昨日は神田のTHE SHOJIMARUで独叫させてもらったんけど、個人的にメチャクチャ嬉しいことがあった。
ワシが今でもバンドマンとして生きとる直接のきっかけになったある事件の当事者である章二丸さんと最高の乾杯をさせてもらったんよね。
前のブログでマイルスデイビス愛を語ったけど、今日はワシが今でもバンドマンをやっとる直接のきっかけになった事件について語らせてもらう。
小学校でチェッカーズ、中学ではボウイが大好きだった判治大介少年はまさか自分がバンドなんかやるなんて想像すらしとらんかった。
「大きなビートの木の下で」という大好きなボウイの伝記にボウイ結成のきっかけがヒムロックが東京での音楽活動に挫折して地元群馬に帰る前に日比谷野音でRCサクセションを見て「くっそー」って思って布袋に電話してボウイを結成したと書いてあった。
それがRCサクセションという言葉との出会い。
中3の夏に親父が「東京に原発を」という本を買ってきたのを読んで夏休みの読書感想文を書いて提出したら先生に何故か注意された記憶がある。
ちょうど同じ時期に親父が借りてきたCDがRCサクセションの「カバーズ」。
「おー!ボウイの結成のきっかけになったバンドだ!」って思い出して聞いてみたけど正直最初は清志郎さんの魅力がよくわからんかった。
何言ってんだー?ふざけんじゃねー?って感想(笑)
高校時代はラグビーに明け暮れた。
相変わらずボウイが好きだったけど試合前はアイワのカセットボーイでロッキーのテーマを聴いて気合いを高めた。
そんな高1の秋、家で音楽番組の生放送を見とったらその事件は起きた。
変な格好のおじさんバンドが出てきて衝撃的すぎるパフォーマンスをやらかした。
そう、あの伝説のタイマーズのFM東京事件だ。
それがRCサクセションの清志郎さんだってことは後から知ったんけど、これを見て、ワシの中で何かが変わった。
それまでは自分でバンドをやりたいだなんて一切思ったこともなかったんけど、急に自分で唄を作ってバンドがやりたくなった。
初めて自分で唄が作りたいという衝動からCDを買ったのがタイマーズのアルバム。
でも高校時代はラグビーに明け暮れとったもんでバンドをやることはなく、でも文化祭とか体育祭でのパフォーマンスで目立ちまくる学生だった。
実はその事件を目撃した直後に、こっそり鼻歌で作った曲がある。
オフィシャルでは人生大丈夫ンブンブンが人生初の曲だと言っとるけど、実はその前に作った曲。
それを昨日、タイマーズのパーさんこと章二丸さんの目の前で唄わせてもらって章二丸さんにもめっちゃ喜んでもらえた幸せ。
そしてこの後、アンコールで章二丸さんがドラムを叩いてくれて夢のセッションが実現するという極上の幸せ。
28年前の高校一年だった判治大介よ。
お前が作ったこのアホな鼻歌は間違っとらんかったぞん(笑)
タイマーズがきっかけでRCサクセションにハマったワシが上京して突然バンドを始めてちょっと経った頃に、清志郎さんと飲ませてもらう機会があった。
清志郎さんの隣で飲ませてもらったんけど最初は清志郎さんに相手にしてもらえんかったもんで、思い切ってラブミーテンダーを唄ってみたら「おめーうるせーなあ」と頭をゴチんとされた。
でも清志郎さんが店員さんを呼んでワイングラスをもう一つもらってくれて清志郎さんが飲んどったワインを直接注いでくれた。
その後も清志郎さんとは何度も会う機会があって、タイマーズのトッピさんこと三宅伸治さんのワンマンのアンコールに突然ロードバイクで現れてピチピチモッコリパンツ姿のまま雨上がりの夜空をぶちかましてすぐに甲州街道を走り去っていった日が清志郎さんと最後に話させてもらった日になった。
2005年の夏前ぐらいに清志郎さんのライブに招待してもらってライブ後に楽屋に挨拶に行こうと思ったんけど、時間がなくて挨拶せずに帰ってしまったことを未だに後悔しとる。
その直後に清志郎さんが癌を公表、、、その後2009年に亡くなってしまい、結局、清志郎さんとは正式な共演は一度も果たせんかった。
でも清志郎さんから影響を受けたバンドマンの一人として、本物のロックを生涯かけて追求していきたい。
その憧れのドラマーである章二丸さんいい酒を飲ませてもらって、今後も何か大事件が起こりそうな予感が!!!
帰り道でも嫁から「大ちゃんのやってきたことは間違ってないってことだよね」って言われて嬉しかった。
ミズちゃん初企画おめでとー!
初オリジナルよかったぜ!
ちひろの唄をじっくり聞けてよかったー!
リハ後に蕎麦屋でダブル不倫?(笑)
猫輔さんの多才っぷりは勉強になったー!
久々に着物きてライブやりてーやあ。
音楽ってマジで最高だ。
一生かけて楽しんでやる。