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正月は故郷に帰って高校の卒業20周年同窓会で唄ってきた。

同窓会出席者の大半は真面目にしっかりとした生活を送っとる同級生ばかり。

38歳になってもこんな穀潰しな生き方をしとる人間は極わずかだと思う。


でもそんな場でも胸を張って自分の唄を唄わせてもらってきた。

NARUTOの主題歌をやったからとかドラマに出たから胸を張って地元に帰れたんじゃない。

2011年に自分が見て感じたことを同級生にも伝えたかったから胸を張って唄えた。

久しぶりに会った同級生たちもワシの唄を喜んでくれた。


上京してすぐ大学を中退して音楽経験ゼロから突然バンドを始めて19年。

何度も親と揉めてもバンドをやり続けた19年間。

今までも“単なるバンドマン”としてはいい唄を唄えとったと思う。

でも男として人間として本当の意味で胸を張って自分が唄わんといかんと思えたのは去年が初めてだ。


「起こった事は最悪だけど、出会えた事は最高だ。」

被災地で出会った仲間と何度も交わした言葉。

あの時、あの場所で唄わせてもらえた自分の唄の力を信じとる。

あの場ではバンドの力なんか何の役にも立たん。

男一匹、判治大介として真っ正面からぶつかるしかなかった。


「親にも迷惑をかけたままで、嫁にも苦労かけとるような半端もんのくせに何が被災地支援だ?」

なんて言われるかもしれんが関係ない。


今はそれでも“やれる”人間がやらんといかんぐらいの非常事態なんだと思っとる。


同級生と旨い酒をしこたま飲んだ同窓会の翌朝、母ちゃんに言われた。

「同級生はみんな真面目に働いて家を買ったりしとるのにアンタは何しとるん?」と。

それがいわゆる真っ当な人間の生き方ってことぐらい分かっとる。

もちろん親に甘えすぎとる自分を恥じとるし、必ず恩返しもする。

でも今、カタチだけ繕っても「人間ごっこ」にしかならんだよ。


ワシはワシの思う「人間らしい人間」として2011年に初めて出会った「本物の唄」を一生追求し続ける。


2011年は自分の音楽に対する考え方がガラッと変わった年でもあった。

もう「カタチ」や「仕事としての音楽」にこだわるのは辞めた。

そこで自分の本当の唄が唄えんのならいつだって捨てる覚悟も出来た。


でもどんな仕事をしながらでも一生ワシの唄を泥臭く唄い続ける。


久しぶりに親に頭を下げた日は奇しくも嫁と付き合い始めた記念日だった。

こんな自分勝手な生き方を許してくれて支えてくれとる嫁のことは絶対に一生大事にする。

これもワシが思う大切な「人間らしい生き方」の一つ。

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正月早々、青臭い事を暑苦しく語っちゃったけど

改めて、明けましておめでとう!

2012年は最高の年にしよう!