんとか渡辺謙さんとか坂本龍一さんとか、ほんの一部の表現者以外はだんまりを決め込んじゃっとる。

 

というか声を閉ざさんといかん空気に呑まれちゃっとる感じ。

 

自主規制ほど息苦しくてツマランものはない。

 

日本大好きなワシだけどそこは大嫌いなんよな。

 

 

日本じゃワシレベルのミュージシャンがSNSとかブログで社会的な発言をするだけでちょっとした波風が立つし、切ない思いをする人もおるみたい。

 

名無しさんからの批判の声は一切無視するけど、ファンとか応援してくれとる人から「そんな発言はやめて!」って言われることも実はしょっちゅう。

 

有難いことでもあるんけど、実はそれが一番こたえる意見で、もらうたびに今でも毎回落ち込んじゃう実は繊細なワシ。(笑)

 

今までもこういう社会的政治的発言からファンをたくさん失ってきたし、それが引き金になってバンドも失ったのかもしれん。

 

その度に落ちこんどるワシを見て

 

「そんなことでいちいち落ち込むぐらいならそんな発言やめて黙っていい子ちゃんでおれば。でも私はその社会的なことを発する行為は表現者として当たり前だと思ってるけどね。」

 

なんて背中を押してくれるワシより過激で最高な嫁さん。

 

 

君が僕を知ってる。

 

一番の味方が一番近くにおってくれる心強さ。

 

 

声を上げる事で嫌な思いや切ない思いも沢山するし、誰かを傷つけちゃっとるかもしれんけど表現者は絶対に声を閉ざしちゃダメだと思う。


それがワシにとってのロックだでやあ。
 

正直、今の日本じゃ何ひとつ得はせんし、損ばっかりだとも思う。

 

でもワシが今も唄っとる原点はこれなんだでこればっかりは曲げれんだよ。

 

残念ながらモテたくてバンドを始めた訳じゃないんよな。

 

最近勉強しとるジャズはモテたくて始めたけど(笑)

 

 

みんなが政治とか社会に対して気軽に発言できる風通しのいい社会になったらいいと思わん?

 

そのためにも声は上げ続けようと思う。

 

 

そもそもワシは昔からずっとこうなんけどやあ。

 

メジャー時代とか震災後のチャリティー活動で出会った人にとってはワシが社会的な発言をすると「判治さん、なんかあったんだろうか?どうしちゃったんだろう?」みたいに心配してもらうこともあるみたいだけど、唄をうたい始めてからずっと社会的なメッセージを発し続けとるつもりなんよ。

 

そもそもチャリティーとかボランティア活動も社会的行動だで、それすら音楽に絡めないでって拒絶するファンもおるし、バンドマンでも少なくない。

 

ワシの中ではそのために音楽は存在しとるのに。

 

 

そもそもワシにとって、唄というのはそれ自体が目的じゃなくて想いを伝える手段なんよな。

 

デッカいこと言っちゃうなら世界を変えるための手段。

 

もちろん唄や音楽そのものを追求するために今も中二のように毎日楽器の練習もしとるし、毎日のようにいろんな場所で唄わせてもらっとるけど。

 

 

曲に込めた思いを明かすのは野暮だし好きじゃないけど、この際、種明かししとくわ。

 

ハンサム兄弟のデビューアルバムにも入っとる「お兄さんのまちシブヤ」はアホな曲だけどかなりディープな社会的メッセージを込めとるし、NHKで放送してもらえんかった「僕は戦闘機」は文字通りの社会的政治的な曲だし、震災後にリリースした「ゆわかしき」は原発政策を風刺した曲で、グリコカフェオーレのCMソングの原曲である「100%」は具体的なことを一切言わないことで逆に現代社会での孤独を唄ったうた。

HANZI BANDのテーマ」や「妄想暴走」は歪んだ日米関係を風刺した曲だし、ずっとバブバブいっとる「Baby Rock」でさえもみんなこの星の赤ちゃん=世界はひとつというジョンレノンのイマジンやボブマーリーのワンラブへのアンサーソングのつもりだし、「どーでもいい世界」は今の世の中に対する憂いを唄ったうた。

 

言ってみればワシの意向で書いた曲は全部社会的な唄。

 

光る石ころ」だって政治的じゃないかもしれんけど社会的な唄には変わらんだよ。

 

 

ワシが発する唄は全て社会的な唄。

 

そしてそれ以上にラブソングでもある。

 

社会に対する愛を唄っとるんだでね。

 

その社会とは生きるために関わる全てのこと。

 

 

声をあげれば、当然ワシとは真逆の考えを持つ人から反対意見ももらう。

 

反対されればどんなことだっていい思いはせんし嫌な気持ちにもなる。

 

だって人間だもの(笑)

 

でも自分の名前を出して反対意見を言うという行為は勇気がいる行動だし本当に素晴らしいことだとも思っとるんよ。

 

たとえ主義主張が違えどもそれによってその人のことを嫌いになったりはせん。

 

もちろん反対意見を言われれば一瞬カチンとはくるけど、むしろ好きになるぐらい(笑)

 

正反対の手段を支持しとったとしても、お互い、社会をよくしようと奮闘しとるってことには違いがないんだでね。

 

 

ただ、Facebook上で議論することは望んどらんだよ。

 

何でかっつうと、フェイスブックでたまに政治的なことを書くのは反対意見の人と議論するためじゃなくて、それを読んだ人が社会のことを考えるきっかけになればと思って意図的に書いとるもんでね。

 

レレチャリを毎月続けてフェイスブックで告知するのと同じ感覚かも。

 

「まだ東日本大震災のためのチャリティーをやってるんだ?ってことはまだ必要ってこと?」

 

って何か感じてもらえたらと思って毎月続けとるのと同じ感覚。

 

ワシにとってチャリティー活動も政治的発言も根本は同じ。

 

どっちも社会に対する愛。

 

それに、いつもパン粉にデレデレしとるか食いしん坊な投稿しかしとらん変なおじさんが、なんか急に真面目なこと言っとるけど!?って興味を持ってもらいやすい場としても意図的に使っとるんよね。

 

Facebookやっとる理由はこれ。

 

 

ワシがフェイスブックで真面目な投稿した時は、なんか社会でヤバいことが起こっとるかもって思って自分なりに調べたり考えてもらえたらこれ幸い。

 

普段あんまり社会的なことを考えたり発信したりしとらん人が、自分なりに考えるきっかけになってくれたらと思ってあえて書いとるんよ。

 

だでそのコメント欄で議論になることは全く望んどらんだよ。

 

やっぱ反対意見を読むとカチンときて言葉使いが汚くなったりもするし、正当な議論だとしても他人の意見のぶつけ合いを見たくないって人には見せたくないでね。

 

せっかく何か自分でも声をあげようと思っても、声をあげたら誰かに絡まれて面倒くさそうだなって思われちゃったら本末転倒じゃん。

 

だで、勝手かもしれんけどFacebookのワシのコメント欄での議論はお断りさせてもらうわ。

 

フェイスブックはあくまでもプレイベートな場所だもんで、ワシがそぐわんと思えばやめてって言うし自分の場なんだで勝手に削除もするよ。

 

反対意見を排除する偏向報道とかとはまるで別問題だでね。

 

というかそもそもワシの個人のページなんだでワシが意図的に偏った意見を発信するのも自由なんけどな。

 

もしどうしてもフェイスブックでワシの意見を否定するための議論がしたいなら自分のフィールドにシェアして思う存分書いてくれればいい。

 

お望みならそちらのフィールドにお邪魔して議論させてもらうんで。

 

 

むしろ自分の勉強のためにも反対意見は聞きたいし、議論もしたいし、実際にずっとやってきとるんよ。

 

そのためにメールも公開しとるしブログでのコメント欄も開放しとる。

 

ネット上だけの関係なのに反対意見も聞いた方がいいなんて言ってくる人はホント余計なお世話。

 

ワシは仕事柄、反対意見の人ともよく話をする機会もあるもんでネット上だけで絡んでくる人とは議論する必要がないと思っとるだけ。

 

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名前と顔をだして反自民の候補の選挙応援もしとるけど、逆にいろんな意見も聞きたくて全く支持しとらん自民党とかの国会議員にも直接会って話をしたりもしとるよ。

 

全く考えが違う元府知事ともこないだ名刺交換させてもらったりとかも。

 

写真に写っとる自民党の小渕優子ちゃんのことは政治家としては支持はしとらんけど、一人の母として原発政策のことに対して何かをやろうとして失脚させられたと思っとるもんで同級生の人間として尊敬はしとるんよね。

 

アメリカ様が意図せんことをやれば失脚させられる。

 

それが自民党って党だと思っとる。

 

 

昨日もまたオモロいパーティーで唄わせてもらってきた。

 

超大手広告代理店の人とか、国会で大臣のTPP答弁の原稿を書いとった元闘う官僚とか、巨大農業団体に勤めながらロックな生き方をしとる人とか、いわゆる偏向報道とかって批判されがちな大手メディアの記者クラブの人とか、作曲家もおれば主婦もおったりと、もういろんな人がおる不思議なパーティー。

 

ここでもまたディープすぎる話を聞いて、ここ数年ずっと感じとった日本の農業の未来に対する憂いは本当だったんだと確信した。

 

 

アイウエオとかカキクケコだけじゃ大切なものは見えんけれどアカサタナ ハマヤラワふと横向いたら君が見えたってことなんよな。

 

 

とにかく、無関心が一番ダメだと思っとるんよ。

 

例えば安倍政権を支持しようが、反対しようがどっちでもいい。

 

ワシは個人的に安倍政権には反対しとるだけでみんなも反対する必要はない。

 

 

ただ無関心の人が多すぎる今のままだと日本はこの先どんどんダメになっていくと思っとるんよ。

 

日本ほど若者が政治に無関心な国って他にないんだって。

 

 

みんなも社会の一員だら?

 

税金払っとるんだら?

 

その社会のことをいろいろ決める政治に対して自分なりの考えを持たんと。

 

 

そんで特に表現者なら自分の意見はハッキリ表明せんとダメだと思う。

 

オレはこの歌詞に、ワタシはこのギターのフレーズに、このベースのグルーヴに、このドラムのリズムに想いを込めとるって事ならそれでいいんけど、だったら誰にも真似できんすげーもん見せてくれ。

 

特にインディーズのバンドマン、君たちは商業音楽やりたい訳じゃねーんだら?

 

なんてことを言うもんで身近なバンドマンからも疎まれちゃうんよな(笑)

 

 

でもワシは曲げんよ。

 

一番近くに一番の味方がおるんだでね。

 

 

本日の一曲は「君が僕を知ってる」。

 

 

「政治的なことを言わんで欲しい!」って人ばっかみたいな書き方になっちゃったけど、逆にワシの発言がきっかけで、政治のこととか社会の仕組みのこととかに興味を持ってくれて実際に自分でも動き出してくれた仲間も沢山おるんよな。

 

やっぱ声を上げることは損なことばっかじゃなくちゃんと意味ある行動なんよな。