もう20年以上付き合っとる面倒くさい奴だけど心の友と呼べる奴が、こないだのミヤザワールドでのHANZI BANDを見て
「お前さあ、“お婆ちゃんどーしてそんな色なの?紫色の髪の毛パープルヘア”って叫んでた時と同じ目してたぜ」
って言ってきた。
パープルヘアっつうのはハンサム兄弟の前にやっとったバンブー(バカ兄弟)の時の曲。
今のワシにとって一番嬉しい言葉かもな。
HANZI BANDを結成した最大の理由がもう一度いちから初期衝動を爆発させたバンドがやりたかったからだでやあ。
どうしたって比較されるハンサム兄弟よりももっと前の、バンドマンとしてのワシの原点であるバンブー(バカ兄弟)。
ワシが生まれて初めてオリジナル曲を唄ったバンド。
42になってもその時と同じ目をしてHANZI BANDやっとるって最高だら?
ハンサム兄弟と比べとるようじゃ判治マニアとしてはまだまだだのん(笑)
何だかんだ目立つ動きをし続けとるんだで、極々一部の人間から「判治は変わった」とか言われちゃうのは仕方ない。
スターは嫉妬されてナンボ(笑)
でも、変わるどころかハタチの頃から何も成長しとらんみたい(笑)
アイツが言うんだで間違いない。
そーいやソロライブの最後の曲は今でも19の時に作った人生大丈夫ンブンブンだし。
最近、ブラックコメットクラブバンドで忙しくしとるハンサム兄弟のドラムKZMがHANZI BANDを見て褒めてくれて嬉しかった。
「判治は変わらないんだなあ。でもそれでいいんだと思う。」ってね。
ブラコメのテツさんみたいにいろんなスタイルを使い分けれるタイプじゃないんだで仕方ない。
要はワシが唄えば全部一緒ってことで(笑)
こんなワシだけど、一つだけ自分が変わったって思えるきっかけがある。
何度も言っとるけど、震災直後の避難所で唄わせてもらえた経験は間違いなくワシを変えてくれたと思う。
それまではどんだけアウェイといっても、少なくともそこに居る人たちは何かしらの音楽を聴きに来とるという前提の元でのアウェイ。
ヴィジュアル系やアイドル系のイベントだろうがそこは同じ。
でも震災直後の避難所は誰一人として音楽を聴くためにそこに居る訳じゃなくて、地震からの避難で仕方なくそこに居らざるを得ない人たち。
基本的に誰も音楽を望んどる訳じゃなかった。
それでもそこでワシに唄って欲しいって言ってくれた仲間の期待に応えられるように緊張でゲロ吐きそうになりながらも必死で唄わせてもらった。
もちろん最初は誰も聞いてくれん雰囲気だったけど、お婆ちゃんが楽しそうに手拍子をしてくれたり、子供達がワイワイ集まってきてくれたりして徐々に盛り上がってもらえた。
唄い終わった後もギターをずっと触って楽しんどる子供達の姿を見て改めて音楽の力を実感させてもらった。
こんな経験を震災直後の1年間で200回以上経験させてもらったんだで、人間として変わらん訳がない。
でもHANZI BANDでは20年前と同じ目をしとるって言ってもらえた。
マジで嬉しいこと。
この10年、smiles davisやったり、デブパレードやったり、役者やったり、ウクレレ大使になったり、ラーメン屋を始めたり、、、散々好き勝手な活動をやってきたけど、ワシがどんな活動をしようが、直接他人に苦労や迷惑をかける訳じゃない。
唯一、この10年以上、ずっと一緒におって直接的に苦労をかけとる嫁が
「大ちゃんは何ひとつ間違ったことしてないんだから、迷わずいきなさい」
って言ってくれとる。
ワシの嫁は猪木か?(笑)
でもこれ以上の言葉はない。
5/21(土)のツアーファイナルで正式にリリースする予定のDVD「HANZI BAND THE MOVIE」にも収録する予定のこの映像を見て欲しい。
HANZI BANDとは直接関係無い映像だけど、HANZI BANDは震災後の「あかさたな」な活動を経て生まれたバンドで、その「あかなたな」をはっきりと実感できた瞬間のこの映像は収録したかったんよ。
気仙沼の避難所で出会った子供たちが
ずっとギターを楽しそうに触っとる姿を見て
音楽の力を改めて実感させてもらった
でもギターは大きくて気軽に渡せんのが残念だった
この時、ふと思ったんよ
ウクレレならたとえ弾けんくても
小さい子供でも気軽に持って遊べるんかもなってね
そんである日、東北に向かう仲間の車が
支援物資で一杯でギターが積めん時があった
その時、ふと、この日のことを思い出して
家の壁に飾ったままだったウクレレを連れてった
車の中でウクレレのコードを調べてみたら
ワシがよく使うコードが物凄く簡単だった
しかもサイズ的に車の助手席でも練習できるもんで
東北に着く頃には何曲か弾けるようになった
そんで避難所でウクレレで唄わせてもらったら
子供達に「ギターちっちゃい!」って大ウケだった
19の時、ギターと間違って買ったその小さなウクレレが
東北の人たちの力になってくれた気がした
それと同時にワシ自身も救われた気がした
これがウクレレ大使になったきっかけであり
今でもウクレレで唄っとる理由
「あかさたな」な活動から生まれたHANZI BANDだけど、もう一度バンドシーンで「あいうえお」な道も進むために「横綱バンジージャンプ」をリリースした。
そのアルバムが好評でマジで嬉しい。
そのアルバムでも一部でウクレレを使って唄っとるのはこんな理由。
まだ聞いとらん人はアマゾンとか通販でゲットしちゃって!
新宿のタワレコとかHMVでもまだプッシュしてくれとるみたい。
明日から大阪2デイズ、和歌山ワンマンの週末3デイズ!
4/1(金)大阪十三ファンダンゴ
2番目の19時40分から!
4/2(土)大阪心斎橋酔夏男
トリで21時すぎから!
4/3(日)和歌山菜の家
16時オープン、16時30分スタートのワンマンショー!!
「お前さあ、“お婆ちゃんどーしてそんな色なの?紫色の髪の毛パープルヘア”って叫んでた時と同じ目してたぜ」
って言ってきた。
パープルヘアっつうのはハンサム兄弟の前にやっとったバンブー(バカ兄弟)の時の曲。
今のワシにとって一番嬉しい言葉かもな。
HANZI BANDを結成した最大の理由がもう一度いちから初期衝動を爆発させたバンドがやりたかったからだでやあ。
どうしたって比較されるハンサム兄弟よりももっと前の、バンドマンとしてのワシの原点であるバンブー(バカ兄弟)。
ワシが生まれて初めてオリジナル曲を唄ったバンド。
42になってもその時と同じ目をしてHANZI BANDやっとるって最高だら?
ハンサム兄弟と比べとるようじゃ判治マニアとしてはまだまだだのん(笑)
何だかんだ目立つ動きをし続けとるんだで、極々一部の人間から「判治は変わった」とか言われちゃうのは仕方ない。
スターは嫉妬されてナンボ(笑)
でも、変わるどころかハタチの頃から何も成長しとらんみたい(笑)
アイツが言うんだで間違いない。
そーいやソロライブの最後の曲は今でも19の時に作った人生大丈夫ンブンブンだし。
最近、ブラックコメットクラブバンドで忙しくしとるハンサム兄弟のドラムKZMがHANZI BANDを見て褒めてくれて嬉しかった。
「判治は変わらないんだなあ。でもそれでいいんだと思う。」ってね。
ブラコメのテツさんみたいにいろんなスタイルを使い分けれるタイプじゃないんだで仕方ない。
要はワシが唄えば全部一緒ってことで(笑)
こんなワシだけど、一つだけ自分が変わったって思えるきっかけがある。
何度も言っとるけど、震災直後の避難所で唄わせてもらえた経験は間違いなくワシを変えてくれたと思う。
それまではどんだけアウェイといっても、少なくともそこに居る人たちは何かしらの音楽を聴きに来とるという前提の元でのアウェイ。
ヴィジュアル系やアイドル系のイベントだろうがそこは同じ。
でも震災直後の避難所は誰一人として音楽を聴くためにそこに居る訳じゃなくて、地震からの避難で仕方なくそこに居らざるを得ない人たち。
基本的に誰も音楽を望んどる訳じゃなかった。
それでもそこでワシに唄って欲しいって言ってくれた仲間の期待に応えられるように緊張でゲロ吐きそうになりながらも必死で唄わせてもらった。
もちろん最初は誰も聞いてくれん雰囲気だったけど、お婆ちゃんが楽しそうに手拍子をしてくれたり、子供達がワイワイ集まってきてくれたりして徐々に盛り上がってもらえた。
唄い終わった後もギターをずっと触って楽しんどる子供達の姿を見て改めて音楽の力を実感させてもらった。
こんな経験を震災直後の1年間で200回以上経験させてもらったんだで、人間として変わらん訳がない。
でもHANZI BANDでは20年前と同じ目をしとるって言ってもらえた。
マジで嬉しいこと。
この10年、smiles davisやったり、デブパレードやったり、役者やったり、ウクレレ大使になったり、ラーメン屋を始めたり、、、散々好き勝手な活動をやってきたけど、ワシがどんな活動をしようが、直接他人に苦労や迷惑をかける訳じゃない。
唯一、この10年以上、ずっと一緒におって直接的に苦労をかけとる嫁が
「大ちゃんは何ひとつ間違ったことしてないんだから、迷わずいきなさい」
って言ってくれとる。
ワシの嫁は猪木か?(笑)
でもこれ以上の言葉はない。
5/21(土)のツアーファイナルで正式にリリースする予定のDVD「HANZI BAND THE MOVIE」にも収録する予定のこの映像を見て欲しい。
HANZI BANDとは直接関係無い映像だけど、HANZI BANDは震災後の「あかさたな」な活動を経て生まれたバンドで、その「あかなたな」をはっきりと実感できた瞬間のこの映像は収録したかったんよ。
気仙沼の避難所で出会った子供たちが
ずっとギターを楽しそうに触っとる姿を見て
音楽の力を改めて実感させてもらった
でもギターは大きくて気軽に渡せんのが残念だった
この時、ふと思ったんよ
ウクレレならたとえ弾けんくても
小さい子供でも気軽に持って遊べるんかもなってね
そんである日、東北に向かう仲間の車が
支援物資で一杯でギターが積めん時があった
その時、ふと、この日のことを思い出して
家の壁に飾ったままだったウクレレを連れてった
車の中でウクレレのコードを調べてみたら
ワシがよく使うコードが物凄く簡単だった
しかもサイズ的に車の助手席でも練習できるもんで
東北に着く頃には何曲か弾けるようになった
そんで避難所でウクレレで唄わせてもらったら
子供達に「ギターちっちゃい!」って大ウケだった
19の時、ギターと間違って買ったその小さなウクレレが
東北の人たちの力になってくれた気がした
それと同時にワシ自身も救われた気がした
これがウクレレ大使になったきっかけであり
今でもウクレレで唄っとる理由
「あかさたな」な活動から生まれたHANZI BANDだけど、もう一度バンドシーンで「あいうえお」な道も進むために「横綱バンジージャンプ」をリリースした。
そのアルバムが好評でマジで嬉しい。
そのアルバムでも一部でウクレレを使って唄っとるのはこんな理由。
まだ聞いとらん人はアマゾンとか通販でゲットしちゃって!
新宿のタワレコとかHMVでもまだプッシュしてくれとるみたい。
明日から大阪2デイズ、和歌山ワンマンの週末3デイズ!
4/1(金)大阪十三ファンダンゴ
2番目の19時40分から!
4/2(土)大阪心斎橋酔夏男
トリで21時すぎから!
4/3(日)和歌山菜の家
16時オープン、16時30分スタートのワンマンショー!!