日本でペットの殺処分がなくならない原因としてペットショップの存在があげられる。

確かに生き物を狭いショーケースに陳列してお金で売買するってシステムは異常だし、誰でも気軽に動物を買えちゃうペットショップの存在が大きな原因の一つなのは確実。

でも、現状、こんだけペットショップが蔓延しとる中で、過剰にペットショップだけを批判するのも逆に危険なのかと。

だってペットショップに陳列されとる子犬や子猫たちは誰かに「買って」もらえんと幸せになれんだよ。

その命が「売れる」まで店頭に置かれ続けるというのは建前で、実際は「引き取り屋」とかいう業者に引き取られることも多いらしい。

引き取り屋はすぐに殺さないだけで、生かさない。

死ぬまで狭い檻に閉じ込めてただ死ぬのを待つだけの余生。

ゆるやかな殺処分だ。


ただちに、ペットショップで生体販売することを法律で禁止できるんならそれが一番いいけど、現実そんな簡単な問題じゃない。

現状、ペットショップがこんだけある以上、誰かが買ってあげんことには誰も幸せになれんだよ。

だで、ペットショップを批判するだけじゃなく、ペットと暮らしたいって思う人たちの意識を高めると同時に、ペット業界の歪んだ構造を規制するように行政にも働きかけていかんとダメなんよ。


1匹でも不幸な動物を減らすために今すぐに出来ることがある。

現状だと、生まれた子犬は生後1ヶ月足らずで出荷されちゃっとる。(あえて出荷という言葉を使った)
生まれたばかりの方が可愛くて売れるからだ。
それを例えば生後8週間までは出荷できないという規則を、厳しい罰則がある法律にするだけで悪質なブリーダーは減ると思う。
8週間、生まれたばかりの動物を育てなければいけないため経費がかかって割りに合わんくなるから。
それが徹底されるだけで、ただ小さいってだけで高く売れると思っとるような悪質なペットショップも経営が成り立たんくなって淘汰されるはず。

これはそんなに難しいことじゃないはずだで、本気で動いてくれる政治家がおればすぐ実現できると思う。


誰かを悪にするだけじゃなくて、ペットを飼いたいって思う人の意識と、ペットを売りたいって人の意識を同時に高めることが大事。

意識が高まればペットをただ売れ筋の商品だと思っとるような悪質なペット販売業者は絶対に減る。

それに一番大事なのはペットも人間と同じように“個”の存在として考えること。

某政権与党は憲法を改悪して人間すら“個”の存在として扱わんようにしたいらしいけど(笑)


これを書いとってふと思ったんけど、ペットを捨てた事の責任を飼い主だけじゃなく、直接売った業者、流通させた業者、繁殖させた業者までさかのぼって責任を負わせるような法律を作ったらどうだろう?

その子がいつどこで生まれて、どういったルートで売られたのかが特定できるようなシステムにして、保護された時に飼い主だけじゃなくペットショップやブリーダーまでさかのぼって責任を取らせるような体制。

マイクロチップでも出来るんかもしれんけど、DNA鑑定とかを義務化して生まれた子全員をちゃんと人間を個人として扱うのと同じように“個”の存在として扱うことが何よりも大事な気がする。

保健所等に持ち込まれてしまった子は、売ったペットショップが責任もって里親募集をすることを義務化するとか、責任の取らせ方はまだ見えとらんけど、売る側の責任を重くすることで、売る時にただ誰でもいいから売れればいいって感じじゃなく、もっとちゃんとした説明とかするようになる気がするんよね。

加えて、ドイツとかみたいに、動物と一緒に暮らすには税金がかかるようになってもいいと思う。
そのペット税を確実に保護に使ってもらったり、ペットと暮らしやすい社会を作るために使ってもらえるなら喜んでペット税を払いたい。

欧米と同じようにペットと一緒に気軽に電車に乗れるようになったり、基本的にどの飲食店や施設もペットと一緒に入れるようになったり、ペットと一緒に住めるアパートやマンションが劇的に増えたりするだけでも、間接的に殺処分されるペットも少なくなると思う。

日本はペットと暮らすには制約が多すぎるんよな。

そのくせ、買うのは簡単だもんで問題が起こるんよ。

引っ越し先がペット禁止ってだけの理由で殺処分しちゃうような信じられん飼い主が存在しとるって知っとる?

悲しいことに、そんな意識の低い飼い主も少なくないんよね。


政治家のみなさん、殺処分される子を少しでも減らすためにも、ペットと暮らしやすい社会を是非とも作ってください。



パン粉も元々はペットショップに並べられとった子。

いろいろあって我が家に来てくれた時は栄養失調気味でガリガリで全然パグっぽくなかったけど、今はムチムチだし、概ね健康だし、相変わらず優しくていい子だし、メチャクチャ可愛い。

動物と暮らすということは本当に掛け替えのないこと。

判治家にパン粉がもたらしてくれた幸せは無限大。


何度も書くけど、ペットも人間と同じように社会的にも“個”として扱われんといかんだよね。

みんながそういう意識になれば「殺処分」なんてアホな対応もなくなるはず。




10月に保護犬に関わるチャリティーイベントでゲストライブが決まった。

殺処分ゼロを無理やり目指すのではなく、それが当たり前の社会になるように一人のワンコを愛するミュージシャンとして本気で取り組んでいきたい。


追記

このブログに意見をもらったもんで、誤解がないように追記。

「殺処分ゼロにするだけじゃ問題は解決しない!」とか「殺処分ゼロという言葉が逆に問題を深刻化させる」といった長年この問題に取り組んどる人たちの意見も理解した上であえて「殺処分ゼロ」という言葉を使っとる。

殺処分をする施設が単に引き取りを拒否するだけじゃ何も解決せんってことも分かっとるし、ヒドイ飼い主をいくら指導しても、残念ながら改善せんってことも分かっとる。
殺処分ゼロにこだわりすぎて、ヒドイ飼い主に戻されて虐待し続けられたり遺棄されたりするぐらいなら適切な安楽死をさせてあげたほうがその子にとっては苦痛が少ないってことも理解はしとる。

でも人間の子供だったら、いくら親がひどくても安楽死はさせんじゃん?
それと同じように動物も“個”の存在として考えられる社会を目指したいってこと。

ただ「殺処分ゼロ」という耳触りがいいアリバイを作るのが目的じゃなく、それが当たり前な社会を目指したいんよな。

世の中の大半の人が、ペットだった動物が飼い主の無責任で年間何十万匹も殺処分されとるって事実すら知らんだよ。
まずはその事実を知ってもらうことが何よりも大事だと思う。

深く関わっとる人が専門的な意見を語るだけじゃ問題は解決せんどころか、どんな問題があるのかさえ伝わらんだよな。
そのためには「殺処分ゼロ」という言葉はキャッチーで分かりやすくて初めてこの問題に触れる人にも伝わりやすいと思う。

「そんなこと言っとるくせに牛とか豚とか鳥は食うのかよ!?」って難しい問題も絡んでくるけど、せめて人間と一緒に暮らすために生まれてきた子だけは、人間が殺すのは絶対に間違っとるって思っとるんよね。

そのためには、捨てられた子たちを保護するシェルターも増やさんといかんし、それと同時に生体販売の規制や繁殖制限をすることも絶対必要。

いきなり殺処分ゼロを目指すんじゃなく、不幸な子を一匹でも減らせるための活動を今日からでも始めたい。



「殺処分ゼロを目指すんじゃなく、それが当たり前の社会へ」

ワシなりのスローガンはこれかな。