明後日から札幌に行く。

10年以上、ワシの北海道ツアーをサポートしてくれとる札幌のアニキたちがCrazy Monkeyという新しいライブハウスをオープンさせたもんで、是非とも年内に唄いに行きたいと思っとったんよ。

それとは全く別で9/7に震災支援活動に関わりがあるイベントにも誘ってもらっとった。

だで札幌のアニキに「9/7周辺でクレイジーモンキーで唄いたいっす!」

ってダメ元でお願いしてみたらバシッとイベントを組んでくれた頼りになる嶋田アニキ!

マジで感謝!

とにかく9/5(金)9/6(土)は札幌Crazy Monkeyに集合して欲しい!

バンドマンの夢のハコの誕生を一緒にお祝いしよう。



9/7のイベント「ありがとう、パパ、ママ」は説明すると長くなるけど、是非読んで欲しい。

2011年の3月下旬、福島第一原発がある大熊町の人たちが避難しとった学校に支援物資を届けさせてもらった。
その時、縁があって避難所になっとった体育館で唄わせてもらうことになった。
そこでの強烈すぎた体験が今でも続けとるウクレレ大使活動のきっかけになったんだと思う。

そこで出会った双葉郡の人たちは原発から数キロしか離れとらん場所で生活しとったもんで当然強制的に故郷を追われた。
特に大熊町なんか最低何十年、下手したら永久に人が住めん土地になってしまったんかも。
一度でも事故を起こしたらこんな事が起こりうるのが原発。
こんなふうに強制的に故郷を奪われることって他にはない。
ワシは親父の影響で中学2年から反原発だったけど、3.11をきっかけに更に原発に対して反対する気持ちが高まった。

強制的に避難できた(避難させられた)のは行政が勝手に決めた原発からの距離が基準。
詳しい数字は忘れたけど20キロとか30キロとかの内側の人は強制避難。
でもその枠から1メートルでも外側の人は逆に避難したくても補助は一切なし。
避難したければ自己資金で勝手にどうぞ、って冷たい対応。
たった数メートルの差で避難させられた人と避難出来んかった人がバッサリ分けられたってこと。

こんなおかしな話はないら?
放射能の影響が大丈夫かどうかなんか誰にも分からんだで、ここではその議論はやめとく。
でも交通安全でもなんでもそうだけど、「危険かもしれないんだったら止まる」のが安全に対する基本。
それなのに原発、放射能問題は何故か「たぶん安全だから大丈夫」って事で片付けられるのがどう考えても変なんよな。

とにかく子供達の未来を守りたいという想いで音楽仲間と「オペレーションコドモタチ」というチームを作ってシンポジウムやイベントを開催した。
子供への放射能の影響が心配で不安でしかたがないママやパパから沢山の連絡をもらった。
2011年のゴールデンウィークにそんなパパとママの話を聞きに福島に行った。
その時、山本太郎ちゃんも一緒に郡山#9の福井さんに話をしにいって、一緒にイベントに飛び入りさせてもらったりもした。

この活動に北海道の道庁の人が賛同してくれて取り壊しが決まっとった公団に家賃とか無料で受け入れてくれることになった。
インドネシアの支援活動を一緒にやっとる「みんな地球の子どもじゃん」の木村さんが避難したい家族の窓口になってくれて多くの家族が札幌に引っ越しできた。

一言で避難するって言っても、実際はかなり大変な事。
避難したくても家族の間での意識の違いから出来ない家族も沢山おったり、逆に家族の反対を押し切って母子だけで避難して家族に亀裂が入ってしまった人もおったりする。

あれから3年。
家族によってはパパは仕事のために福島に戻ってママと子供だけで札幌に残った家族とか、他にもいろいろ大変なこともあって札幌での生活に疲れちゃっとる人もたくさん居ると聞く。

そんな故郷を離れて札幌で暮らしとる家族に何か出来ないかという話になって、子供達からパパやママにありがとうを伝えられるようなイベントをやることになった。


このイベントで子供達と一緒に「ありがとう」と唄える唄を作って欲しいと頼まれて1曲作った。

意図して作った訳じゃないけど3年前の自分に対してのアンサーソングになった気がしとるよ。